(第25回)人身保護法とハーグ子奪取条約(早川眞一郎)

私の心に残る裁判例| 2020.07.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

人身保護法に基づく、別居夫婦間の幼児引渡請求

夫婦の一方が他方に対して人身保護法に基づき幼児の引渡を請求する場合と拘束の顕著な違法性

最高裁判所平成5年10月19日第三小法廷判決
【判例時報1477号21頁掲載】

私がこの最高裁判決(以下、「本判決」という)に愛着を感じるのは、本判決が両親間の子の奪い合い紛争についての私の研究のひとつの出発点になったからであるが、もうひとつ、本判決を読むと補足意見を付している可部恒雄判事の面差しが心に蘇るからでもある。

本判決は、両親間での子の奪い合い紛争に広く人身保護請求を使うことを認めてきたそれまでの判例に一定の歯止めをかけ、このタイプの紛争についてのその後の処理方法に大きな影響を与えた裁判例である。

夫婦間の子の引渡請求に人身保護手続を利用しうることは、人身保護法の立法後間もない1949年に最高裁(最二小判昭24・1・18民集3巻1号10頁)が認めて以来、確立した判例実務となっていた。そして、その運用に際しては、最一小判昭43・7・4判時530号29頁がいうように、「裁判所は、…〔中略〕…、拘束状態の当、不当を決するについては、夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるのを相当とする」と考えられてきていた。

これに対して、本判決は、形式上はこの判例を踏襲しつつ、拘束が「顕著である」という要件(人身保護規則4条)の解釈によって、実質的には、人身保護請求を認める場合を大きく制限した。すなわち、別居中の夫婦(共同親権者)間の争いのように、相手方が親権者である場合に、この要件を満たして請求が認められるためには、相手方による監護が請求者による監護に比べて「子の幸福に反することが明白であることを要する」と判示したのである。本判決がなぜこのような解釈をとったのかは、可部恒雄裁判長の委曲を尽くした補足意見に明らかにされているが、そのひとつのポイントは、この種の紛争は、本来、その処理に適した家庭裁判所において審理され判断されるべきであって、地方裁判所(と高等裁判所)の人身保護の手続にはなじまないというところにある。

当時、ハーグ子奪取条約の研究を始めたばかりで、実力による子の奪い合いは極力抑止すべきであるという同条約の精神に共感を覚えていた私は、間然するところのない可部補足意見にもいたく感激し、その両者が相互に触媒となって、人身保護法をハーグ子奪取条約の国内版として活用してはどうかというすこぶる大胆な(よくいえば創造的な)解釈論を考えつき、それを1996年に論文として公表することになった(後掲①)。その後も子の奪い合い紛争については関心をもってきたが、2020年の春、これまでの裁判例や学説の動向なども参照しつつ、私なりの総括をした小論を公表する機会があった(後掲②)。四半世紀にわたって細々とではあるが子の奪い合い紛争について研究を続けてきたきっかけのひとつが本判決であったことを思うと、本判決に愛着を感じないわけにはいかない。

残念ながら、愛着のもうひとつの理由である可部恒雄判事の面差しについて詳しく触れる紙幅がなくなった。本判決の補足意見に限らず、可部判事の手になる裁判には、広い視野と明晰な論理のゆえに法律文書の範とすべきものが多い(結論自体への賛否は別として)。それに加えて、かねてより、どの文章の行間にも知的で誠実で優しいお人柄がにじみでているという印象をもっていた。退官後の同判事に一度だけお目にかかる機会があったが、その面差しはまさに私の想像どおりだった。その後、御自身の和歌集(『旅情 ─ 画歌文集』〔やまなみ叢書 第75篇〕(紅書房、2002年))や泉徳治判事による追悼文(「可部恒雄さんの思い出」判時2135号3頁)に接して、その印象をますます強くしている。


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早川眞一郎(はやかわ・しんいちろう 専修大学教授)
1978年東京大学法学部卒。同助手、弁護士、関西大学助教授、名古屋大学助教授、東北大学教授、東京大学教授等を経て現職。東京大学名誉教授、東北大学名誉教授。
著作に、本文①「子の奪い合いについての一考察」星野英一先生古稀祝賀論文集『日本民法学の形成と課題(下)』1209頁(有斐閣、1996年)、本文② 「子の引渡しをめぐる実体法上の問題」論究ジュリスト32号72頁(有斐閣、2020年)など。