(第9回)新旧過失犯論争の契機となり、刑法学研究への動機づけとなった思い出の裁判例(甲斐克則)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
▽森永ドライミルク中毒事件差戻後の第1審判決
有害物質の混入による乳幼児ミルク中毒死について、製造課長に過失責任を認めた事例
徳島地方裁判所昭和48年11月28日判決
【判例時報721号7頁掲載】
ある判例・裁判例との遭遇が、若い学生に研究者志望ないし法曹志望へのインパクトを与えることがある。森永ドライミルク中毒事件差戻後の第1審判決は、私にとり、まさに刑法研究への衝動を具体的に喚起することとなった裁判例であった。
昭和48年(1973年)4月に九州大学法学部に入学した私は、教養課程1年次の後期、秋風が吹くころに、甚大な被害をもたらした食品事故に関するこの判決を知り、刑法理論に強い関心を抱くようになった。昭和49(1974)年度の2年次の後期に専門科目の履修が始まったが、恩師井上祐司先生の刑法総論の授業は、難解ながらも私の脳波に衝撃を与え続けた。ときには頭を抱えつつ、沈黙の時間を挟みながら、他方で過失犯のところでは、新旧過失犯論について熱弁を振るわれた。その中で、当時最先端の藤木英雄博士流の危惧感説や本判決を取り上げられ、旧過失論の立場から、「危惧感説は理論的に認められない!」と縷々説いておられた姿を今でも鮮明に思い出す。
さて、3年次に、過失犯の専門家である恩師の井上祐司先生(旧過失論の急先鋒)やその師・井上正治先生(新過失論の日本における創始者)の影響もあり、刑法学者になることを決意し、大学院への進学を目指して過失犯の研究をすべく、図書館で熟読したのが、判例時報721号掲載の本判決であった。判決は、予見可能性について、「結果防止に向けられたなんらかの負担を課するのが合理的であるということを裏付ける程度のものであればよく、……何事かは特定できないがある種の危険が絶無であるとして無視するわけにはいかない程度の危惧感であれば足りる。」という立場から、工場長を無罪、製造課長を有罪とした。市民感覚としては本判決が説く藤木博士流の危惧感説は理解できるのに、その論理になぜか違和感を覚え、その根拠を探求するようになった。4年次に、井上祐司先生の刑法ゼミに入り、1年間、過失犯のテーマで、わくわくして勉強した。
そして、責任主義・責任原理の重要性に思いを馳せるようになり、その問題意識は後の過失犯の研究につながり(『海上交通犯罪の研究』(成文堂、2001年)、『責任原理と過失犯論』(成文堂、初版は2005年、増補版は2019年)ほか参照)、また、企業犯罪の研究(『企業犯罪と刑事コンプライアンス』(成文堂、2018年))や一連の医事刑法の研究に連動するようになった(『医療事故と刑法』(成文堂、2012年)ほか)。現在も私の内心で、そのマグマは燃え続けている。同時に、当時その判決を書かれた裁判長の野間禮二先生(後に松山大学教授)から、瀬戸内刑事法研究会の際に、「苦悩したが本件の決着には危惧感説を採用せざるをえなかった。」と伺い、実務家の苦悩も理解できるようになった。その苦悩への共感は、法科大学院での教育に大いに活かされている。この判決との出会いに感謝せざるをえない。
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甲斐克則(かい・かつのり 早稲田大学大学院法務研究科教授)
1954年生まれ。九州大学法学部助手、海上保安大学校助教授、広島大学法学部教授を経て現職。
著書に、『医事法辞典』(編著、信山社、2018年)、『講演録:医事法学へのまなざし――生命倫理とのコラボレーション』(信山社、2018年)、『企業犯罪と刑事コンプライアンス――「企業刑法」構築に向けて』(成文堂、2018年)、『終末期医療と刑法』〔医事刑法研究第7巻〕(成文堂、2017年)など。