(第30回)幼女誘拐殺人事件につき、開発途上のDNA鑑定を盲信して、疑わしい点のない幼稚園バス運転手を強制連行し厳しく取り調べて虚偽自白させた─足利事件(2)

捜査官! その行為は違法です。(木谷明)| 2021.01.20
なぜ誤った裁判はなくならないのか――。
警察官、検察官の証拠隠しや捏造、嘘によって、そしてそれを見抜かなかった裁判所によって、無実の人が処罰されてしまった数々の冤罪事件が存在します。
現役時代、30件以上の無罪判決を確定させた元刑事裁判官・木谷明氏が、実際に起こった事件から、刑事裁判の闇を炙り出します。

(毎月中旬更新予定)

前回に続き、本件における警察・検察の捜査が、どういう意味で違法・不当であったかを順次指摘する。ただ、本件においては、弁護人の行動及び裁判所の対応にも大きな問題があったので、やや異例ではあるが、引き続きそれらの点についても検討する。

4 警察・検察の捜査は、どのような意味で違法・不当であったか(2)

(1) 「任意同行」に名を借りた強制的な連行

警察が菅家さんを取り調べるに至った経過は、前回2記載のとおりである。取調べを開始する段階で警察は、信用性の乏しい科警研によるDNA型鑑定しか持っていなかった。当時、幼稚園バスの運転手として働いていた独身の菅家さんは、1年にもわたる動静調査の間、毎日幼児と顔を合わせる生活をしているのに、幼児性愛者を疑わせる行動が全くなかったし、それ以外にも菅家さんを本件の犯人であると疑わせる証拠は、DNA型鑑定以外には全く存在しなかったのである。

それなのに、警察は、菅家さんを犯人であると決めつけた。そして、菅家さんが「今日は、職場の同僚の結婚式に出席する予定がある」として同行を渋るのに、有無を言わさない形で警察署へ連行した。この同行は、「任意」同行の名の下に行われた強制連行である。

(2) 長時間にわたる不当な尋問

警察は、強制的に連行した菅家さんを、頭から犯人と決めつけて13時間にもわたり、髪を引っ張ったり机を叩いたり、Mちゃんの写真を示して「謝れ」と大声で怒鳴ったりした。それだけでなく、「現場にあった精液が一致する。絶対に逃げられない」などと申し向け、13時間にも及ぶ追及によって、遂に菅家さんを虚偽自白に追い込んでしまった。この取調べによる自白は再審無罪判決の中では、任意性が否定されている(もっとも、上記のような有形力の行使は否定されている)。

(3) 開発途上で精度が高くないMCT118法によるDNA型鑑定の結果を過信(盲信)し、菅家さんの言い分に一切耳を貸さなかったこと

警察が菅家さんを本件の犯人であると思いこんだのは、「現場に遺留された下着に付着する精液と菅家さんの精液の各DNA型が一致する」「血液型も一致する」という科警研の鑑定を盲信したためである。しかし、このDNA型鑑定は、科警研が独自に開発しつつあったMCT118法によるもので、精度が高くないことが分かっていた。科警研の当時の回答によると、DNA型の一致と血液型の一致を合わせて考えても、下着付着の精液と菅家さんの精液が同一の人物に由来する出現頻度は、1000人中1.2人であるとされていた。しかも、この出現頻度は僅か193のサンプル例に基づくものであり、後に述べるとおり、その後サンプル例が増加するに従って出現頻度は著しく低下した。ところが警察は、この鑑定結果を金科玉条として、菅家さんの弁解や消極証拠などに一切耳を傾けることなく、(2)記載のような厳しい取調べを長時間行ったのである。

(4) DNA型鑑定の基礎となる資料の収集過程に違法の疑いがあること

警察は、先に述べたとおり(前回2参照)、菅家さんが自宅近くのごみ捨て場に出したゴミ袋の中から「精液の付着したテイッシュペーパー」を発見するやこれを科警研へ鑑定資料として送付した。問題のDNA型鑑定は、この精液を資料とするものである。市民がゴミをゴミ捨て場に出した場合、その管理権は市にあるというべきであり、捨てた市民も、これが「市に回収されることを当然の前提」としているのであって、警察が勝手にこれを持ち去ることを容認してはいない。したがって、警察がそれを取得したいと考えれば、当然のことながら、本人の了承を得るか差押え令状を必要とする筈である。そのような手続を採ることなく、テイッシュペーパーを令状なしで持ち去った警察には、令状主義を潜脱した違法があるというべきである(しかし、裁判所はこれを違法とは認めなかった)。

