『君たちは、数学で何を学ぶべきか—オンライン授業の時代にはぐくむ《自学》の力』(著:長岡亮介)

一冊散策| 2020.11.04
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

まえがき

本書は,後に詳しく述べる偶然から,他の仕事を保留して緊急に出版することにしたものです。

緊急出版というのは,日本では2020年2月下旬から流行をはじめたいわゆる「新型コロナ・ウィルス感染症」のために,一般企業のみならず,学校まで,企業のテレワーク型への移行を迫られたことで,自宅で PC やTV の前で過ごす時間が自分の意に反して増えてしまった若者に向けて,

「ピンチをチャンスに!」

という激励のメッセージを発信したいと思ったからです。

本文で詳しく触れますが,最近の日本の学校や塾,予備校などでは,良くいえば生徒への親切心から,悪くいえば生徒の自主性に対する不信感から,生徒の学習進度を授業と試験できつく縛っていて,それが面倒見の良い教育だと信じ込んでいる人が少なくありません。

しかし,

「馬を水辺に連れて行くことはできるが,水を飲ませることはできない」

という有名な外国のことわざが示唆する通り,自発性・能動性を前提とする勉強という行為を無理やり強制することは無意味で不可能です。まして数学のように,あるレベルを超えると《理解と納得の発見》が命である学習分野では,自発性・能動性の役割はより決定的です。

にもかかわらず,これまでの日本では,数学でも受動的な学習が成り立つかに思われてきたこともまた事実です。このような風潮が生まれたきっかけは,「数学のむずかしい問題を解くには天性の\ruby{閃}{ひらめ}きが必要である」という《昔からの伝説》が,「問題のパターンと解法を憶えていれば数学の問題は誰でも解ける!」という新しい《受験数学の新学習方法論》?!で置き換えられたことです。高等教育への予備段階としてのある種の尊敬をもって見られてきた《高水準の中等教育》が,「高等教育の大衆化時代」を迎え,人間の哀しい心の隙を突く迎合主義に座を空け渡したのです。正直申し上げて,私自身はこの趨勢に気づきましたが,毎度馬鹿げた大衆迎合の一つにすぎないと軽視し,それに対する十分な警戒心を喚起する必要性を感じていませんでした。「大衆」は決してそれほどおろかではないと信じていたからです。しかし,その後,「数学は暗記である」という大きな,そして罪深い誤解がわが国で急速に普及しました。その理由については本文に譲ります。

コロナ禍で学校閉鎖という最悪の緊急事態が現実化したとき,私自身は,若い人がこれを期に,誤解に依拠した従来からの「勉強」から解放されて,自分のペースで自発的に勉強できるようになればいいのにと,切ない願望として心に思っておりました。

ところが,です。従来の数学教育で標準的だった,つまらない問題の解法を懇切丁寧に説明する対面指導が不可能になったときに,この状況を,《自学を基盤においた本格的で効率的な数学教育》への移行の推進力として積極的に活用する好機であると考えて実践している学校があって,期待以上の成果を上げていると聞き,その嬉しいニュースに喜んで急遽書き上げた原稿が本書の中核をなすものです。その経緯に関してはやはり本文の他の原稿に譲り,私はここでは本書を手にとってくれた,とくに若い読者を激励するという趣旨で少しえんします。

わが国で「新型コロナ・ウィルス」と呼ばれる微小な病原体の感染症に対しては,いまだに効果的な対策が見つからず,きっと近い将来に発見される多くの「決定的な対策」に対しても,現時点では予想もしていない困難が新たに見つかるのではないかという不安が,私にはあります。現代医学の歩みを振り返ってみても,「科学があらゆる疫病に必ず勝つ」というにはほど遠いというべきでしょう。

冷静になって考えると,現実の社会の進行は,多くの楽観的な期待とは違って,経済活動の落ちこみの長期化,社会的な格差と不平等の拡大,「自粛警察」という流行語に象徴される国民の間の反知性的な動きなど,社会全体はむしろ不安定化の方向に流されていると思わざるをえません。

