(第1回)あなたの子育て、ノロわれてます!?

子育てのノロイを解きほぐす―発達障害の子どもに学ぶ(赤木和重)| 2019.09.05
「〇〇ができないとダメ!」「みんなと一緒でないといけません!」「子育て、かくあるべし!」……そんな子育ての“ノロイ”に、気づけばとらわれていませんか? 発達障害の子どもとかかわる心理学者の優しいまなざしが、私たちにかけられたノロイをやわらかくしていきます。

(毎月上旬更新予定)

はじめましての自己紹介

こんにちは。神戸大学で教員をしている赤木と申します。このたび、「子育てのノロイを解きほぐす―発達障害の子どもに学ぶ」というタイトルで連載を始めることになりました。1年間の予定です。どうぞよろしくお願いします。

初回ですので、自己紹介を少々。専門は、発達心理学です。自閉症スペクトラムなど発達障害のある子どもの心理について研究しています。同時に、保育園や学校を訪問して、先生方と一緒に、子どものことや授業のことについてあれこれ考える巡回相談という仕事もしています。

今回、編集者の方から「子育てについて連載を」とお声がけいただきました。「おぉ、私にも連載の依頼が来たぁぁぁ!」と嬉しくなりましたが、一方で、「ちょっとまじで無理」かもと感じました。

もちろん、子育ての経験がないわけではありません。むしろ、中学生と小学生の2人の父親で、子育て真っ最中の身です。しかし、ここだけの話、子育てに、確たる自信がありません。少し前も、娘に「お父さんはヘラヘラしているから、相談する気になれない」とクールに糾弾されました。私としては、父みずからが上機嫌の雰囲気を家庭内でかもし出すことによって、子どもが悩みを出しやすくしていたつもりだったのですが……。娘にとっては「ヘラヘラ」に過ぎなかったとは……。うーん、子育てって、難しい。

……と、子育てにはどうにも自信がありません。ですので、「私はこうして息子を東大に入れました! ウホゥ!」といったように、自分の経験を通して子育ての理想を語ることは到底できません。

ただ一方で、発達心理学者としては、現在の子育ての風潮で、気にかかっているところがあります。そこで本連載では、研究者の立場から、子育てのあり方について一緒に考えていくことにします。

子育てにかけられた“ノロイ”とは?

私が感じている、子育ての「気がかり」とは……

それは、一言でいえば、私たちの子育ては「ノロわれている」ということ。

私たちは、知らず知らずのうちに「子育て、かくあるべし」という硬直した正しさにとらわれ、縛られ、子育てが息苦しくなっているように感じます。そのノロイゆえに、子どもを追いつめ、そして、親自身も追いつめられている印象を受けます。

「私の子育てはノロわれていません! 失礼な!」と思う親御さんもおられるでしょう。すみません……。ただ、ノロイというのは、その渦中にいると気づきにくいものです。子育ての最中には自覚していないけれど、子育てが一段落したり、子育てがどうにもうまくいかないときに、初めて「あぁ、私は〇〇にとらわれていたんだ」と気づくたぐいのものです。

“ノロイ”の例をあげましょう。『呪いの言葉の解きかた』1)という本に、労働場面での典型的な呪いの言葉として「嫌なら辞めればいい」があげられています。長時間労働やパワハラ、セクハラ、残業代不払いなどについて声をあげた場合、上司や経営者から、この「嫌なら辞めればいい」という言葉が出されます。

たしかに、この言葉、強力ですよね。この言葉を突きつけられると、「そんなに嫌なら辞めたほうがいい。なのに辞めないでいるのは自分なんだから、我慢しないと」と考えそうになります。しかし、本来は、辞める/辞めないの問題ではなく、長時間労働やパワハラを強いてくる経営者側に問題があるはずです。「嫌なら辞めればいい」という一見するともっともに感じられる言葉にからめとられないようにするには、「この言葉や考えは“ノロイ”だ」と自覚することが必要です。つまり、知らず知らず自分の自由をせばめる悪意のある言葉や考えだと気づくことです。

子育ては、とくに、このノロイが効きやすい領域です。

すべての親が、最初は子育て未経験です。にもかかわらず、すべての親が、子どもには絶対に幸せになってほしいと願っています。

「子育て未経験」なのに、「子どもには幸せになってほしい」と願う。すると、「こうすれば子育てはうまくいく!」といった正解が欲しくなるのが、人情というもの。しかし、子育てに「こうすればよい」という正解は残念ながらありません。絶対にありません。親の性格、子どもの性格、家庭の事情、現代社会の状況など無数の要因があるため、「これ!」という正解は出せないのです。

でも、やっぱり正解がほしい。子どもに幸せになってほしいから。

すると、「子育て、かくあるべし」という硬直した「正解」(実は幻想です。繰り返しますが)が漂ってきて、ノロイという見えないお化けに変身し、子育てを縛り、息苦しいものに変質させます。

とはいえ、「子育てに正解はないのです、はい、残念」と上から目線で突き放すつもりはありません。まずは、子育てにかかっているノロイの正体を突きとめ、そして、ゆっくりほぐします。そのうえで、子育てで大事にしたいことを、提示していくことにします(もちろん、あくまで1つの意見ということです。あしからず)。

