(第10回)実務家の判例形成への心意気(白石大)

私の心に残る裁判例| 2019.06.03
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

◎動産売買先取特権と集合動産譲渡担保の競合

1 構成部分の変動する集合動産を目的とする集合物譲渡担保権の対抗要件と構成部分の変動した後の集合物に対する効力
2 構成部分の変動する集合動産を目的とする集合物譲渡担保権と動産売買先取特権に基づいてされた動産競売の不許を求める第三者異議の訴え
3 構成部分の変動する集合動産を目的とする集合物譲渡担保権設定契約において目的物の範囲が特定されているとされた事例

最高裁判所昭和62年11月10日第三小法廷判決

【判例時報1268号34頁掲載】

動産甲をAに対して掛け売りしたXは、代金債権のための法定担保物権として、甲の上に先取特権を取得する(民法321条)。ところが、甲が運び込まれた倉庫内の在庫の全体に対しては、Aの債権者Yが集合動産譲渡担保の設定を受けていた。Aが弁済できなくなったとき、甲を担保として債権を回収することができるのは、Xか、それともYか。

ここで取り上げる最高裁判決は、このような、いささか技術的な担保法の問題を取り扱ったものである。法科大学院の1年生の時にこの判例をはじめて学んだ私は、技巧を凝らした最高裁の理論構成に興味をそそられるとともに、若干の違和感を覚えたことを記憶している。というのも、私が愛読していた教科書には、「実際の事件は、…大手商社間の担保の奪い合いであり、常識的には債権額に応じて分配するのがよさそうだが…」と書かれていたからである(内田貴『民法Ⅲ〔第3版〕』(東京大学出版会、2005年)544頁)。それならば、なぜ和解できなかったのだろうか?…きっと、XもYもメンツがあり、商売がたきに簡単に負けるわけにはいかなかったのだろう。私はさしあたりそのように理解し、自分を納得させた。

その後、3年生に進級し、「金融担保法」という科目を受講した私は、この理解が正しくなかったことを知る。驚いたことに、この講座の担当教授は、この事件当時にXたる日商岩井(現:双日)で法務課長をしておられた堀龍兒先生だったのである。堀先生によれば、甲の価格はさほど高くなく、大企業間の争いということもあって、普通ならばやはり和解で済ませるような案件だったそうである。しかし、当時の堀課長は、せっかく「動産売買先取特権と集合動産譲渡担保の競合」という理論的な重要問題が争いになっているのだから、勝敗はどうあれ最高裁の判断を仰いで判例をつくろうとお考えになったのである(この事件に関する堀先生ご自身の回顧はNBL1000号(2013年)32-33頁に掲載されている)。その結果はXの敗訴ではあったが、こうして生まれた本判決は、今ではどの担保法の教科書にも載る重要判例となっている。堀先生の、この判例を解説された時の誇らしげなお顔は、今も私の脳裏に焼き付いている。

ところで、本判決が出た直後から、本件のようなケースでXが勝つためには、所有権留保で自衛するほかないと指摘されてきた。とはいえ、それで本当にXが勝てるのかどうかは、この点を判示した最高裁判例が長らく出なかったこともあり、必ずしも明確ではなかった。しかし近時、ついにこの問題を扱った最高裁判決が出現し、所有権留保を使えばXが勝てることが明らかにされた(最二小判平30・12・7金法2105号6頁)。この事件で上告受理申立てを行った(そして結局敗訴した)のも、やはり著名な金融機関である。おそらく、この新判例が誕生する背後にも、金融実務家の判例形成に向けた熱い心意気があったのではないかと推測する。

私は現在、堀先生の後を引き継ぐかたちで、母校の「金融担保法」を担当している。自分が教えた学生のなかから、「判例をつくってやる」という気概を持った実務家がひとりでも多く生まれるよう、微力を尽くしていきたいと思う。

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白石 大(しらいし・だい 早稲田大学教授)
1970年生まれ。金融機関勤務の後、早稲田大学法科大学院を修了。早稲田大学助教・准教授を経て現職。
著書に、『担保物権法 第2版』(共著、日本評論社、2019年)、『START UP 民法3債権総論 判例30!』(共著、有斐閣、2017年)、『民法理論の対話と創造』(共著、日本評論社、2018年)など。