『オープンダイアローグがひらく精神医療』(著:斎藤環)

一冊散策| 2019.08.21
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

プロローグ 驚異の旅

ずっと疑問だったのだ。ケロプダス病院では、スタッフ一人当たりのケースロードが増えすぎてバーンアウトが起こったり、ミーティングの予約システムがパンクしたりということがなぜないのか? 現地で開かれた研修会に参加した私は、この問いを、講師をつとめる看護師のミア・クルティさんに率直にぶつけてみた。

ところがミアさんはこともなげに答えたのである。

「発症したら、すぐに治療チームが介入してミーティングを開くからですよ」と。

このさりげない回答は、その後私のなかでじわじわと衝撃を広げていった。なんということだろうか。この病院のスタッフは、オープンダイアローグによる早期介入によって、ほとんどの精神疾患の慢性化は防げると確信している。

個人的には、この言葉による衝撃が、この旅のひとつのクライマックスだった。

ドイツからフィンランドへ

二〇一五年八月二七日から九月四日まで、ドイツとフィンランドに出張した。ドイツではオープンダイアローグに関連した学会への参加を、そしてフィンランドではオープンダイアローグ発祥の地、トルニオ市のケロプダス病院を見学するためだ。私にとって今回のツアーはまさに〝驚異の旅〟だった。

今回の旅は、コーディネートしてくださった片岡豊さんの尽力で、スケジュールはじつに盛りだくさんだった。まず八月二九日には、ドイツのゾーリンゲンで国際学会 The20th International Meeting of the Treatment Of Psychosis に参加した。実質的にはオープンダイアローグの学会である由。

ヤーコ・セイックラ教授の基調講演はドイツ語で、九ヵ国語を操るポリグロット(多言語使用者)の片鱗をうかがわせたが、私たちは英語の同時通訳に懸命に耳を傾けるしかない。オープンダイアローグ研究の最前線についても触れていて、治療ミーティング時の自律神経系の反応や筋緊張などをモニターした結果、成果の上がったミーティングでは自律神経系の反応がシンクロしていたことや、〝シンクロ率〟を上げるためには「笑い smile」が大きな意味を持つことなどが報告された。この学会は当事者が何度も登壇して、まさに「当事者研究」的な対話をするのも印象的だった。

八月三〇日には、セイックラ教授の盟友で二冊の共著を出しているトム・アーンキル氏から、未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue)のレクチャーを受けた。氏との対話もきわめて実り多いものだったが、今回は割愛する。

いきなり、ひきこもり青年のミーティングに!

八月三一日にはヘルシンキからトルニオに飛び、九月一日からいよいよケロプダス病院での研修が始まった。初日はスタッフから簡単なレクチャーを受けた後、いきなり実際のミーティングに立ち会う機会を与えてもらった。

初日のケースはなんとゲーム依存のひきこもり事例ということで、幸運にも見学者二名の枠に入れてもらうことができた。自宅に行くのかと思いきや、ミーティングはトルニオ市の中心部にある外来クリニックで行われた。参加者は患者の青年一人と、心理士、看護師、そして私たち見学者の五人だ。

患者は二〇代の男性、学校でのいじめ被害をきっかけに、自宅にひきこもってしまった青年である。ミーティングはもちろんフィンランド語でなされるのだが、青年は英語も話せるので少し質問させてもらった。もう一年以上ミーティングを続けていて、初めは母親も参加していたが、今日はたまたま一人なのだという。

印象的だったのは、青年はこのミーティングがオープンダイアローグであることをほとんど意識していなかったことだ。面接の途中でスタッフ間のリフレクティングがなされたが、簡単な目配せと姿勢の変化を合図にごく自然に始まっていた。おそらく「そういうもの」という暗黙の了解が成立しているのだろう。これは二日目に見学したケース(うつ病の母とその娘)でも同じだった。

何をいまさらエビデンス?

こうした実践を見てつくづく思うのは、一対一の面接というスタイルの〝特殊性〟である。「個人精神療法」という、もう一〇〇年以上続いたフォーマット(「告解」も入れたら五〇〇年以上?)の優位性は、たかだか個人情報保護という点くらいではないだろうか。名人芸もカリスマも要らない治療ミーティングこそが、「本来的」で「当たり前」だったのではないか?

ケロプダスは公立の単科精神科病院として、人口約六万人の自治体(ケミ[doublehyph]トルニオ郡)の患者を一手に引き受け、あらゆるメンタルヘルスの問題に対応している。病床数は三〇床で、空床は常に一〇床前後確保されている。スタッフが治療ミーティングを行うのは、日に数例程度。仕事は一六時で終了である。だからスタッフが疲弊していない。

スタッフ全員が研修を受けた自律性の高いセラピストであり、オープンダイアローグが本当に有効な技法でなければ、こうした状況はあり得ないだろう。この見事な治療文化を目の当たりにすると、何をいまさらエビデンス? という気分になってしまうのもやむを得まい。

現地を訪問して改めて確認できたことは、オープンダイアローグの実践が、潤沢な医療資源を背景に生まれた思想などではないということだ。むしろ地方のあまり豊かではない小都市で、限られたインフラとスタッフを活用してどう地域のニーズに応えるか、工夫に工夫を重ねて鍛えられてきた実践であるということ。理論ありき、ではないのである。

たしかにこの地域の「治療文化」として醸成された手法ではあるだろう。しかし治療ミーティングには、そうした文脈を含めて、日本にも移植可能なアイディアが詰まっているという確かな手応えを得た。ここから先の展開は、私たち自身の「責任」において、進めていく必要があるだろう。

目次

  • I オープンダイアローグの可能性
    • 1 オープンダイアローグ
    • 2 こころのトポスはどう変わったか
    • 3 「開かれた対話」と「人薬」
    • 4 反‐強度的治療としてのオープンダイアローグ
    • 5 心理職とオープンダイアローグの可能性
  • II オープンダイアローグの現場から
    • 6 オープンダイアローグによる統合失調症への治療的アプローチ
    • 7 アウトリーチとオープンダイアローグ
    • 8 “コミュ障”は存在しない――開かれた対話と「コミュニケーション」
    • 9 「ほめる」こととリフレクティング
  • III オープンダイアローグを読む
    • 10 SF的視点が可能にした精神医療への批評 宮内悠介『エクソダス症候群』
    • 11 二人であることの病? 青山七恵『繭』
    • 12 ポリフォニーを“聞き流す” 坂口恭平『家族の哲学』
  • IV 人間回帰としてのオープンダイアローグ
    • 13 オープンダイアローグがひらく新しい生のプラットフォーム 村上靖彦×斎藤環
    • 14 オープンダイアローグの日本への導入に際して懸念されること

書誌情報など