残酷な統治のテーゼ(岡田順太)(特集:ようこそ、法律学の世界へ―法学入門2019 Part.2)
特集から(法学セミナー)| 2019.04.16
◆この記事は「法学セミナー」772号(2019年5月号)に掲載されているものです。◆
特集:ようこそ、法律学の世界へ―法学入門2019 Part.2
この春、法律学を学び始めたみなさんにとって、すでに法律学はおもしろい学問でしょうか。
あっという間に夢中になった人もいれば、イメージとのギャップに苦戦中の人もいるかもしれません。
今年の法セミの法学入門の後編は、憲法、民法、刑法の3科目にフォーカスしました。
近年注目のトピックや法改正など、社会との関わりを意識しながら、この3科目を見ていくことで、法律学のおもしろさを探してみてください。――編集部
1 「ブルガリア人殺し」の皇帝
ビザンティン(東ローマ)帝国の皇帝バシレイオス2世(単独在位976-1025年)は、ブルガリア帝国にクレディオン峠の戦い(1014年)で大勝する。その際、ビザンティン皇帝は1万4千人のブルガリア人捕虜を100人単位に分け、99人の両目を潰し、片目だけを潰した1人を先導役としてブルガリアに帰らせたという。敗走したブルガリア皇帝サムイルは居城に逃れるが、目を潰された自軍の兵士が「ムカデ競争」のように大挙してやってくる姿を見て卒倒し、数日後に亡くなったとされる。このことから、皇帝バシレイオス2世につけられたあだ名が「ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し)」である1)。
何ともおぞましい話であるが、考え方によっては、城を攻めることなく敵将を倒し、ブルガリア帝国を滅亡(1018年)させたのであるから、優れた戦術家であると評することもできよう。実際、バシレイオス2世のブルガリア統治は寛大であったとされるし、ビザンティン帝国の最盛期を築いた皇帝として歴史上の評価は高い。
脚注
1. | ↑ | 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会、1999年)500-501頁。 |