(第21回)法律は些事には拘泥しない
歴史ある法格言には、法学の真髄を伝えるものが数多くあります。法格言を知ることから、法学の雰囲気に触れてみませんか?
本記事は、「法学セミナー」1984年11月号別冊付録として世に出された、柴田光蔵著『法格言ミニ辞典』をWeb日本評論で復活させたものです。
なお、掲載にあたっては、適宜編集を加えています。
(不定期更新)
Dē minimīs nōn cūrat lēx.
英法の格言であるが、6世紀に学説法となった2~3世紀のローマ法学者カッリストラトゥスの命題や哲学者キケローの著作の断片をアレンジするところから生まれた。
人間を主体にすると「裁判官は些事に拘泥しない Minima nōn cūrat praetor. 」となる。問題は何が「些事=きわめて小さいこと」かであって、誰が見ても小さいものなら納得が容易に得られて、そもそも起訴・有罪にまでもちこまれることもなかろうが、そういう絶対的極小性ではなく、相対的極小性が俎上にのせられると、料理のしかたにもいろいろあるようで、物議をかもす。
さて、構成要件にピッタリとあてはまるケースは何が何でも掘りおこし起訴して有罪に追いこむことなど、人間業でできるものではない。刑法の規定は、どちらかと言うと、「質」に注目して立てられており、「量」についてはあまりふれていないようだが、当然に「量」は「質」を規定するから、質的に見てはっきりと評価できる対象であっても、それが量的には微々たるものなら、人が取扱いに苦慮するのはむしろふつうであろう。結局のところは、「健全な常識」とか「社会通念」とかの一般的なモノサシがその基準とならざるをえない。民事事件なら、ごく大マカに是々非々で判断を下しても大過はないが、罪刑法定主義のタテマエが厳然と存在する刑事事件については、法規の予定している状況に入りにくいものはむしろ素直に排出して不可罰の世界に送りだすことが要請されていることの裏がえしとして、質的に見てそこにキチンと収まるものはしっかりとキャッチして必罰を期さなければならない。これが大原則であろう。しかし、「そう固苦しいことばかり言わないでほしい」という感覚が世間にはあり、これを素朴・無知といちがいにきめつけられない。裁判所というのは、どこの国でも、大体において、一般庶民の眼から見るとものわかりのよい組織とはとうてい考えられていないのであるが、ときには、庶民の感覚にマッチした判決を出すことがある。つぎに「些事不問」についての有名な判決をとりあげよう。
明治43年、大審院(今の最高裁)は、葉たばこの栽培者がその3グラムの葉っぱ1枚(当時1厘に相当する)を政府に納入しないで、自家製造でタバコにかえケムリにしてしまい、煙草専売法違反に問われた事件につき、第一審・第二審のタテマエ論的有罪判決を破棄して無罪を言渡した。警察当局としては、「1枚ぐらいならかまわない」という風潮が日本中に蔓延すると、お上のしめしもつかず被害も大きくなるから、「違法は違法だ」というタテマエを貫き、違反行為への見せしめとして、日本人好みの「一罰百戒」風の摘発・起訴をしたのであろう。この状況をむつかしい言葉で説明すると、ここには「可罰的違法性」(刑法で罰するに適しそれに足りるだけの違法性)がなかったので無罪判決が出たというようになろう。もっとも、現代の可罰的違法性論議はもっと複雑化してきて、このような損害の僅少のほか、実害発生の危険の僅少さ、行為の非常軌性が軽微であること、目的が正当であることなどのファクターも射程内にとらえはじめており、とりわけ基本的人権と刑罰法規が正面衝突する労働争議事件や公安事件にからむケースにおいて、その理論が威力を発揮したこともあった。もっとも、最高裁は最近になってやや手綱を締めはじめており、この理論の将来の展望はかならずしも明るいとは言えない。
ところで、学説は、この可罰的違法性を論ずることの有用性についてほぼ一致しているが、何をもって「違法」とするかの基本的立場に大きな対立があるから、「些事」の中味にも微妙なちがいがでてくる。また、「些事不問」で無罪となるのは、そういう行為がそもそも構成要件に該当しないからだという説明のしかたもあるし、他方で、法規の規定はないが、超法規的に違法性が否定されるからという説明もある。
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柴田光蔵 1937年京都府生まれ。1959年京都大法学部卒業。1961年京都大学助手を経て同大学助教授。1962~64年イタリアで在外研究。1973年京都大学教授。2000年定年退官。京都大学名誉教授。京都大学法学博士。専攻はローマ法・比較法文化論・日本社会論。最近の著書に、『タテマエの法・ホンネの法(第4版)』(日本評論社、2009年)、『タテマエ・ホンネ論で法を読む』(現代人文社、2017年)などがある。