(第9回)目撃証人登場(2)―3人の船員の証言

渋谷重蔵は冤罪か?―19世紀、アメリカで電気椅子にかけられた日本人(村井敏邦)| 2019.05.27
日本開国から24年、明治の華やかな文明開化の裏側で、電気椅子の露と消えた男がいた。それはどんな事件だったのか。「ジュージロ」の法廷での主張は。当時の日本政府の対応は。ニューヨーク州公文書館に残る裁判資料を読み解きながら、かの地で電気椅子で処刑された日本人「渋谷重蔵」の事件と裁判がいま明らかになる。

(毎月下旬更新予定)

船宿の主人チャーリー・榎本の証言に続いて、事件現場に居合わせた3人の船員が証言した。

Sagara Kausabaro(=相良幸三郎?)、Nakagawa Kenekichi(=中川健吉?)、Kogano Miyoji(=古賀野巳代治?)である。

彼らは、アメリカに来て数日しか経っていないので、英語が理解できないということで、全員に通訳が付けられた。

1 Sagara Kausabaroの証言

この証人は、別の宿に泊まっていて、事件の夜、11時半頃に、たまたまマニラから来た2人の船乗りとともに、チャーリーの下宿屋に来て、事件を目撃したと証言した。

「2人をドアのところに残して、部屋に入ったところ、チャーリーが船に空きがあったと言っているのを聞きました。重蔵と被害者が言い争いをはじめたのを見ました。榎本が2人をとめました。」その後、証人は、ドアのところに残してきた友人2人に先に帰ってくれと伝え、再び部屋に戻り、重蔵と村上の喧嘩を見た。証人は、しばらく、テーブルに座って、本を読んでいた。「しばらくして、重蔵が右手を後ろにして部屋に入ってきて、村上の左側を刺したのを見ました。でも、それは一瞬でしたので、重蔵が手に何を持っていたかはわかりませんでした。重蔵がなんでそうしたのかもわかりません。殺人をとめる暇もありませんでした。ただ、被害者が叫ぶのがわかっただけです。」

この後、検察官が、「重蔵が後ろから手を挙げた時に、彼の手にあったものを見たか」と質問したのに対しては、証拠となっているナイフだと答えている。

証人は、重蔵が村上を刺した後、榎本を攻撃したと証言した。

「重蔵は、ナイフを被害者の肩から抜いた後、それを引き寄せて、榎本の頭に向けました。それから、榎本が彼の腕をとったのです。その後、私は助けに行き、ナイフの柄の半分、刃から半分くらいのところをもちました。榎本はだれかナイフを包む布をくれと叫びました。彼は、ナイフを布でくるみ、ナイフを重蔵から取り上げました。そして、何かロープを持ってくるようにいい、重蔵の手と足をくくりました。その後で、警察官が入ってきました。私が知っているのは以上です。」

この後の弁護人による反対尋問で、証人は事件前にも何度か榎本の宿に行ったことがあるのではないかと聞くが、証人は、事件の時以外には行ったことがないと否定した。弁護人は、なおも、「午後とか夕方にいたことがあるのではないか。」「その日、ほかの時間、ともかくその日、9日に、そこにいたのではないか。」「以前、そこで寝たでしょう。」「そこに泊まったですね。」と、執拗に質問するが、すべて「いいえ」と否定した。

証人は一体なんのために、夜中の11時半にそれまで行ったこともない船員宿に行く必要があったのか。

「何か仕事が得られるのではないかと考えて、友達に会いに行ったのです。場合によっては、そこにいる友達と一緒に、仕事が見つかるのではないかと考えたのです。」

しかし、訪ねて行った友達の名前も思い出せないという。

弁護人「本当は、船員下宿主人の榎本に会いに行ったのではないですか。彼が、何人か船員を探しているという話を聞き、そこで仕事が見つかるのではないか、船に乗れるのではないかということで、彼に会いに行ったのではないですか。」
証人「いいえ。それについては何も知りませんでした。そこに行った時に、そのことを知ったのです。」

