(第20回)マクリーン最高裁大法廷判決の弊害(空野佳弘)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
マクリーン事件上告審判決
憲法の基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としているものを除き、外国人にも等しく及ぶとしながら、保障された政治活動を不利益に斟酌した法務大臣の在留期間更新の不許可処分を違法ではないとした事例
最高裁判所昭和53年10月4日大法廷判決
【判例時報903号3頁掲載】
2019年の秋、あるペルー人家族が大阪地裁で敗訴判決を受けた。母親と高校3年生の長女及び高校1年生の長男の3人家族である。子ども達はいずれも日本生まれで本国には行ったことがない。7年前になされた在留特別許可の不許可処分については前訴で敗訴が確定し、父親はすでに送還されていたが、7年間の間に小学校高学年、中学校、高校と日本で高等教育を受けてきたので、前の裁決時からは事情が大きく変更したことを理由に不許可裁決の撤回の義務付けを求めたものである。判決時、長女はすでに日本の大学の合格通知を受けていた。
地裁は、義務付け訴訟の訴訟要件である重大な損害は認めたが、裁決の撤回を義務づけるべきかどうかの実体判断のところでは、裁決後の7年間は不法残留の継続に過ぎず、裁決後の事情として考慮することはできないとした。子ども達には責任はないのに、あたかも在留資格のない外国人には人権は保障されないと言わんばかりである。2回にわたる子ども達の裁判官の前でのうったえは裁判官の心に届かなかった。まことに冷たい判決であった。
わが国が加入している子どもの権利条約は「子どもに関するすべての措置をとるに当たっては、……裁判所、行政当局……によって行われるものであっても、子どもの最善の利益が主として考慮されるものとする。」(子どもの最善の利益原則)と定めている。また、自由権規約は家族と子どもの保護の規定を置いている。この条約規範からすると、少なくとも追放が子ども達に与える深刻な打撃もやむを得ないとする公共の利益が存するかどうかの審査が必要と考えられるが、それさえもなされない。上の条約の規定は、裁量判断を制約しないとする。魔法のように条約上の規範が消されてしまうのである。
このようなことが可能となる背景には、40年以上前のマクリーン事件最高裁判決が存する。この判決は、外国人は憲法上わが国での在留の権利や引き続き在留することを要求する権利は保障されていないということを出発点として、在留期間の更新事由の存否の判断は法務大臣の広範な裁量に任されており、判断の基礎とされた重要な事実に誤認があることなどにより判断が全く事実の基礎を欠くか、または事実に対する評価が明白に合理性を欠くことなどにより、判断が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかな場合だけ、裁量権の逸脱ないし濫用により違法となるとした。
その結果、英語教師であった米国籍のマクリーン氏の在留期間更新申請についてベトナム反戦デモへの参加等を理由になした法務大臣の不許可処分を適法とした。また、この判決は、外国人の基本的人権の保障は外国人在留制度の枠内で保障されているにすぎず、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障は及ばないとした。この事案では憲法上の権利の行使として認められる政治活動さえも不利益に斟酌してよいとする判断であった。この判決に無批判的に従うと、行政の裁量権を限りなく広くとらえ、外国人の痛みを顧みず、個別事案の慎重な審理をおろそかにする下級審の裁判官が少なからず出てきても不思議ではない。このマクリーン最高裁判決は、外国人が多数居住する今日にあって、弊害を生み出しているように思える。
それでも、大阪高裁2013年12月20日判決(判例時報2238号3頁)のように、行政が自ら定めた在留特別許可のガイドラインの趣旨が手続の透明性及び公平性にあることに着目し、裁決時小学校2年生を含むペルー人家族の訴えを認め不許可裁決を取り消した判決も存する。平等原則を裁量統制に持ち込んだものと見なしうる。このほか事実認定の過誤を正すことや、比例原則を適用して処分を取り消すなど、憲法に基づく法の一般原則により行政裁量を統制せんとする裁判例の流れも存する。これらの判決はマクリーン最高裁判決に無批判的に従うのではなく、個別ケースにおける事案の深刻さを正面からとらえて司法の職責を果さんとするものだと考えられる。外国人受け入れ政策が大きく変わろうとしている今日にあって、マクリーン最高裁判決はどうしてもとらえ返しが必要と思われる。
裁判官出身の最高裁判事であった泉徳治氏は、退官後の2011年2月号の「自由と正義」の中で次のように書かれている。「マクリーン基準のあまりに緩やかな表現に便乗して、裁量権統制の諸法理を踏まえた個別審査を実質的に回避するようなことは許されない。個別審査も、憲法、条約等に従って行わなければならない。」「マクリーン基準を楯にした抽象的・観念論よりも、実態を重視し、具体的に公正妥当な結論を求めていくべきである。本稿で紹介した判例は、ゆっくりとした足取りながら、裁判実務がその方向に向かっていることを示している。人権判断の国際水準適合性を目指して、更なる判例の積重ねを期待したい」と。
一人でも多くの法律家が耳を傾けるべき言葉だと思う。
◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。
「私の心に残る裁判例」をすべて見る
1951年生まれ。司法修習37期、1985年大阪弁護士会登録。人権擁護委員会国際人権部会に所属。外国人在留権訴訟や難民事件に従事。
著書に、『いま、在日朝鮮人の人権は?』(共著、日本評論社、1990年)、『となりのコリアン:日本社会と在日コリアン』(共著、日本評論社、2004年)、『国際人権法実践ハンドブック』(共著、現代人文社、2007年)、『日本における難民訴訟の発展と現在』(共著、現代人文社、2010年)など。