『私たちが国際協力する理由—人道と国益の向こう側』(著:紀谷昌彦+山形辰史)

一冊散策| 2019.08.29
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はじめに(山形辰史)

東京にはアジアからの旅行者が増えてきました。中国人や韓国人のみならず、タイ人やフィリピン人、そしてインドネシアやマレーシアからのイスラム教徒の観光客が増えてきたことにお気づきでしょうか。東アジアの人々は、国民のうちかなりの層が海外旅行するほど豊かになったといえます。一方、シリアやイエメン、南スーダンやアフガニスタンなど紛争が多発する国々では、日々の安全が脅かされ、食料や生活必需品も十分ではありません。繁栄してグローバル化する世界がある反面で、暴力や栄養不良が日々の深刻な憂いである世界が同時代に併存しています。私たちが国際協力する理由---人道と国益の向こう側

私たち、二人のこの本の著者は、共に 1960 年代に生まれました。そのころ日本はある面では欧米に追い付き、その他の面ではかなりの後れをとっていました。日本人は徐々に、日本のことだけを考えるのではなく、世界に対して貢献するリーダーとなることも思い描くことができるようになっていました。

二人とも 1980 年代後半に大学を卒業し、紀谷は外交官として、日本が世界に接する前線に立つようになりました。ナイジェリア、アメリカのワシントン DC、バングラデシュに駐在して、日本の外交や国際協力の現場を経験します。山形は研究者として職業生活に入り、1990 年代後半から、何冊かの開発経済学の教科書を執筆したり編集したりしました。そして 2004 年にバングラデシュで紀谷と出会います。そのころ日本政府は主要な援助受入国について国別援助計画を作成しようとしており、紀谷と山形はそれぞれ実務レベルで、バングラデシュ現地 ODA タスクフォースの調整役(紀谷:在バングラデシュ日本国大使館経済協力班長)と東京タスクフォースの主査(山形:アジア経済研究所研究員)という立場で、協力して日本の対バングラデシュ国別援助計画の原案を作成しました。

二人が社会人になった 1980 年代後半から今日まで、世界や日本には大きな変化がありました。1991 年にソビエト連邦が崩壊して、東西冷戦構造が消滅しました。1990 年代前半に日本の政府開発援助(ODA)供与額は世界一でしたが、その後はアメリカやヨーロッパのいくつかの国々に追い抜かれていきます。中国を含む東アジア諸国は貧困削減と経済発展を進め、中国は今や大きな援助供与国になっています。日本の国際的な地位も、多くの分野でアメリカと肩を並べた、と思われていた 1990 年代と現在とでは、少なくとも相対的な意味での低下が見られます。

そんな中で私たち二人は、2019 年の今現在、日本と世界の関係や、国際協力・開発援助のあるべき姿について、これまで様々な場で議論・発信してきた考えを整理して世に問うべきではないかと思いました。というのは、特に国際開発における「国益」の位置付けが、(第 1 章で詳述するように) 2015 年の開発協力大綱の閣議決定以来、重みを増してきたのではないかと思われているからです。国益を国際開発の中でどう位置付け、具体的にどう解釈するのか、という問いは長く議論されてきました。それが今日、新しい重要性を有する課題として、国際協力に従事する人々に突き付けられています。

この課題に対して我々二人は、それぞれの見方、姿勢を持っています。二人の見方や姿勢がすべて完全に一致していたわけではありません。しかしその違いも含めて立論し、読者の議論に付すことが有意義だろうと考えました。そこで本書を「意見の応答」の形で構成するように企画しました。

まず第 1 章では山形が、国際開発の文脈における国益の現れ方について問題提起をします。「誰のために」という言葉を吟味した後で、「何のために協力すべきか」という論理を整理します。これらの整理を念頭に置きながら、読者が本書を読むことを求めます。

