(第6回)通商摩擦の時代の羅針盤(藤井康次郎)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2019.02.13
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。西村あさひ法律事務所の7名の弁護士が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

連載「WTOアンチダンピング等最新判例解説」

国際商事法務(2015年6号)Vol.43 No.6(通巻636号)~(継続中)

筆者は、2015年に「攻めの法務」や「戦略的法務感覚」の重要性を東洋経済オンラインのインタビューで強調した。以降、最近では、2018年4月の経済産業省の「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会報告書」もとりまとめられ、攻めの法務といった用語もようやく市民権を得つつある。法務担当者は、急速に変動する技術動向や国際情勢を把握し、能動的にリスクを回避し、また、チャンスをものにするためのアクションを支え、時に主導していくことが求められていると筆者は感じている。

その観点から、昨今の国際情勢からして、特に憂慮を深めていることがある。日本の法律実務家、法務担当者は「通商法音痴」でよいのであろうか? 近時、大きな通商法トピックが次々に話題をさらっている。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)のサルベージ(名前は、CPTPPと変わってしまい、米国は離脱してしまったが)や日EU経済連携協定は明るいニュースである。他方、影を落としているのが、中国の過剰供給問題、英国のEU離脱問題(Brexit)、トランプ政権の一方的な通商政策(米国通商法232条に基づく鉄鋼・アルミ製品の関税引上げの実施や自動車の関税引上げの調査)と、連鎖的に生じている各国の保護主義化傾向、米中の通商摩擦(米国通商法301条に基づく関税賦課とその対抗措置)、北米自由貿易協定の改定(USMCA)といった事象であろう。これらは日本企業にとって重要なチャンスでもありリスクでもある。サプライチェーンの設計や重点マーケット地域や取引相手の選定、製品の差別化戦略、製造販売・管理・開発拠点の国際的な配置等にも影響を及ぼす重要事象である。法律実務家もこれらのニュースはもちろん把握していると思われるが、その背景にある法的な枠組みや議論についてまで把握できている方は、ごく少数ではないだろうか?

通商法がカバーする分野は多岐にわたるが、まずご紹介したいのは、通商法の中でも企業に与える経済的インパクトが大きく、また、法的にも先例の蓄積が充実しており、テクニカルで難解ともされるいわゆる特殊関税の分野の研究成果である。アンチダンピング税や補助金相殺関税、セーフガードが特殊関税の代表例である。これらは、関税譲許の例外として、一定の事由がある場合に、関税引上げをすることができる制度であり、しばしば通商摩擦を引き起こす。トランプ関税とも揶揄される米国通商法232条や301条に基づく関税も特殊関税に含まれよう。特殊関税分野は、とっつきにくいが、重要であるという点で、難物ともいえる分野だが、日本の法律実務家にとっての朗報がある。

2015年4月に、日本における通商法の研究と実務をリードする学者と実務家の有志により、貿易救済判例研究会が結成された(座長:梅島修高崎経済大学教授。長く米国法弁護士として特殊関税分野の実務で活躍された経験を有する。幹事:川瀬剛志上智大学教授、川島富士雄神戸大学教授)。研究会は、進展著しい特殊関税分野の先例や議論を把握し、実務の指針とすること、同分野を担う将来の法律実務家を育成すること等を目標としている。研究会では、毎月、特殊関税分野における最新の世界貿易機関(WTO)の先例の紹介と分析が発表、議論され、その成果は国際商事法務にWTOアンチダンピング等最新判例解説として連載されている。その特色としては、近時のすべてのWTOの先例に加え、主要国の重要な決定の一部をもカバーしているという網羅性、最新の事例や議論を取り扱っているという時宜性にあり、世界的にも類をみない充実度といっても過言ではない。実際にも、WTO事務局の関係者や欧米の法律実務家から英語での出版についても意義があるのではないかと、(リップサービスかもしれないが)コメントを寄せられることもある。

