(第28回)判例評釈における『教科書的論点』の扱い方について(小島立)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
「希望の壁」事件
高層ビルを中心にした複合商業施設に所在する緑地、散策路などで構成された庭園内に「希望の壁」と称する工作物を設置することが、庭園の著作者の同一性保持権を侵害するとした当該工作物の設置工事続行禁止仮処分申立てが却下された事例
大阪地方裁判所平成25年9月6日決定
【判例時報2222号93頁掲載】
本件(大阪地決平成平成25年9月6日判時2222号93頁〔希望の壁事件〕)は、複合施設である「新梅田シティ」内の庭園を設計した著作者Xが、同庭園内に「希望の壁」と称する工作物を設置しようとした建築工事の請負および施工等を目的とする株式会社Yに対し、その設置工事の続行の禁止を求めた事案である。
筆者は、主に著作権法を文化政策や「クリエイティブ産業」に位置づける作業を通じて、知的財産法が現代社会において果たすべき役割について研究してきた1)。この過程で建築家の方々と知己を得ることができ、2012年にはNPO法人福岡建築ファウンデーション(代表:松岡恭子氏)のアドバイザーを拝命した。建築に深い関心を持つに至った頃に本件に接し、自ら評釈してみたいと考え、拙稿を公表する機会を得た(小島立「〔判例研究〕庭園の改変および同一性保持権侵害の成立が争点となった事例」L&T 64号(2014年)62頁)。
本件の評釈を執筆する上で興味深かったのは、著作権法の体系書や教科書で、建築の著作物(著作権法10条1項5号)の項目において庭園について触れられることが多いにもかかわらず、本件庭園が建築の著作物であるかどうかについて当事者が争わなかったことである。本件の「天王山」となる同一性保持権侵害(同法20条)の成否において、抗弁である同条2項2号の要件事実についての立証責任(本件は仮処分事件であるため、より正確には「疎明責任」というべきか)を負うYからすれば、本件庭園が建築の著作物であると認定されたほうが好ましかったかもしれない。本件庭園が建築の著作物であると認定されれば、同号の「建築物」という文言と関係づけやすくなり、Yにとっては、同号の適用が容易になる方向での主張立証を展開しやすかった可能性がある。
しかし、本件庭園の著作物性についての立証責任(疎明責任)を負うのはXである。Xからすれば、本件庭園が建築の著作物であると主張すれば、同号の適用が問題となる局面において自らを不利な立場に立たせる可能性があるため、本件庭園は著作物(同法2条1項1号)であるという主張を行うに留めたのではないかと筆者は想像した。
判例評釈とは「ある戦いについての批評」であるべきである。そうであれば、本件の評釈で、建築の著作物と庭園という教科書上の「論点」について長々と論じることは避けるべきであろう。本件は著作権法が「ランドスケープ・デザイン」に関わることを示した点で理論的に興味深いだけではなく、判例評釈のあり方についても筆者に教訓を与えてくれた。
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脚注
1. | ↑ | この経緯については、小島立「私たちは『多様性』と『包摂性』を兼ね備えた著作権制度をどのようにしてつくり上げるべきなのか?」ネットTAMリレーコラム「文化政策研究とアートマネジメントの現場 第3回」(2019年)を参照されたい。 |