(5) 公判廷で事実を否認し出した菅家さんを検察官が拘置所内で取り調べて追及し、否認供述を撤回させたこと

第1審の第6回公判で菅家さんが事実を否認すると、検察官は、閉廷後拘置所まで出向いて菅家さんを追及し、「法廷で述べたことは真実でない」と認めさせた。菅家さんは、この時点で被疑者ではなく、すでに「検察官と対等な立場の当事者である被告人」であったのであるから、検察官といえども、こういう形で被告人を取り調べて追及することは許されない。

5 弁護活動の問題点は何か

第1審の弁護人であったA弁護士は、科警研のDNA型鑑定と自白を盲信し、菅家さんが犯人であることを疑わなかった。そのため、捜査段階で自白していた菅家さんから、「やっていない」という真実の弁解を引き出すことができず、第一回公判でも事実を認めるに任せてしまった。捜査段階で接見したA弁護士は菅家さんに対し、「(迷宮入りの2件を含め)3件のうち1件もやってないということはないんだろうね」などと語りかけたため、菅家さんは弁護人に真相を話せなくなったとされている。

それだけではない。菅家さんが第6回公判で事実を争い出した後も、A弁護士は、これを契機に弁解に耳を傾けることなく、むしろ否認供述を撤回させようとしたことは、すでに前回3(1)で述べたとおりである。私選弁護人のついている被告人が公判廷で公訴事実を認めた場合、裁判所の有罪心証はそれだけで決定的に固まってしまう場合が多い。第1審におけるA弁護士は、本件について誤った裁判を導く上で決定的に重要な役割を果たしてしまったといわれてもやむを得ない。

被疑者・被告人は、厳しい取調べを受けると、弁護人に対しても心を閉ざしてしまうことがあるから、弁護人が被疑者らから真実を聴き出すことは必ずしも容易なことではない。しかし、被告人の人権の擁護者であり唯一の味方である弁護人は、被疑者・被告人からなんとしても真実の声を聴き出そうと努力する義務がある。A弁護士は、明らかにその義務を怠ったといわれてもやむを得ない。

6 裁判所の対応にはどういう問題があったか

弁護人さえ信じなかった被告人の弁解を裁判所に信用せよと求めることには難しい面もある。しかし、「無辜(無実の者)を処罰しない」ことは、裁判所の最大の使命である。本件において、第1審公判の終盤に至ってではあるが菅家さんが事実を根本的に争い出したのであるから、裁判所としては、その弁解を真摯に受け止め、真相の解明に乗り出すべきであった。特に、被告人・弁護人が本格的に争い出した控訴審以降再審請求審までの裁判所が、菅家さんの弁解に全く耳を貸さなかったのは、何としても残念なことであった。以下、控訴審以降の裁判所について、特に残念であった点を挙げる。

(1) 控訴審について

控訴審(東京高裁)は、佐藤弁護士が本格的に事実を争い出した以上、菅家さんが第1審公判途中まで事実を認めていたにしても、その自白の信用性を慎重に再検討するべきであった。菅家さんの捜査段階での自白は、重要な点で変遷するだけでなく客観的証拠とも矛盾する点があり、秘密の暴露もなかった。また、第1審判決が重視したDNA型鑑定の出現頻度は、当初の1000人中1.2人から、サンプル数の増加した控訴審段階では、1000人中8.3人とされたことからも明らかなように、サンプル数の増加とともに出現頻度も増加する傾向があった(その後さらに1000人中35.8人と大幅に増加した)。このことからすると、少なくとも控訴審裁判所は、当初のDNA型鑑定に頼り切ることに疑問を感じ、いっそう慎重な審理を遂げるべきであった。

また、この段階において菅家さんは、「DNA型鑑定は誤りだ。もう一度鑑定をやり直してほしい」と主張していたのである。裁判所としては、再鑑定の労を厭うべきではなかった。だが科警研のDNA型鑑定を盲信する控訴審裁判所は、上に述べたような自白調書の問題点を軽視してしまった。

(2) 上告審について

上告審(最高裁)も、佐藤弁護士が提出した押田鑑定によって科警研のDNA型鑑定の誤りに気付く契機があった。しかし、最高裁は、弁護団の提出した押田鑑定に一顧も与えず、平然と上告を棄却してしまったのである。