わが国を含めいくつかの地域では,このたびの感染症は,無症状者をはじめ,軽中症者が多く,従来のインフルエンザ感染と比べると,亡くなる高齢者の数が必ずしも多くないことは本当にありがたいことです。他方,感染性が極めて高く,重篤化した患者のためには,人工呼吸器や血液循環を伴う肺機能の代替装置など,高価で,扱いにベテランの技を必要とする装置が緊急に必須であるため,「医療崩壊」と呼ばれる深刻な事態が予想され,国際的には極めて深刻な状況がまだしばらく続くことも忘れてはならないでしょう。国民皆健康保険制度という社会民主主義的な政策が(財政問題を無視すれば)成立してきたわが国では,「第一波は克服」という威勢の良い声も聞こえてきますが,何をもって「波」のはじまりと終わりを定義するのか,すっきりしない話です。

しかし,だらだらと危機の期間が続き,そのために,今後,数十年以上にわたり「コロナ世代」と安易に\ruby{揶}{や}\ruby{揄}{ゆ}されるであろう,いま多くの自由な権利を奪われている若い人々を,心の底から勇気づけたいとの願いから,「ふつうの生活」が否定されたいまだからこそ考えてほしいこと綴漢つづりました。幼い子ども,初々しい少年少女,若い多感な青年にとって,同世代と一緒に時間を過ごす学校という空間は,特別な重要性をもっていると思います。そこで一緒に遊び,騒ぎ,喜び,ときに競い合う日々は,決して将来に延期できない大切な時間です。この時空が失われた「一時的損害」を《生涯の大きな利益》に転化してほしいという心の底からの願いを込めて,です。

不条理で不可解な暴虐ともいうべきパンデミックの中で,人類が現代科学のような力もなしにこれまでに乗り越えてきた長い歴史を思えば,私たちが掛け替えのない親族,友人,知人,同胞の大きな犠牲の上に,しかし,輝かしい新しい文明,文化を築いてきたことも心に止めたいと思います。の有名なニュートン(Isaac Newton, 1642–1727)が歴史と文化を書き換える 3 つの大発見(運動力学,光学,微積分法)をしたのは,ロンドンのペストの第 2 次大流行 The Great Plague で彼が勤務しはじめたばかりのケンブリッジ大学が閉鎖されて郷里の家に戻っていた 1665〜1666年,驚嘆の年 Annus mirabilis でした。この疫病でロンドンの人口の 1/4 が失われたといいます。歴史に「もしも」が禁句であることを知りつつ,もしもこのペスト禍がなければ,私たちはいまだに,《数学》と《自然学》の結合による文明と文化の劇的な大転換とそれがもたらした現代を知らなかったかもしれないと,つくづく思います。

人間を襲う不条理な災厄は不思議な好運ももたらしてきたことに,私たちは小さな,しかしはっきりとした明るい希望の光を見出し,しっかりした知的な歩みを続けて参りましょう。

2020年9月15日

NPO 法人TECUM 理事長

長岡亮介

目次

  • まえがき
  • 第1部 いまこそ考えてほしいこと–《自学》のすすめ
    • 大人から若い人々に向けて–いまこそ考えてほしいこと
  • 第2部 茗渓学園オンライン講演会
    • オンライン講演会に至った経緯……谷田部篤雄
    • [オンライン講演会]何のために学ぶのか—勉強から学問へ……長岡亮介
    • 講演資料・一つの解答例または「解答を考えるヒント」
    • オンライン講演会を終えて
    • 茗渓学園での奇跡的な数学の学習改革を可能にした熟慮・決断・団結……磯山健太
    • オンライン授業体制下で初めて見えた生徒の数学学習への新しい姿勢……新妻 翔
    • オンライン授業期間での成果を「正常化後」に維持し充実させる戦略……谷田部篤雄
    • 学びの原典に戻るために–何歳になっても大切な一期一会……宮﨑 淳
    • 私たちの考える《理想の数学カリキュラム》像
  • 第3部 《自学》のために
    • 数学についての大きな誤解
    • 自学のもつ強大な威力と,気をつけたい意外な盲点
    • 自学と大学受験対策
    • 子どもが成長する権利,子どもの成長を見守る責任—少しませた中高生,そして保護者・教育関係者の皆さんへ
  • あとがき

書誌情報など