第 2 章では紀谷が国益に世界益を対置します。開発で世界益を追求し、外交で国益を達しようとするわけですが、両者が必ずしも対立・矛盾するとは限らないことに、国益と世界益の両立と共存、同時達成と相乗効果の可能性を見出します。

これに対して山形は第 3 章で留保を表します。現在「世界益」の象徴と目されている「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」でさえも、17 もの多くの目標の集合体となっていることから、世界各国の国益に応じた「良いとこどり」が許される構造になっており、「国益と世界益の両立」の手段となり得ていないことを嘆きます。むしろミレニアム開発目標(Millennium Development Goals : MDGs)が真剣に追い求められていた 2000 年代の最初の 10 年のような時代が再び訪れることに期待を示します。

それに対して第 4 章で紀谷は、国益と世界益の両立の具体的な姿を、これまで自身がワシントン DC やバングラデシュ、南スーダン、そして日本で取り組んできた事例を用いて明らかにします。日本の優位性や得意分野を国際貢献に活かすことで、日本政府・企業・NGO の活躍が、国益と世界益の双方に資するような取組を推進し、日本国民の支持・参画と世界からの評価・感謝の双方を高めることが可能である、それが本当に実現できるか否かは私たち一人ひとりの姿勢と努力次第であると主張します。

二人の著者は、現在の世界の一国中心主義が広まっている状況への問題意識を共有しており、それが本書の出版の動機となっていたのですが、国益・世界益に関する現状認識や取り組み方の提案については別個の意見を持っています。それらを交互に各章に配置しました。その意味で本書は共著というより「競著」と呼ぶべきかも知れません。読者の皆さんには、我々二人の見方のどの部分に賛成するか、反対するかを考えていただき、今度は読者の皆さんが、日本や世界で意見表明し、そしてその自らの意見を自らの立場で行動に移していただければ幸いです。

おわりに(紀谷昌彦)

これまで、国際協力は何のためなのか、「世界益」と「国益」の関係、開発問題を巡る国際社会の動向と私たちとの関わりといったテーマについて、皆さんと一緒に考えてきました。ここまで読んでいただき心から嬉しく思います。

国際開発における「国益」の位置付けを考えることが、この「競著」を執筆するきっかけでした。しかし、私自身がこの本を書き進める中で、皆さんに一番お伝えしたいと感じたことは、「私たち一人ひとりの力で、世界は良い方向に変えられる」ということです。私は 30 年以上前に外務省に入り、政府の一員として、ナイジェリア、バングラデシュ、南スーダンの現場で、またワシントン DC や東京といった援助協調・政策立案の前線で、大統領や首相、閣僚との協議から、地方の村落や避難民キャンプでの支援まで関わってきました。その中で実感してきたのは、日本をはじめとする先進国や途上国、国際機関など幅広い人たちの日々の努力により、途上国の貧困・開発の状況は着実に良くなってきた、ということです。一人の力は限られていますが、様々な人たちが各々の立場からの努力を組み合わせることで、実際にこれまで大きな成果を上げてきたのです。

しかし、第 2 章で見たように、今も世界では、まだまだ多くの人たちが、貧困や飢餓、教育や保健の問題に苦しんでおり、開発への取組は道半ばです。私たち日本人は、日々の生活ではなかなか接することはありませんが、そのような格差が厳然として存在しています。多くの日本人は、多くの開発途上国の人達と比べてはるかに恵まれています。日本と日本人ができることは、たくさんあります。

これまで本書で述べたとおり、日本は、自らが生き残っていくという「国益」のためにも、世界をより良いものにするという「世界益」のためにも、途上国の開発・貧困の問題に対して大きな貢献ができます。そもそも、自らが生き残らなければ世界への貢献はできず、逆に自らが生き残ることで初めて世界に貢献できるのです。世界がどうなるかは「他人事」ではありません。日本は他の主要国とともに世界の運営に責任を有していますし,世界がどのように運営されるかにより、大きく影響を受ける存在です。日本のリーダーシップの潜在力、そしてリーダーシップを発揮しないことによる機会損失を過小評価してはいけません。

