精神科医が翻訳をするということ-『精神病理学私記』第6回日本翻訳大賞受賞に寄せて(阿部大樹)
本書は、現代精神医療の基礎を築いたアメリカ精神医学の先駆者サリヴァンが、生前に書き下ろした唯一の著作。サリヴァン自身の性指向とアルコール耽溺を参照軸としつつ、 スキゾフレニア、パラノイア、そして同性愛を語る本書は、著者の死後も長く禁書扱いされながら、アメリカ精神医学に決定的な影響を与えてきました。約1世紀の時を経て、初の邦訳となります。
訳者の一人である阿部大樹さんに、受賞をきっかけに、本書についてひとこといただきました。
わたしは街場の精神科医であって、翻訳によって生活をしている者ではありません。そういう、いわばアマチュアの人間が、まったく思いがけず日本翻訳大賞をいただくことになりまして、それについて考えたことの幾つかを書き記しておこうと思います。
学術書が大賞に選ばれたのは初めてとのことでした。しかし私自身の印象からいうと、精神病理学という営みはまだ「学問」と呼んでもらえるほどには発展していなくて、属人的といいますか、「誰がやっているか」に今でも大きく依存していると思います。科学というよりも技芸の範疇にあるようです。フロイトとかユングの翻訳にまず取りかかったのも日本では文学者たちでした。
この文学を「人間を理解するための行い」として考えれば、精神医学も文学の一端であると言えます。知ろうとしてどこまでも深く掘り下げるというよりは、その時々の逼迫した要請に応じていくものですが――。文学を数学に例えるなら、精神医療は物理学のような役割を果たします。そういう点からは精神病理学を〈応用人文学〉とか〈人文学を実践すること〉と捉えられるかもしれません。
『精神病理学私記』を遺したハリー・スタック・サリヴァンも同じように考えていたのではないかと感じます。文学作品からとても多くの、しかもただ形式的というのではない引用がとられていますから。従軍記録をもとに描かれた『西部戦線異状なし』、芳醇な幻覚体験を香らせた『阿片常用者の告白』、あるいは『罪と罰』。1920年代のシカゴに生まれたハードボイルド・ミステリについての記述もあります。
わたしにとって翻訳することは、白衣をきて患者さんの話を聴くことと、ちょうどポジとネガのような関係にあります。翻訳には時間制限がない。100年前のニューヨークの街角であった些末な喧嘩の記録をみるために、3か月もかけて当時の新聞を取り寄せたこともありました。そうやって突き詰めたところに、訳文が浮き上がってきます。
臨床はこれと鏡像のような関係にあります。まず第一に時間制限がある。診察の必要なひとは少なくなくて、1日に20人以上を診なくてはなりません。診察室では、過去や深いところの心理をすべて明らかにするというよりは、核心のところをピンセットでつまみあげることに注意を向けます。浮き上がってくるのを待つというよりも、もっと積極的に、つまり浮き彫りにするのが仕事です。
3年にわたる翻訳プロセスのなかで、この二つの作業がわたしの生活の歯車になっていきました。つまり正反対の向きに回っているのですが、ぴたりと噛み合っているのです。『精神病理学私記』を訳すことは、わたしにとって精神科医であることを内省することの一環でした。この訳書がまた誰かの歯車となってくれれば、無上の喜びです。
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H・S・サリヴァン 著 阿部大樹/須貝秀平 訳『精神病理学私記』
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1990年、新潟県に生まれる。新潟大学医学部を卒業。都立松沢病院、川崎市立多摩病院等に勤務。「サンフランシスコ・オラクル」誌の日本語版翻訳・発行を行う。他に訳書としてルース・ベネディクト著『レイシズム』(講談社学術文庫、2020年)がある。