(第21回)(多分)国際法違反の法律なのに、違反したらなんで有罪?(川瀬剛志)

私の心に残る裁判例| 2020.03.02
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

豚肉差額関税事件東京高裁判決

一 被告人らが、外国産豚肉を輸入するに当たり、内容虚偽の輸入申告を行って差額関税をほ脱したという関税法違反の事案において、WTO農業協定4条2項は、わが国の裁判規範として直接適用されるものではなく、豚肉の差額関税を定めた関税暫定措置法2条2項、別表第一の三は、WTO農業協定に違反して無効となるものではないとされた事例

二 関税法違反の事案における量刑は、保護関税としての特性を踏まえ、重視すべきは、保護すべき当該国内産業に対する侵害の程度であり、当該輸入貨物の内容・性質、量及び価格並びに当該輸入取引の内容等を総合考慮して判断するのが相当であるとした事例

東京高等裁判所平成28年8月26日判決
【判例時報2349号120頁掲載】

法学部に入学してこのかた34年、専門柄『判例時報』にお世話になることはあまりなく、国内法判例に触れることもほぼ皆無だ。そんな筆者が研究・教育の必要上熟読し、頻繁に触れる極めて限られた国内判例のひとつがこれだ。

本件は被告人が豚肉差額関税の脱税により、関税法違反を問われた案件である。被告人は法令自体がWTO農業協定4条2項違反で無効であると訴えたが(憲法98条2項により条約が法律に優位)、あえなく退けられ、有罪判決を受けた。

これは国際法でいう、いわゆる条約の直接適用の問題である。ほぼ同様の事案に関する平成25年の判決(東京高判平25.11.27判タ1406-273)も検討が十分とは言いがたいものだったが(情けないことに、ECJ判決(Portugal v. Council (Case C-149/96))のほぼ「翻訳」)、本件判断も教科書的説明の域を脱していないように思われる。 裁判所のロジックは、WTO協定の法構造は直接適用を予定しておらず、わが国にその意図はない、また米国やEUも認めていない、ということに尽きる。

では、本当はわが国の制度はWTO協定違反なのか、と問われれば、多分、と答えるだろう。チリ・農産物価格帯事件(DS207)、ペルー・農産物追加関税事件(DS457)におけるWTO上級委員会の判断によれば、関税率が継続的に変動し、一定の最低輸入価格を設定する効果のある措置は、すべからく農業協定4条2項に違反する。個人的には問題のわが国制度もこの例に漏れないと考えている(川瀬「【WTO パネル・上級委員会報告書解説⑰】ペルー-農産物輸入に対する追加課徴金(DS457)-可変関税制度およびWTO協定と地域貿易協定の関係に対する示唆-」RIETI Discussion Paper(2017年))。

必ずしも国際経済法に知悉しているとは言えない裁判所にとって、実質的な判断を回避できる直接適用論はたしかに便利だ。しかし、特に本件は刑事事件であり、懲役刑を科される被告人の不利益は計り知れない。にもかかわらず、本判決には、WTO協定が紛争解決手続を通じた権利義務の実施を予定していること、また、米国やEUが直接適用を明示的に排除したことが、なぜわが国に直接適用の意思がないことの証左なのか、十分な説明は見られない。また、裁判所も認識するとおり、WTO協定16条4項は特に国内法令の協定適合性確保を義務付けているにもかかわらず、立法、行政の怠慢を全く斟酌しないのも公平性を欠く。あまつさえ、関税譲許表の性質に関する本判決の理解は明らかに誤りといえる。

断っておくが、筆者は決して脱税を擁護するものではない。しかし、裁判所には、「公平な裁判を通じて、憲法で保障されている私たちの権利や自由を守る」(政府広報オンライン)役割が期待されている。条約違反の可能性がある法令の下で刑事責任を問われ、その点に深い検討がないまま被告人を獄に繋ぐことは、果たしてこうした裁判所の役割に適うのだろうか。

本件も、結果はともあれ、「教科書丸写し」的な論理によるで門前払いではなく、WTO協定の深い理解に基づき、問題の法令の協定適合性や事案の性質を踏まえた、より視野の広い検討が必要ではなかったのだろうか。謙抑も度が過ぎれば、行政府に都合のいい無知でおとなしい司法府であって、立憲主義の視点からは見過ごせない。加えて言えば、これまでも繰り返し司法試験における選択科目廃止が検討されてきたが、著しい六法偏重の法曹養成は、こうした消極的で視野の狭い裁判所のあり方を助長するだけである。


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川瀬剛志(かわせ・つよし 上智大学法学部教授)
1967年生まれ。神戸商科大学商経学部助教授、経済産業省通商政策局通商機構部参事官補佐、大阪大学大学院法学研究科准教授などを経て現職。
著書に『WTO紛争解決手続における履行制度』(共著、三省堂、2005年)、The Future of the Multilateral Trading System: East Asian Perspectives(共著、CMP Publishing, 2009年)、『地球温暖化対策と国際貿易──排出量取引と国境調整措置をめぐる経済学・法学的分析』(共著、東京大学出版会、2012年)など。