公共放送と法の行方―一つの訴訟を手がかりとして(稲葉一将)

2019.05.21

1 公共放送の理念と現実

憲法原理の転換とともに、大戦前の国家に奉仕した旧社団法人日本放送協会とは異なり、日本放送協会(NHK)は、主権者である国民から信託された公共放送事業の担い手として、国民の多様な表現欲求を実現し、また健康で文化的な生活を支えるために、1950年に制定された放送法が設立した法人である。

しかし、放送法を規定する構造は、憲法原理の転換期において構想されていたような「民主化」を内容とするものから、次のような特徴をもつものへと、大きく様変わりしている。すなわち、東西冷戦終結後、情報通信技術の革新によってグローバル化が進行し、私的経済秩序に適合する規制緩和政策が先進資本主義諸国で採用された結果、伝送路が多様化し、国境をまたいで存在するいくつかの巨大メディアが、情報と資本とを蓄積するようになった。

このようなグローバルに広がるメディア環境において生き残るために、いわばなりふり構わずに自己保存に向かうのか、それとも受信料を負担する受信者の信頼を獲得し、その市民的公共性を発揮することで、もう一つのグローバルな秩序形成に向かおうとするのか、NHKは、岐路に立たされているのではないだろうか。

そうはいってもすでにNHKは、受信契約締結主体として受信者を被告とする民事訴訟を提起していたのであり、受信者との法関係を形成し、裁判所の判決を得て、受信料債権を実現するという方向に舵が切られていた。この方向の適否について、最高裁がどのような判断をなすのかが注目されていた訴訟において、受信料制度合憲最判1)は、受信契約締結を強制する放送法64条1項が違憲ではないと判示した。

この最高裁判決を得てNHKの針路も、一層明確になった。その後、2019年3月には、NHKによるインターネット常時同時配信業務を可能にする放送法改正案が内閣から提出されており、この法案は現在、国会で審議されている(5月16日衆議院多数にて可決)。NHKは、国家機関の関与を得て、受信料収入の安定と業務拡大を目指している。

これとは対照的に、政府の放送政策は、民間放送事業者(民放)に対して、広告収入確保のための一層の経営努力を求めている。従来の総務省による放送政策とは異なり、内閣府に置かれた規制改革推進会議やこの下部組織の「有識者」委員が、電波制度改革を促す「発言」を繰り返した。

そして、内閣総理大臣に対する答申を受けて行われた閣議決定である規制改革実施計画(2018年6月15日)を実施するために、総務省とここに置かれた有識者会議が、地方民放局の「経営基盤強化」および「経営ガバナンスの確保」を、民放に求めている。

内閣総理大臣による「内閣の重要政策に関する基本的な方針」の案件発議権の明記を提言していた行政改革会議最終報告(1997年12月)【→首相官邸ホームページ】は、「内外環境が時々刻々変化」するのに即応し「大胆な価値選択と政策立案」を行うため、内閣総理大臣の「政治の基本方針ないし一般政策」を「共有」しつつ「一体となって国政に当たる存在」である内閣の機能強化を述べていたものである。放送業界に限ったことではないが、90年代行革の問題点を公正に報じてこなかったことが、ある意味で命取りになってきているのである。

それはともかく、放送法は、NHKと民放とが放送事業を分担する放送制度を採用している。どちらかの強化や弱体化のその先には、放送法という規範と制度の解体が待っている。放送制度がNHK強化に向かって展開してきているのであれば、これは、民業圧迫などという表層的な問題ではないのである。

2 放送法4条遵守義務確認訴訟の意義

(1)訴訟の経緯

NHKの現況は、国家との関係において健全な緊張や対立を保とうとせず、むしろ財源を負担する受信者と対立することで、その不満や不服が増大してきている。NHKが、市民的性格とともに有するその超市民(国家)的性格を隠さなくなってきているといっても、いいすぎではない。

しかし、受信者からの不満や不服の増大は、公共放送に対する無関心と私事への後退とは異なって、NHKが再び市民的存在へと転化しうるための一条件でもある。つまり、NHKの現況に不満を有する受信者のなかから、新しい公共放送像の探求が始まる可能性が全くないわけではない。さらに一歩進んで法関係の次元で、それを実現しようとする者が現れたとしても、不思議ではない。このことを企図して提起されているのが、奈良の放送法4条遵守義務確認訴訟2)である。

もともと、この訴訟は、受信料訴訟の被告となった受信者が任意で受信料を支払うと同時に、NHKを被告として、放送法4条1項2号および4号(政治的公平および多角的論点提示)等の遵守を求めて、民事訴訟を提起したものであった。その後、被告の主張に反論する意で、公法上の当事者訴訟も追加された。

(2)訴訟の主たる争点

訴訟は、奈良地裁において、原告と被告との間で準備書面の提出とこれへの反論が本格的に行われ始めた段階である。放送法4条1項2号および4号等の規定が、原告との関係における被告の具体的義務を定めたものであるのか否かが、主たる争点である。被告はこれを抽象的義務であると主張している。このような主張の基礎には、NHKによる訂正放送を「国民全体に対する公法上の義務」だと判示していた最高裁判決3)と同様の考え方が存在するように思われる。