そのために、日本の強みを世界に生かしながら日本と日本人が生存し続けるための大戦略、日本と世界が共栄するためのビジョンの中核の一つとして「国際協力」を位置付け、日本に強みのある様々な分野で「ジャパン・アジェンダ」として具体化し、実施していくことが大事だと思います。まずは、日本に強みがあるテーマを特定して省庁・組織横断的に専門性を高め、イノベーションも活用して深掘りすることが重要です。さらに、それを実際に開発途上国の現地で実施に移すための体制強化と人材育成も不可欠です。このためには、国際協力を担う組織のマネジメントを強化していくことが鍵になります。これらはすべて、日本自身のためにも役立つことです。最近の国際保健分野での取組は、一つの参考例になります。

日本の ODA 供与額については、日本の経済力や国民意識から遊離した存在ではあり得ません。それゆえに、日本経済の発展に伴い世界第 1 位の額まで増加し、バブル崩壊後には逆風が吹き続けて減少しました。今の日本の ODA 供与額は、対国民所得比で見れば、多くの欧米諸国と比べて低い水準にあります。そのような日本にとって大事なことは、 ODA を「国益」と「世界益」の双方にとって効果的・効率的に使うことで、額を少しでも増やしていくことだと思います。その点からは、日本が SDGs で地方創生を推進し、国内の格差を縮めながら、地方発・日本発の SDGs モデルを世界に広げていくこと、その一環として ODA を活用して途上国への国際協力を官民連携で進めていくというアプローチが有効ではないかと思います。

このように、世界の不条理を変えるために、世界の中で恵まれた日本が、「国際社会の中での社会政策」に取り組むことは、日本自身の「志」としても大事ではないでしょうか。それは、日本への感謝・信頼・敬意を通じて日本自身のためになりますし、そもそも日本のあるべき姿、進むべき道ではないでしょうか。皆さんは、どのように考えますか?

結局のところ、国際協力は、一人ひとりの人生観・哲学に関わる問題でもあります。例えば、三原朝彦衆議院議員(自由民主党国際協力調査会会長)は昨年、地元の有権者を招いての会合で、アフリカで病気の子どもを抱いた経験に触れながら、自分の政治家としての使命は世界の貧困問題を解決することである、と挨拶し、会場で聞いていた私は感銘を受けました。また、私自身の原体験として、大学に入ったころ、世界に貧しい人たちがたくさんいるのに、自分はこれほど恵まれていてよいのかと悩んだことがありました。そのときに、第 1 章でも紹介されている道徳・政治哲学者ジョン・ロールズの『正義論』という本と出会い、自分が恵まれた生活をしたとしても、それを生かして世の中に還元すれば、自分の恵まれた生活は正当なものとなり得るという立論を知りました。私自身、今まで多くの貴重な経験をすることができたので、開発問題への自分なりの取組を通して、皆さんと一緒に、少しでも多く世の中に還元したい、「恩返し」ならぬ「恩送り」をしたいと思っています。

本書を通じて皆さんが、本書の表題である「私たちが国際協力する理由」について考えを深めることで、開発問題と国際協力を「じぶんごと」にして、自らの立場から具体的に行動するためのきっかけとなれば幸いです。これまで、もう 50 代になった両著者や、多くの先人達が、様々な形で国際協力に取り組み、世界を変えてきました。今度は、あなたがバトンを受け継いで、世界の将来を変える番です! 何から始めますか?

目次

  • 第1章 問題提起:国際開発は国益とどう向き合うべきか? …山形辰史
  • 第2章 日本と世界のための政府開発援助(ODA)…紀谷昌彦
  • 第3章 持続可能な開発目標(SDGs)の行方…山形辰史
  • 第4章 日本の強みを世界に生かす発想と実践…紀谷昌彦

書誌情報など