国際商事法務(2019年1号)Vol.47, No.1(通巻679号) 本連載第43回が掲載されている。

この書評を執筆している時点で連載は43回に渡るが、これから読んでみようという方のために、筆者の独断でハイライトを紹介したい。

まず、特殊関税制度の活用実態や関連するWTO紛争解決手続についての基礎的情報を解説した連載第1回(川瀬剛志)と、2015年までの20年以上にわたる特殊関税分野における多数のWTOの先例の到達点のエッセンスを理解すべく、特殊関税分野のWTO先例を概観した連載第23回(梅島修)を参照されたい。一冊の本でも足りない内容を、連載二回分にまとめた梅島座長の苦労は、横で見ていても痛ましいものがあったのが思い出される労作である。

次に、米中通商摩擦の底流にある中国の国家資本主義(国際競争力強化のための国家支援をはじめとする国家による経済への介入)と米国の対抗的な特殊関税措置(補助金相殺関税)とこれらを巡るWTOの運命的な采配を非常にわかりやすく分析した論考が連載第4回(川島富士雄)である。これを読むとトランプ政権での米中通商摩擦は、場外乱闘の様相を呈しているものの、まさにオバマ時代の対中特殊関税とそれを巡るWTO紛争の延長線上にあることがよく理解できるはずである。トランプ以前の法的議論の状況をよく理解しておかないと、トランプ以降を理解することは難しいし、この点は勝手ながら筆者が企業・政府関係者、マスコミ、同業者の中で、通商ビギナーと玄人を区別するリトマス試験紙にしている点でもある。

特殊関税といえばアンチダンピングという日本の関係者のマインドの一新を迫るかのように、研究者実務家双方の経験からのセーフガードについての深い洞察を、日本が勝訴した事件を素材に披露しているのが連載第9回(川瀬剛志)である。この記事が予言となったのかのように以降、米国、EU、インド等でセーフガードの嵐が吹くのである(なお、米国のセーフガードの制度的欠陥ともいえる重要問題については、連載37回(伊藤一頼)が詳しい)。製品の高付加価値化により輸入国の産品との差別化を図ることでアンチダンピング税を回避できるかという重要テーマが問題となり、日本が勝訴した金字塔的案件を解説したのが連載10回(近藤直樹)である。ここにアンチダンピングにおける競争分析の重要性は一つの到達点を迎えるのである。競争法の弁護士やエコノミストにも関心を持ってもらえる内容であろう。

ところで、先進国の事例でも杜撰なことがあると象徴的に議論されたのが、カナダの事例を取り上げた連載28回(川瀬剛志)である。また、米国による悪名高きゼロイングの再来ともいわれたターゲットダンピングという手法についてWTO協定整合性が否定された重要事件を取り上げたのが連載22回(梅島修)である。ここに米国政府の統計手法に基づく科学性を装う欺瞞が法的に断罪されたといっても過言ではない。このような米国政府の手法は、日本企業が特殊関税の分野以外でも広く留意しておくべき点ではなかろうか。

研究会の食欲は旺盛であり、取り上げるWTOの先例が尽きてくると、各国の国内事例をもカバーし始めている。その初回は、中国国内事例が取り上げられ、研究会参加者により、中国当局の調査や分析手法の杜撰さについての厳しい突っ込みが相次いだ。達観したともいえる見地から淡々とそれを解説したのが、連載20回(粟津卓郎)である。研究会の射程からは、トランプ関税といえども逃げることはできず、米国通商法232条に基づく鉄鋼・アルミの関税引上げについても、即座に連載36回(川島富士雄)で解剖されている。トランプ対応に追われる実務担当者は皆読んだに違いない。

特殊関税分野については、今後、中国の非市場経済国地位の卒業問題を巡る重要案件の判断も控えており、研究会の材料も当面は尽きそうにない。研究会はますます盛会であり、メンバーも増え、オブザーバーとして参加する日本政府の関係者も広がっている。これからも気鋭の研究成果が連載で発表され、通商摩擦時代の法的な羅針盤となることが期待される。

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藤井康次郎(ふじい・こうじろう)
西村あさひ法律事務所パートナー弁護士。独占禁止法/競争法及び国際通商法を専門とする他、国際争訟、企業危機管理やロビイング業務にも精通している。これらの分野における著作が多数あり、政府委員会での委員等も多く務める。経済産業省通商機構部、ワシントンDCのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン アンド ハミルトン法律事務所での勤務経験も有する。