発達障害の子どもが教えてくれること―「できるのがよい」というノロイ

とはいえ、ノロイとは、見えないもの、気づきにくいものであると前述しました。ノロイに気づくのは難しいものです。そこで、ノロイを見えやすくするために、本連載では「発達障害」をキーワードにします。

発達障害とは、自閉症スペクトラムや学習障害、注意欠如・多動性障害などを指します。平易に言いますと、知的には遅れがないけれども、コミュニケーションがぎこちなかったり、読み書きに困難を抱えていたり、落ち着きがなかったりするような特徴をもつ障害のことです。一見すると障害の存在がわかりにくいため、「見えない障害」と呼ばれることもあります。もっとも、「見えない」と言っても当事者にとっては些細なことでは決してなく、生きづらさにもつながる困難さを示すことがしばしばあります。発達障害についての詳細は、厚生労働省の解説などをご参照ください。

ノロイを見えやすくするために、なぜ発達障害を手がかりにするのでしょうか。それは、発達障害の存在が、私たち世間が無意識に思い込んでいる「こうすべき」とか「大事だと思っていること」に対して、その障害ゆえに「それってほんまなん?」という疑問を突きつけてくれるからです。

例をあげましょう。ある小学校の特別支援学級を参観していたときのことです2)

自閉症スペクトラムと知的障害があり、多動傾向のカズホくん(仮名)に、担任の先生が算数の問題を出していました。問題は、「18+3は?」でした。先生としてはできると思って出したのですが、カズホくん、答えにつまってしまいました。

みなさんが担任の先生なら、このときどうしますか?

多くの場合、「21」という答えを導くためのヒントを教えるのではないでしょうか。8+3に分解して考えさせてみたり、積み木を使って具体的に考えさせたりなどです。そして、万策尽きれば、「に、に、にじゅう……」と、それ数字当てゲーム? みたいな声かけになるかもしれません。私も、当たり前のように、どういうヒントがいいかな……と考えていました。

ところが、担任の村上公也先生は違いました。興奮して、「そうや、それが考えるってことや! よう考えてるなぁ」と、カズホくんに声をかけたのです。

私は「エッ!」と思う同時に、ハッとしました。答えにつまる、ということは、考えているということですよね。とくに、多動の子どもの場合、「つまる=考える」ことがどれだけすごいかは、私の臨床経験からも納得できます。多動の子どもが難しい問題にあたると、席から離れることも多いからです。そもそも、じっと考えることができれば、多動にはなりにくいですよね。考えることの大事さを見抜く村上先生の視点に、私はハッとしました(村上先生は他にも数々の興味深い実践をされています3))。

もう1つハッとしました。私たちは、「できることがよい」というノロイにとらわれているんだとハッとしました。私たちの多くは、「できることがよい」と当たり前のように考えています。だからこそ、子どもが「18+3ができない」ことを目の当たりにすると、「できる」ようにしようと必死で考えます。

「できること」は大事です。でも、ノロイでもあります。なぜなら、「できること」にとらわれ、縛られることで、子どもの「考える」という大事な姿が見えなくなってしまっていましたよね、私たち。

子育ても同じです。子どもの幸せを願うあまり、私たちは「できること」に縛られていることが多いように思います。私も、親として、わが子にできることが増えてほしいなぁ、と思います。英語が話せるようになってほしい、友だちがたくさんできてほしい、背泳ぎができるようになってほしい……。でもでも、それだけだとノロイですよね、と、村上先生のエピソードは教えてくれます。

「できることがよい」というノロイは、子どもの素敵な思いや悩みを見えなくさせる可能性があります。「できないけど考えている」「できないけど頑張っている」「できるけど無理している」……そんな子どもの思いが見えなくなるのが、親子にとって実は一番怖いことなのかな、と思います。

「できる/できない」の手前で、子どもは何を願い、何を悩んでいるのか。ノロイをほぐして、そこを見つけるやわらかな視点をもちたいものです。そして、そのまなざしは、子どもに届き、子どもの心をやわらかくしていきます。

このように、発達障害の子どもたちの姿や彼らに対する支援に学びながら、私たちは何にノロわれているのか、そして、どうほぐしていけるのかを、一緒に考えていきましょう。

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赤木和重(あかぎ・かずしげ)
神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門は発達心理学、インクルーシブ教育。同時に、保育・学校現場に入り、子どもや教師の姿に感動し、それを理論化する仕事をしている。著書に『アメリカの教室に入ってみた:貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』(ひとなる書房)、『目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門』(全国障害者問題研究会出版部)など。現在、わが子とのポケモンカードバトルに夢中。

脚注   [ + ]

1. 上西充子『呪いの言葉の解きかた』晶文社、2019年
2. 赤木和重『目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門』全国障害者問題研究会出版部、2018年
3. 村上公也、赤木和重『キミヤーズの教材・教具:知的好奇心を引き出す』クリエイツかもがわ、2011年