(第1回)歴史とは何か―歴史的事実と歴史認識(大日方純夫)
私たちが今、日々ニュースで接する日本の社会状況や外交政策を、そのような歴史的視点で捉えると、いろいろなものが見えてきます。
この連載では、「日本」と東アジア諸国との関係を中心に、各時代の象徴的な事件などを取り上げ、さまざまな資料の分析はもちろん、過去の事実を多面的に捉えようとする歴史研究の蓄積をふまえて解説していただきます。
現在の日本を作り上げた日本の近現代史を、もう一度おさらいしてみませんか。
(毎月下旬更新予定)
1 事実と「事実」-体験と認識
当たり前のことだが、人は自分が直接に体験した事柄しか知ることができない。当事者・体験者・目撃者でもない限り、人はある事実(出来事)を直接知ることができない。しかし、自分の五感を通して認識したわけでもないのに知っているのは、“誰か”から情報を得たからである。他の人が語ることや書いたものを通して知る。自分がいる場所以外の場所、他の地域での出来事、世界の各地の状況を、メディアなどを通して知る。当事者・体験者・目撃者が語る「事実」や、それをもとに誰か(他者とくにメディア)が再構成して伝えてくれる「事実」を、私たちは「事実」として受け取る。
しかし、事実があったことと、それを「事実」として認識することとは、イコールではない。そもそも当事者・体験者にはそれぞれの立場があり、当事者・体験者が複数の場合には、当事者間に対立があったり、体験に齟齬があったりする。また、目撃証言は事実の真実性を穿つ重要な素材ではあるが、それも断片性・一面性を免れてはいない。また、「事実」を伝える媒体(メディア)にも、それぞれの立場があり、事実を解明するうえでさまざまな限界もある。
もちろん、この“誰か”は、生きている人に限らない。過去の人が書いたものを読むことによって、過去の事柄や出来事を知ることができる。過去からの情報を、書物や映像などを通して知る。人は情報の力によって、時間的にも、空間的にも、自分の体験の制約を超え、認識を深化・発展させることができる。さまざまな情報をインプットすることによって、人は非体験・未体験のさまざまな事柄を知る。
歴史に関わる教養番組だけでなく、ドラマ・漫画など、さまざまな機会に過去は主な素材となり、あるいは欠かせない背景として登場する。歴史認識がつくられるこうした千差万別の機会のなかで、系統的・組織的に過去を伝えようとする営みが、学校の歴史教育である。制度的に保障された学校での歴史教育のあり方が重要なのはいうまでもない。教育という観点から編成され、系統的に過去認識をかたちづくる場だからである。しかし、学校で教わったことが、そのまま“生き続ける”わけではない。歴史を知る場、過去と接する機会は、学校だけではない。年齢的には小学生・中学生・高校生・大学生・社会人(青年から高齢者まで)に及び、歴史教育の場としての学校教育・社会教育だけでなく、むしろ歴史に接する機会としての出版物やメディアを通じて、人は歴史認識を形成していく。
社会に生きているあらゆる人は、多かれ少なかれ、意識すると否とに関わりなく、歴史に関する情報、過去にまつわる情報の洪水の中で生きている。自分が体験していない過去も、語られ、伝えられることによって、それぞれの過去に関する認識となっていく。
2 歴史と「歴史」-歴史的事実と歴史認識
人は何気なく「歴史」という言葉を使うが、よく考えてみると、この言葉には二つの意味が含まれていることがわかる。一つは、過去にあった事実そのものを指す場合である。過去の事実は、もう過ぎ去ってしまった事柄なので、二度と再現することはないし、繰り返すこともない。その意味で、〈事実としての歴史〉は不変の過去である。