(3) 再審請求審について

再審請求審(宇都宮地裁)は、弁護団提出の新証拠である押田意見書を、先に述べたように、「鑑定の対象とされた頭髪が、菅家さんに由来することの疎明が不十分である」という驚くべき理由により明白性を否定した。これは、平たく言えば、(菅家さんでない)他人の頭髪を菅家さんのものであると偽って押田教授に鑑定させた疑いがある、という非常識な理由である。

もし裁判所がそのような疑問を抱いたのであれば、菅家さんから再度頭髪を提出させて再鑑定すれば済むことである。有罪認定の最大かつ決定的な根拠とされるDNA型鑑定にとんでもない疑問が提起されているのに、これに正面から取り組まなかった裁判所の態度は、どう考えても理解できない。

(4) 即時抗告審について

即時抗告審は、弁護人の請求を容れて、DNA型再鑑定に踏み切った。遅きに失してはいるが当然の措置であり、その点は評価できる。しかし、裁判所は、どういう訳か、検察官請求に基づく鑑定(以下「鈴木鑑定」)だけを再審開始の理由とし、同じ結論を示した弁護側の本田鑑定人による鑑定書(以下「本田鑑定」)を事実上無視したのである。佐藤弁護士によれば、これは、同鑑定人が、STR法に基づく鑑定だけでなく、MCT118法による鑑定をも実施し、捜査段階における科警研のDNA型鑑定が誤りであることまで立証したからであるとされている。もし裁判所が警察を擁護するために、このような理由で本田鑑定を無視したのだとすれば、裁判所に対する信頼性を根本的に失わせるものといわなければならない。

(5) 再審裁判所について

再審裁判所は、有罪判決の基礎とされたDNA型鑑定の証拠能力だけでなく自白の任意性をも否定して「完全無罪判決」をし、さらに、公判廷で菅家さんに謝罪した。確かにこの点は評価できる。ところが、再審裁判所も、即時抗告審と同様、無罪の理由として鈴木鑑定しか挙げておらず、本田鑑定を事実上無視している。不可解なことというほかない。

7 総括

再審の即時抗告審段階で裁判所がDNA型再鑑定に踏み切り、再審裁判所によって「完全無実」が宣言されたのは、不幸中の幸いであった。その間に、DNA型鑑定技法が格段に進歩していたことも幸いした。しかし、再審段階で使われたSTR法がなかったとしても、佐藤弁護士が上告審段階で提案したように、菅家さんのDNAをMCT118法で再鑑定することによっても、確定判決の誤りを明らかにすることはできた可能性がある。そういう観点から考えると、犯人性の争われる事案において、裁判所が「科学的証拠に惑わされることなく、被告人の弁解に「真摯かつ謙虚に」耳を傾け、「徹底的に審理を尽くす」ことの重要性を改めて思い知らされる。確定審の早い段階から菅家さんの無実を確信して救援活動に奔走した一人の主婦(西巻糸子さん)の曇りのない目を、法曹は見習う必要があるように思われる。

8 参考文献

・菅家利和・佐藤博史『訊問の罠――足利事件の真実』(角川書店、2009年)
・菅家利和『冤罪:ある日、私は犯人にされた』(朝日新聞出版、2009年)
・下野新聞社『冤罪足利事件「らせんの真実」を追った四〇〇日』(下野新聞社、2010年)
・日本弁護士連合会『「足利事件」調査報告書』(2011年)
・最高検察庁『いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について』(平成22年)
・警察庁『足利事件における警察捜査の問題点等について』(平成22年)


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木谷 明(きたに・あきら 弁護士)
1937年生まれ。1963年に判事補任官。最高裁判所調査官、浦和地裁部総括判事などを経て、2000年5月に東京高裁部総括判事を最後に退官。2012年より弁護士。
著書に、『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』(新版、法律文化社、2004年)、『事実認定の適正化―続・刑事裁判の心』(法律文化社、2005年)、『刑事裁判のいのち』(法律文化社、2013年)、『「無罪」を見抜く―裁判官・木谷明の生き方』(岩波書店、2013年)など。
週刊モーニングで連載された「イチケイのカラス」(画/浅見理都 取材協力・法律監修 櫻井光政(桜丘法律事務所)、片田真志(古川・片田総合法律事務所))の裁判長は木谷氏をモデルとしている。