(第17回)藤澤利喜太郎の洋行(後) — ストラスブルクにて
数学の泉(高瀬正仁)| 2020.02.04
数学に泉あり。数学は大小無数の流れで構成されていて、今も絶え間なく流れ続けている雄大な学問ですが、どの流れにも源泉があり、しかもその源泉を作った特定の人物が存在します。共感と共鳴。数学の泉の創造者たちの心情と心を通わせることこそが、数学を理解するという不思議な体験の本質です。そこで数々の泉を歴訪して創造の現場に立ち会って、創造者の苦心を回想し、共感し、共鳴する糸口を目の当たりにすることをめざしたいと思います。
(毎月上旬更新予定)
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藤澤利喜太郎は1883年(明治16年)12月14日にベルリンに到着し,12月20日付でベルリン大学に入学しました.この時点で満22歳です.ベルリン大学の正式な校名はフリードリヒ・ヴィルヘルム大学(Friedrich-Wilhelms-Universität)ですが,第2次世界大戦ののちベルリン・フンボルト大学(Humboldt-Universität zu Berlin)と改称されました.