(第19回)不思議な微積分—ラグランジュの最初の論文より

数学の泉(高瀬正仁)| 2020.04.03
数学に泉あり。数学は大小無数の流れで構成されていて、今も絶え間なく流れ続けている雄大な学問ですが、どの流れにも源泉があり、しかもその源泉を作った特定の人物が存在します。共感と共鳴。数学の泉の創造者たちの心情と心を通わせることこそが、数学を理解するという不思議な体験の本質です。そこで数々の泉を歴訪して創造の現場に立ち会って、創造者の苦心を回想し、共感し、共鳴する糸口を目の当たりにすることをめざしたいと思います。

(毎月上旬更新予定)

$\def\dfrac#1#2{{\displaystyle\frac{#1}{#2}}}\def\t#1{\text{#1}}\def\dint{\displaystyle\int}$

2項定理と積の微分公式

ラグランジュはフランスの数学者という印象がありますが,生地はフランスではなくサルディニア王国の首都トリノです.

ラグランジュ

特定の師匠がいたわけではなく,独自に数学を学んだ模様です.18 歳のとき,数学上のアイデアを得て,イタリアの数学者ファニャーノのもとに手紙を書いて研究の成果を報告しました.日付は 1754 年 7 月 23 日.ラグランジュの生誕日は 1736 年 1 月 25 日ですから,このとき満 18 歳です.この手紙はラグランジュの全集にも未収録で,ファニャーノが返信したのかどうかもわかりませんが,ラグランジュはベルリンのオイラーのもとにも同主旨の手紙を書き送っています(図1).その手紙はラグランジュの全集に収録されていますので閲覧することができますが,いかにも不思議な計算が並んでいます.

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