(第19回)眼には眼を、歯には歯を
歴史ある法格言には、法学の真髄を伝えるものが数多くあります。法格言を知ることから、法学の雰囲気に触れてみませんか?
本記事は、「法学セミナー」1984年11月号別冊付録として世に出された、柴田光蔵著『法格言ミニ辞典』をWeb日本評論で復活させたものです。
なお、掲載にあたっては、適宜編集を加えています。
(不定期更新)
こういう思考スタイルを示す規範は、前18世紀バビロニアのハンムラピ法典や、聖書、イスラム教の経典であるコーランなどに見られる。法規でなく、たんなる思想のレベルでそれを追えば射程はもっとひろがるだろう。
現代のイスラム世界には、近い時期に理想としてとりいれた欧米風近代化路線から回れ右して、古巣のイスラム社会に回帰しようとする一つの潮流がある。アレクサンダー大王と戦ったペルシアの末裔であるイランの場合はその好例であるが、イスラムの教えに最も忠実なサウジアラビアにつづいて、クウェートやスーダンにもその動きが出はじめた。社会規範のうちで最も重要な法のありかたについても当然この方向転換は影響をおよぼす。たとえば、スーダンでは、1983年から、酒を飲む者はムチで打たれ、盗人は手足を切断されるようになった。最近の裁判例では、2人の男によって歯1本を折られた人が、慰藉料で手を打つようにとの裁判長のとりなしを蹴り、歯科医の手で麻酔なしに2人から1本ずつ歯を抜きとる罰を求めた事件があったとか。
こういう話を聞くと、「イスラム世界は何と野蛮なところだ」と考える人が出てくるかもしれないが、その伝でいくなら、アメリカ人が住宅へ不法侵入してくる者を射殺してもめったに殺人で罰せられないのも野蛮であろうし、死刑を温存している国々も野蛮であろう。法の歴史を学びの対象としているわれわれは、人類がある状況下で編みだした法技術にはその当時としてのそれなりの合理性のあることをいつも覚らされている。時代がうつりかわれば、法技術もその背景をなす思想も少しずつ変容をとげるので、われわれが過去をふりかえると、そこには低い発達段階のものや異質の発想が目について、ショックをうけることもあるが、ときには、古いものと思われたかたちが実は意外にもモダンであったりして、法の進化についての定説がぐらつくように見えることさえある。
表題にとりあげた「眼には眼を、歯には歯を」というものの考え方は、古くてしかも今もなおわれわれ――とりわけ「因果応報」「善因善果・悪因悪果」、「信賞必罰」、「天罰てきめん」などの考えになじみやすい日本人――が容易にはすてきれない発想である。もしもこれがまったく非合理的なものなら、洋の東西を問わず古代の昔にとっくにすてられていたであろう。これがどうして合理的な要素をもっていたのかを少し歴史的に考えてみよう。ある者がある者を殺したり傷つけたりするとき、同一の家、同一の氏族(同じ祖先から出たと観念的に考えられている血族中心の集団)内部での事件なら、その長が適当に裁きをつける。別に法など固苦しいものはいらない。「法は家庭に入らず」の拡大版である。ところが、他サークルの成員に対してそういう害を与えると、タダではすまない。勢力争いやらメンツやらいろいろ厄介な因子がからみついてくるから、大ごとになり、はてはサークル全力をあげての争いになる。これが「血讐」である。同一の力量をもった集団同士なら、痛みわけで両者とも死に絶えることもあっただろう。そこで知恵のある者は考える。サークルの上位に国家があるとすれば、戦闘能力・人的資源の減少は一大事であるので、もっと真面目にとりくむ。つまり、生じてしまったことはしかたのないこととして、リアクションを最小限にとどめるのが大局的に見て得策であるから、双方に納得をえられる線を考える。これが、同害報復(タリオー)の発想なのである。しかも、争いの種をひろがらせまいと、生じた害が故意によるものか過失によるものかを一切区別せず、生じた客観的結果そのものに対して責任をとらせるやり方が簡明でスピーディな策として好まれる。こういうポリシーのもとでは、「風が吹けばオケ屋がもうかる」式のごく広い因果関係でも責任に結びつけられてしまう。当事者にとっては大いに迷惑だろうが、共同体全体からすると、これはコストの安い解決策なのである。一方、政治の世界に眼を転ずると、ほかならぬ同じコーランの世界で、イランとイラクが、タンカーにはタンカーを、都市には都市をと限定報復攻撃をくりかえしている。
さて、刑法も「眼には眼を」の呪縛からのがれられないでいる。応報刑の考え方がそれである。もちろん、近代刑法では、古代などに見られた結果責任=客観的責任を問うというような素朴なレベルを脱却して、故意と過失のちがいにも十分に配慮しながら、本当の意味で責任を負わねばならない者に絞って、いわば合理的に、応報の原理にもとづいて責任を問うようになった。しかも、刑罰は加えられた害と同じものではなく、法秩序を維持するのに必要な限度において定められる。
こういった応報刑・贖罪刑思想は、「旧派(古典学派)」刑法学の中心的思潮の重要な部分をなしており、19世紀末以来の「新派(近代学派)」刑法学の目的刑・教育刑思想(前者の応報刑主義が「犯罪がなされたので quid peccātum est 」それへの害悪的反動として刑罰が加えられると把握するのに対し、ここでは、「犯罪がなされることのないように nē peccētur 」という趣旨で、刑罰は社会の保全または犯罪者の改善・教育のための手段として理解される)の登場により、その攻撃の的とされてタジタジとなったようであるけれども、現在のところ前者が、いくらか反撃に転じた状況が見られる。むしろ今後は、両派の対立は止揚されて、新しい地平も開けようとしているのではなかろうか。
しかし、日本人のもとでは――原始的なことなのだが――、犯人が重く罰せられることで被害者およびその身内の心に平安がとりもどされることが多い。筆者には日本人が残酷な人種だとはとても思えないけれども、世界各国で相当な不評を買っている死刑制度の存続にとてもこだわるところが目立つ。「死には死を!」という応報の極致とも言うべき状況が清算されないのはどうしてであろうか?
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柴田光蔵 1937年京都府生まれ。1959年京都大法学部卒業。1961年京都大学助手を経て同大学助教授。1962~64年イタリアで在外研究。1973年京都大学教授。2000年定年退官。京都大学名誉教授。京都大学法学博士。専攻はローマ法・比較法文化論・日本社会論。最近の著書に、『タテマエの法・ホンネの法(第4版)』(日本評論社、2009年)、『タテマエ・ホンネ論で法を読む』(現代人文社、2017年)などがある。