コロナ危機と公法学の行方(稲葉一将)(特別企画:新型コロナと法 第14回・最終回)
法学セミナー| 2021.03.18
◆この記事は「法学セミナー」794号(2021年3月号)に掲載されているものです。◆
1 3つの危機を経験した1年間
一般には、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の最初の感染者が知られるようになったのは2019年12月であるが、そこから1年以上の時間が経過した。このウイルスは既に変異種の存在が確認されているように、今後も進化すると考えられるので、宿主である人類自らも統治の発展に挑まなければ、感染拡大は今後も続くだろう。
統治のありようという場合に、最初の感染者が確認された中国は、党主導による情報統制と都市封鎖によって、この危機を乗り越えたかのように報じられた。他方の大国であるアメリカは、人種差別となってあらわれる構造的な貧困に脆弱な医療制度があいまって、戦時と並ぶ最多死者数を記録した。国際協調を目指す動きが欧州とASEANにみられたのに対して、もともと漢字圏であり文化的同質性を有するはずの東アジアには、協調どころか国家間の「格差」が目立った。同じ社会体制を有するはずの韓国、台湾そして日本には、国民の諸要求への民主主義的対応の仕方に顕著な違いがみられた1)。
この1年間の経験で、コロナ危機というものは、緊急事態どころかその国の常態があらわれたものだという現実を私たちは思い知らされた。その一例として、営業時間短縮の結果、もともと不安定な労働条件の制約下で暮らす外国人等の労働者が、真っ先に生活の危機に直面したように。この常態としてのコロナ危機は、時間的連続性にグローバルな規模での富の偏在がいわば縦横に交錯することで、複雑に込み入っているように思われる。そこで、まずここで、コロナ危機という現象をいくつかに分析して解きほぐしてから、本稿の主題である公法学の論点を述べていきたい。
脚注
1. | ↑ | ジャック・アタリのL’économie de la vie: Se préparer à ce qui vientによって、マスク着用の推奨、検査実施そして隔離と追跡という「韓国モデル」は広く知られるようになったし、台湾にも言及がある(59、61、65頁。林昌宏=坪子理美訳による『命の経済』〔プレジデント社、2020年〕では、83、86、92頁)。 |