(第14回)受験数学のはじまり—明治 16 年の大学予備門の入学試験問題 より
(毎月上旬更新予定)
明治 5 年 8 月 2 日,太政官より学制が発布され,小学校では和算が退けられて洋算,すなわち西欧の数学が教えられることになりました.小学校に続いて中等高等教育機関の整備が行われ,さまざまな種類の学校が出現しこの趨勢に伴って入学試験が実施されるようになったのはごく自然な成り行きでした.数学の入試問題を観察すると,当初は算術,代数,幾何と大きく三部門に区分けされていましたが,少しのちに三角法が加わりました.
明治 10 年に東京大学が発足し,同時に予備教育機関として東京大学予備門が設置されました.次に挙げるのは明治 16 年 6 月に施行された予備門の入学試験問題のうち,算術問題の第 1 番です.
一柱あり.六分の一は泥に於て,四分の一は水に於て,二十壹尺は水上に在るときは柱の長さ幾何なるか.
算術問題というのですから,方程式を立てずに解くことが要請されているのかもしれません.第 2 番は
八千四百六十萬四千五百十九の立法積を問ふ.
という問題です.立法積というのは立体の体積を指す言葉ですが,ここでは体積が 84604519 となる立方体の 1 辺の長さが求められているのであろうと思われます.それなら 3 乗根と同じことで,$\sqrt[3]{84604519}=439$ という数値が見つかります.第 3 番は「Abstract and concrete number を解明せよ」という問題です.いまではあまり見かけない言葉ですが,「7 匹の亀」「スイカが半分」などというときの 7 や $\dfrac{1}{2}$ は「concrete number (具体的な数)」で,1そのものや $\dfrac{1}{2}$ そのものは「abstract number (抽象的な数)」と呼ばれています.数それ自体を考えるのは和算には見られないことで,この点を識別しようとするところに古典ギリシアの系譜に連なる西欧の数学の特徴が現れています.