虚構は崩れ物事の本質があらわになった、そして……(樋端佑樹)(特別企画:コロナが変える社会とこころ)
(毎月中旬更新予定)
◆本記事は「こころの科学」215号(2021年1月号)の、宮岡等編「コロナが変える社会とこころ」に掲載されているものです。◆
新型コロナは青天の霹靂? あくまではじまり?
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新興感染症(COVID-19)のパンデミックに翻弄された2020年であった。青天の霹靂のようであっても、人類の活動拡大による自然環境の破壊や、人が大量かつ高速に移動するグローバル化からすると、予想されていた事態であったともいえる。
高齢者など一部には致死的で感染力の強いこのウイルスは、あっという間に世界中に広がった。クライシスに対して、各国は封じ込めを目指したり、経済活動との両立を試みたり、意思決定も施策も実にさまざまであった。感染流行の渦中に身をおいた人も、さほど切迫していない場にいられた人もいるだろう。しかし、すべての人が日々メディアで報じられる不確実な情報にさらされ、濃厚接触を避け社会的距離をとることを求められ、感染や差別される不安に怯えた。ようやく世界各国の協調によりワクチン開発なども進み、光明が見えてきているようにも感じるが、それでもまだ、大きな時代の変化の小さなはじまりにすぎないかもしれないと覚悟しておく必要がある。新型コロナによってこの半年間に社会にもたらされた変化や体験を、それぞれが記録しておくことは重要なことであろう。
私は地方都市で、児童から青年期を中心に少数派の人たちが社会で生きることを支援する精神科の診療を活動の中心としている。腰の定まらない性格を反映して、大学のほか、精神保健福祉センター、小児の医療機関、総合病院精神科、市中のクリニックで診療しつつ、学校や福祉施設の嘱託やアドバイザー等の立場で、学校や福祉の現場、家族会や不登校の親の会、当事者会などに出かけ御用聞きをしている。医療と教育と福祉の辺縁で、社会からさまざまな事情ではみ出しかけた少数派の人が、はぐれることなく生き延びていけるように対話できる場を作ってきた。本稿ではそんな私の体験、そしてかかわることの多い学校教育の周辺に起きた変化を記載して残しておきたい。