「公判記録」69頁をもとに作成。

証人は、宿の主人が船乗りの斡旋していることを、宿に行って初めて知ったといい、しかし、主人とはそれについて何も話していないという。

被害者と被告人との間で喧嘩が始まった時、被害者は平和的に話をしたのに対して、被告人は、乱暴で喧嘩腰だったと証言した。

ここで証人は、被告人はひどく酔っ払っていて、被害者も酔っていたと証言した。この点は、宿屋の主人の証言とは異なる。さらに、この証人は、「私が3、4度そこに行った時、彼が酔っぱらっているのを見ました。」と証言した。これは、事件の時に初めて行ったという前言と矛盾する証言である。

また、榎本は、重蔵が自分のベッドに座っていたと証言したが、この証人によると、重蔵は、ひとっ所におらず、何かぶつぶつつぶやきながら、うろうろとしていたという。

事件が起きるまで、被害者たちは何をしていたのか。この証人によると、被害者は「テーブルの上で本を読んでいました。」被害者だけでなく、たまたま来た証人も本を読んでいたという、2人の友人を入り口に待たせたままで。

このようにこの証人には腑に落ちない証言が多い。

さらに、証人は、榎本を含む他の船員たちとともに、留置場の同じところに留置されていた。そこで、弁護人は、証人たちの間で話し合って証言しているのではないかと疑い、「留置中に事件について話したことはないのか」と尋ねるが、「一言も話したことはない」という答えが返ってきただけだった。

2 Nakagawa Kenekichiの証言

続いて、登場した証人は、ハバナから来て2日目で榎本のところに下宿していた船員で、やはり英語通訳付きで証言した。

彼は、事件当日、朝から一日中宿にいて、事件の一部始終を目撃したと証言した。

証人「その日の夕方の早い時間から、私はテーブルのわきに座っていました。その間中、3人の人がいろいろなことについて話しているのを聞いていました。突然、最後に、日本人船乗りの仕事がある船が、ある日出発するということを聞きました。それから、死んだ男が最初に行く権利があると言い、重蔵が自分のほうが最初に行く権利があると言ったのです。そんな言葉をやり取りしながら、重蔵は、死んだ男を殴ろうとしました。しかし、そこにいた下宿屋の主人が2人の間に入って、彼らをとめました。チャーリーは、重蔵を寝台に連れて行き、寝かしたのです。」

「その後、10分か15分して、重蔵は、寝台から出て、テーブルのほうに来ました。それから部屋を出ていきました。チャーリーが重蔵に「どこに行くつもりだ」と聞きますと、彼は、「便所に行くんだ」と言いました。しばらく彼は戻ってきませんでした。その後、戻ってきましたが、彼がどうして戻ってきたのか、どこから戻ってきたのかは、わかりません。でも、戻ってきて、死んだ男を刺したのです。」

検察官「どのように刺したのかを話してください。」
証人「村上が刺されたことはわからなかったのです。重蔵がナイフをチャーリーに向けているのを見ました。その時に、彼を見たのです。」
検察官「村上はテーブルに座っていたのですか。」
証人「はい。」
検察官「あなたは、重蔵からナイフを取り上げるのを助けたのですか。」
証人「はい。」
検察官「ロープで彼を縛るのを手伝いましたか。」
証人「はい、足を縛りました。」
検察官「村上がテーブルの上で死んだのを見たのですね。」
証人「はい。」

反対尋問で、弁護人は、夕方から何をしていたのかと聞き、ゲームをしていたのではないかと、数度にわたって尋ねるが、証人は、「話をしていました。」と答えた。

証人は、村上だけがテーブルの上に座って、ほかの者は、周りの椅子に座っていたと言い、「部屋にはそのほかに椅子がありましたか。」という質問に対しては、「いいえ。」と答えた。