これに対し、人は過去に目を向け、過去からのさまざまな情報をもとに、過去についてのイメージを形づくっている。これが二つ目の「歴史」で、〈認識としての歴史〉、つまり歴史認識である。人が知っている(と思っている)過去の事実は、事実そのものではなく、この認識としての「歴史」にほかならない。したがって、「歴史」(認識)が歴史(事実)と一致するとは限らず、両者の間にはズレが生まれることがある。また、過去からの情報(たとえば新資料の発見)や、関心のあり方によって(新型コロナの感染拡大が感染症の歴史への関心をかき立てているように)、変わり得る過去の認識である。
たとえば、坂本竜馬や西郷隆盛という人物がいたことは事実として確認されているし、その事績も相応に事実として確認されている。しかし、誰も竜馬や西郷に会ったことはないし、彼らに関わる事実を直接に確かめることもできない。〈事実としての西郷〉と〈認識としての西郷〉の間には、当然、差がある。では、なぜ西郷を知っている(と思っている)のか。教科書や歴史書だけでなく、さまざまな小説やドラマなどに登場するからである。
歴史研究は、自らが示す「事実」に対して、根拠・証拠をあげることが求められている。事実と「事実」の距離を明確にするためには、挙証責任が欠かせない。他方、読者や視聴者が小説やドラマに期待するのは面白さや感動であって、正確さではない。小説やドラマには、その筋立てやエピソードに関して証拠をあげる責任はない。そもそもしゃべった言葉を再現することは不可能であるが、セリフをとってしまったら小説やドラマは成り立たない。また、漫画やドラマには人物(キャラクター)が登場するが、いかに時代考証を重ねてみても、それは描かれた画像や俳優が演じる人物であって、過去の人物そのものではない。
人は過去に関する情報を手に入れることによって、過去の「事実」を知る。過去に関する情報は、質的にも、量的にもさまざまである。そうしたさまざまな情報・媒体によって再現された認識としての「歴史」を手に入れることによって、〈認識としての歴史〉は形づくられている。過去からの情報と〈事実としての歴史〉との距離をはかってみると、千差万別、かなり事実とは相違しているものも多い。
3 過去からの情報-歴史的事実にどう迫るか
過去の事実そのものは消え去ってしまうが、その事実のあとには何らかの痕跡が残る。その中心は文字で書かれたもので、記録や手記、手紙や日記、メモなどがそれにあたる。歴史研究はこれらの一次情報を収集・駆使して、過去の事実に迫ろうとする。〈認識としての歴史〉が、どこまで過去の事実、つまり〈事実としての歴史〉に接近することができるかは、集められた一次情報の量と質、およびそれを分析・総合していく理論と技法・手法の冴えにかかっている。
しかし、これらの一次情報も、事実をそのまま反映しているとは限らない。書き手の立場、記憶の不確かさなどが常につきまとっている。意図的に嘘を書いている場合もある。また、大半は資料として残そうとして書かれたり、つくられたりしたわけではない(たとえば、手紙のように)。たまたま残った場合がほとんどである。逆に、残そうとして書かれたり、つくられたりしたものは、まとまっていて便利だが、要注意である。そこには残そうとする意図がはたらいている。都合よく事実が歪められているかもしれない。意図的か無意識的かは別として、隠されてしまったことがあるかもしれない。決定的な事実が消されてしまっているかもしれない。残された痕跡の断片を吟味し、その性格を正確に見極め、過去の事実の総体のなかに位置づけながら、その意味を読みとっていく作業が欠かせない。いずれにしても、慎重な資料批判が欠かせないのである。
近現代史の場合、過去の事実を探る手段として、新聞をはじめとするメディアが重要な役割を果たしている。しかし、近代(戦前)のメディアと付き合う場合には、検閲の存在を念頭におかなければならない。権力がメディアの表現・伝達内容をつねに監視・規制していたからである。ある場合には、メディアは事実を伝えるよりも、率先して事実をねじ曲げる役割を果たしたりした。メディアが伝える「事実」をそのまま事実と認定することには、留保が必要となる。