抽象的義務または判例が採用する「公法上の義務」という放送法理解の仕方には、無視できない重大な問題が含まれている。これによれば、放送法違反の状態が存在する場合であっても、NHKと受信者との間には権利義務関係が成立しないので、受信者が争うための法的手段はない。それではNHKに義務が発生するのはどのような場合であろうか。

総務大臣は、放送法174条に基づき、放送事業者が同法に違反したときは放送業務の停止を命ずることができ、同法184条2号により、この命令に違反した者は処罰される(これと同様の電波法76条1項が、NHKには適用される)。総務大臣による業務停止命令によって、放送業務を停止するとともに、放送法違反状態を解消するという「公法上の義務」が発生するのであろう。

一般には克服されたはずの公法私法峻別論の一種が、「公共」放送事業を担うNHKの放送法理解において根強く残存していることには、驚かされる。かねて、これへの批判も有力に主張されていたのである。それは、放送事業者が国家に対してのみ責任を負うという「公法上の義務」という「人を惑わす伝統的な法概念」に対抗して、「特定の利害関係を背景とする市民」も放送制度の「運用」に「参加」し、「放送の『公共性』を目ざす」べきだというのが、「憲法・放送法の精神」であって、これこそが、放送法の「市民化」の「方向」であると述べていた主張のことである4)

大戦前にタイムスリップするかのような放送法理解を自ら採用することで、NHKが、市民社会からますます疎遠になって国家に近づいていくのは、無理のないことである。受信者との関係を「非法化」することで訴えが却下されれば、国家機関である裁判所が、NHKが放送した番組内容の適法性を判断すること(司法権の関与)を、回避できる。しかし、司法権の関与を免れたところで、行政権しかも準司法的な委員会組織の建前すらない独任制の総務大臣との関係で、「公法上の義務」を負うという「法化」に向かうのである。司法権の関与を嫌って行政権の関与を受け容れる、この変則的な「非法化」は、受信者個々の豊かな権利利益諸要求が、「公共の福祉」(放送法1条15条)に一般的に解消されてしまうこととあいまって、その正当性が再検討されなければならない。奈良の訴訟は、この「非法化」に対して異議を述べて、その再考を促すという意義を有するのである。

(3)受信料制度合憲最判との関係

本稿の終わりに、奈良の訴訟と受信料制度合憲最判との関係を確認しておきたい。最高裁は、「国民の知る権利」を実質的に充足するという目的のために、受信契約の締結を強制する法制度が違憲ではないと判示した。NHKが市民的存在であり、これと受信者とは対等平等の関係を形成すべきであれば、受信者が具体的な受信契約締結義務を負い、受信料支払義務が発生するのと同時に、受信者個々の具体的かつ豊かな内容の権利利益が実現するのでなければならない。この具体化のための法制度が整備されていないからといって、裁判所がそれを実現するのでなければ、受信者は、NHKの財源を負担するだけの存在となってしまう。

受信料支払義務が受信者とNHKとの「合意」によって発生すると最高裁は判示していたが、「合意」というからには、両者の間に権利義務関係が形成されていなければならない。個々の受信者の豊かな内容の権利利益が、「国民の知る権利」という一般的抽象的概念に解消されるのであれば、受信契約締結強制という法制度はその正当性を失い、NHKも、ますます超市民的性格を強く有するようになるなるだろう。

奈良で提起されている訴訟は、そうならないように、受信料制度合憲最判が合理的なものとなるような判断を、裁判所に要求している。放送倫理とは異質の放送法という「法」の存在理由を問い、その市民的公共性が発揮されるような法判断を要求しているのである。この事件を扱う奈良地裁の裁判官の良心が試されている。

このような訴訟が提起されていることを読者に知っていただき、引き続き、ご注目いただければ幸いである。

NHK問題を考える奈良の会ウェブサイト

稲葉一将(いなば・かずまさ 名古屋大学教授)
1973年生まれ。2012年より現職。現代行政法講座編集委員会編『現代行政法講座第2巻 行政手続と行政救済』(分担執筆、日本評論社、2015年)、「ネットワークに依存する国家行政と国家行政のネットワーク化」名古屋大学法政論集277号31頁以下などのほか、放送法研究の近著に、「【法律時評】2018年の放送制度改革—放送法の形骸化から崩壊へ」法律時報90巻8号(2018年7月号)1頁以下がある。

脚注   [ + ]

1. 最判平成29年12月6日民集71巻10号1817頁。
2. 第1事件が、平成28年(ワ)第380号放送法等遵守義務確認等請求事件である。
3. 最判平成16年11月25日民集58巻8号2326頁、裁判所ウェブサイト
4. 奥平康弘『ジャーナリズムと法』(新世社、1997年)348頁。