また、重蔵は少し酔っていたが、村上は酔っていなかったと思うとも証言した。

弁護人は、「村上はテーブルに座っていた時に、何か手に持っていたのを見たか。」と尋ね、「いいえ。」という答えを聞くと、「その下宿では、テーブルの上で足を伸ばして座る風習があったのか。」と尋ねた。この質問に対しては、検察官から異議が出て、弁護人は質問を撤回したが、「その夜、その下宿のテーブルの上で、村上がいた場所にだれかほかの者は座っていたのを見たか。」と質問し、これに対しても、検察官から異議が出た。

この質問の意図について、弁護人は、「事件の夜、その部屋でばくちが行われていたこと、死んだ男はいわゆる胴元であったことについて情報を得ています。彼がテーブルに座っていたのはそのためです。」と説明した。

弁護人は、最後に、この証人も他の船員仲間と一緒に留置されていたことを確認し、事件について話し合ったのではないかと尋ねたが、もちろん、答えは「いいえ」だった。重ねて、嘘を言わないという宣誓をしたことを確認したうえで、「事件の日から今日まで、あなたの友達の船員たちと、この件についてまったく話さなかったというのは、本当ですか。」と念を押して終わった。

3 Kogano Miyojiの証言

最後の目撃証人も、事件当夜、榎本の下宿に宿泊していた船乗りである。

証人「夕方早くから家にいました。長い間、自分のベッドに横になっていました。便所に出ていき、部屋に戻る途中に、ほかの部屋に誰かいるのを見つけました。」

事件現場となった部屋の隣が船員たちの寝室(別図参照)になっており、この証人は、この寝室にいたということのようである。

証人「そこに入り、彼らの話を聞きました。部屋に入った時に、重蔵と村上はだれが最初に行くかについて、もう言い争いをしていました。言い争いはじめてしばらくして、家の主人のチャーリーともう一人の船員が2人の間に入り、喧嘩を止めました。その後、下宿屋の主人のチャーリーは、重蔵にそんなことを言ってはいけない、静かにしたほうがいいと言いました。それから、彼をベッドに連れていき、横にならせました。しばらくして、重蔵は寝台から降りて、外に出ていこうとしました。チャーリーは、重蔵に、「どこに行くんだ」と聞き、重蔵は「便所に行くんだ」と答えました。それから、彼は外に出ていき、しばらく戻ってきませんでした。でも、しばらく後に死んだ男が座っている部屋に戻ってきました。被告人は、死んだ男の後ろに行って、ナイフを振り上げて、「この重蔵を知っているのか」と言いながら、死んだ男を刺しました。その後で、重蔵は死んだ男の肩からナイフを抜いて、近くに座っていた船員手配頭にそれを向け、彼を刺そうとしました。頭は彼をとめて、もう一人の船員が助けに行き、重蔵の手からナイフを取り上げて、布でくるみました。その後、別の船員も助けに行き、手足をロープで縛りました。」

この証人は、チャーリー・榎本のことを「船員手配頭(master of sailors)」と呼んでいる。そういう認識があったのだろう。

弁護人は、反対尋問で、この証人についても、留置中に他の証人と話したことはないかと尋ねたが、やはり答えは同じだった。また、事件の時、被告人はかなり酔っていたのではないかと尋ねるが、この証人は、「他人の話には慎重なたちでしたので、彼が酒を呑んでいたかどうかはわからなかったのです。」と答え、「酩酊の兆候は見ませんでした。」と答えた。この点は、他の人の証言と違う。

これで、検察官側の証人は終了した。次は弁護人側の証人尋問で、被告人が証言台に立つ。日本では、被告人には被告人質問であるが、アメリカでは被告人も証人となる。

◆事件発生から処刑までの年表はこちら

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村井敏邦(むらい・としくに 弁護士・一橋大学名誉教授)
1941年大阪府生まれ。一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授などを歴任。『疑わしきは…―ベルショー教授夫人殺人事件』(日本評論社、1995年、共訳)、『民衆から見た罪と罰―民間学としての刑事法学の試み』(花伝社、2005年)ほか、著書多数。