また、現代史の場合には、文字資料だけでなく、体験者からの聞き取りが重要な情報源となる。体験者のなかに記憶されている過去の痕跡は、文字で記録されない背後の事情や、文字では残されない過去を浮かび上がらせてくれる。事実関係を究明していくために、オーラルヒストリーは欠かせない。ただし、個人の体験・記憶も、一面性・主観性をまぬかれていない。語られないままの体験・記憶も存在する。とくに膨大な体験があっても、思い出したくない過去、語りたくない過去は、封印されたまま体験者の死とともに消えていってしまう。そうした体験と記憶を可能な限り復元して、過去の事実をとらえなければ、認識は事実から離れたもの、さらには事実に反したものにもなりかねない。
4 おさらい日本の近現代史-歴史認識を豊かに
〈認識としての歴史〉は、関心の有無・あり方によって大きく左右される。同じ過去に目を注いでも、たとえば、権力者に関心を向けるのか、庶民に目を向けるのかでは、求める情報も、再現されるイメージも違ってくる。同じことが、男性か女性か、多数者か少数者か、日本の内か外かなどなど、さまざまなことについて言える。その人の視線のあり方が、過去の膨大な事実のなかの、どこに、何に、光をあてるのかを、少なからず左右していく。
また、過去のある事実にたんに視線を投げかけるだけで、その事実にふさわしい(つまり事実に肉薄しうる)認識が再現されるわけではない。よく目をこらして物事を見極める眼力が不可欠となる。遠ければ双眼鏡・望遠鏡を使い、微細であれば顕微鏡を使うように、目の力を補うさまざまな手段を動員して、事実に迫ることが必要になる。歴史研究の場合は、各種の関係文献の検索・研究と、関連資料の収集・分析がそれにあたる。情報の量と質がそれを左右する。鋭い視線、広い視野、物事を見極める眼力。こうした歴史認識の能力を磨くことが不可欠となる。
もちろん、歴史を見る際には、視点の移動と視座の転換が大切となる。ある立場からだけから見ていると、どうしても認識は一面的になってしまう。豊かで柔軟な歴史認識を獲得していくためには、このことが欠かせない。たとえば、「上―下」の関係。「上」、つまり国家や権力をもっている側から過去を見ると、国家に奉仕した個人がたたえられたりする。しかし、「下」、庶民にとってはどうだったのかと問い返してみれば、もっと違う面がたくさん出てくるに違いない。「上」からだけ見ると、ひどい目に遭った、犠牲になった人びとの悲しみが見えてこない。また、「男―女」。女性の立場から、あるいは男女関係という角度から、過去はどう見えてくるのか。多数者の側ではなく、少数者の側から見たら、過去はどう見えるのか。中央の論理ではなく、地域の論理から見れば、どのような過去が浮かび上がってくるのか。「内―外」。たとえば朝鮮の人びと、中国の人びとから見れば、過去はどう見えるのか。日本という内側の立場からだけでなく、外側から見ればどうなるのか。このように視座の転換、視点の移動を重ねていかないと、全体の状況は見えてこない。さまざまな視点や視座から検証しなおさないと、一面的な「事実」だけが独り歩きしてしまう。
このような観点から、あらためて日本の近現代史をおさらいし、「日本」と東アジアの関係を読み解いていってみることにしたい。
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早稲田大学名誉教授、専門は日本近現代史。
主著に、『警察の社会史』(岩波新書、1993年)、『未来をひらく歴史:東アジア3国の近現代史』(共著、高文研、2005年、日本ジャーナリスト会議特別賞受賞)、『新しい東アジアの近現代史:未来をひらく歴史(上)(下)』(共著、日本評論社、2012年)、『「主権国家」成立の内と外』(吉川弘文館、2016年)、『日本近現代史を読む 増補改訂版』(共著、新日本出版社、2019年)、『世界の中の近代日本と東アジア』(吉川弘文堂、2021年)など。