(第4回)渋谷重蔵がニューヨークに渡るまで
渋谷重蔵は冤罪か?―19世紀、アメリカで電気椅子にかけられた日本人(村井敏邦)| 2018.12.25
日本開国から24年、明治の華やかな文明開化の裏側で、電気椅子の露と消えた男がいた。それはどんな事件だったのか。「ジュージロ」の法廷での主張は。当時の日本政府の対応は。ニューヨーク州公文書館に残る裁判資料を読み解きながら、かの地で電気椅子で処刑された日本人「渋谷重蔵」の事件と裁判がいま明らかになる。
(毎月下旬更新予定)
ニューヨークまでの航路は?
裁判の開始前に、渋谷重蔵がどのようにして日本の港を出発してニューヨークまで来たかを、当時の記録でわかる限り、考えてみよう。
事件発生は、1889年11月10日であるが、重蔵は、公判記録によると、その1か月前から事件発生の榎本宿に宿泊している。そうすると、ニューヨークに到着したのは、事件発生の1か月前、すなわち、1889年10月以前ということになる。
問題は、茅ヶ崎村の農民の子重蔵がどのようにしてアメリカ・ニューヨークに来て、事件を起こすに至ったかである。
第1回で取り上げた読売新聞の記事(1890年1月25日号)によると、「神奈川県高座郡茅崎村農渋谷武兵衛次男渋谷重蔵(34歳)」とある。「34歳」が数えだとすると、満では32か33歳。事件当時(1889年)にその年齢とすると、1856、7年(安政元年前後)の生まれということになる。