(第43回)明日への希望の光としての婚外子相続分差別違憲決定(巻美矢紀)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
婚外子相続分差別・最高裁判所大法廷違憲決定
1 民法900条4号ただし書前段の規定と憲法14条1項
2 民法900条4号ただし書前段の規定を違憲とする最高裁判所の判断が他の相続における上記規定を前提とした法律関係に及ぼす影響最高裁判所平成25年9月4日大法廷決定
【判例時報2197号10頁掲載】
待ち望んでいた違憲判断に、感情が高ぶらずにはいられなかった。法定相続分につき婚外子は婚内子の2分の1とする旧民法900条4号但書は、私を憤慨させ、憲法学に私を惹きつけた、私の原点の一つである。
この憤慨の理由を見事に言語化してくれたのが、本規定を初めて憲法14条1項の法の下の平等に反するとした、東京高裁決定(東京高決平成5・6・23判時1465号55頁、「平成5年高裁決定」とする)の次の考えである。本規定は「正に『親の因果が子に報い』式の仕打ちであり、人は自己の非行のみによって罰又は不利益を受けるという近代法の基本原則にも背反している」。
自分の努力ではどうしようもないことは、この世にたくさんあるし、そもそも相続自体、どのような家庭に生まれるかという、運の問題である。しかし、同じ被相続人の子という同一の状況にありながら、自分の努力では変えようがなく、しかも自分になんら責任のない出生に基づく婚外子の地位を理由に、婚内子の2分の1という、やるせなさは、お金の問題ではない。「自分の価値が半分に感じる」との婚外子の言葉は、それを端的に物語る。
子どもの誕生は通常喜びをもって迎えられるが、婚外子、特に重婚的関係から生まれる婚外子は、キリスト教社会では宗教的非難、日本でも道徳的非難の対象の延長として、親や周りの者たちの葛藤の中で生まれてくる。度々小説等のモチーフとされてきたように、婚外子は世間から白眼視され、「肩身の狭い思い」を幾度となく経験し、それは自尊の感情に影を落とす。婚外子の地位は、歴史の中で劣位者の社会的意味づけをされ、スティグマ(負の烙印)を帯びた属性なのである。本規定は法律婚の保護を目的とし、差別意図のないものだとしても、社会の道徳的非難を背景に差別的なメッセージ性を帯び、追い打ちをかける。
本決定はこの問題を真面目に受けとめ、「本件規定の存在自体がその出生時から嫡出でない子に対する差別意識を生じさせかねない」等として、本規定の補充性から広範な立法裁量を認めた平成7年の合憲判断(最大決平成7・7・5判時1540号3頁、「平成7年決定」とする)の論理を否定し、違憲判断に道筋をつけたのである。
本決定が合憲性審査として目的・手段審査をとらなかったことは、憲法学から批判が強い。しかし、本規定の違憲のポイントは、婚外子であることのみを理由に不利益を及ぼすことは、立法目的とされる法律婚の保護のため、仮に効果的でかつ過大包含ではないとしても(学説等の指摘のとおり、効果的でなくかつ過大包含なのであるが)、不利益の程度に関係なくそもそも憲法上許されないということであり、目的・手段審査ではこの点がぼやけてしまう。本規定の真の問題は、法律婚というものは婚外子差別を当然に含むとの理解の妥当性なのである(この理解を前提に平成7年決定は、立法目的として「法律婚の尊重」とともに「非嫡出子の保護」も認めたのであり、上記理解は可部補足意見に端的に示されている)。この点、本決定は、立法事実の変化による「家族という共同体の中における個人の尊重」のより明確な認識に伴い、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許され」ないとの考えが確立したとし、このより抽象的なレベルの考えから、国民の間で根強い法律婚に関する上記理解を否定し、本規定を合理的理由のない差別としたのである。
違憲判断の決め手となった、上記の抽象的な考えこそ、冒頭の平成5年高裁決定の考えであり、「立法目的の枠を超える」とする平成7年決定反対意見の核心でもあった。本決定は、現在の反対意見が将来の多数意見になりうることを現実のものとして示した、希望の光といえる。
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1970年生まれ。博士(法学、東京大学)。千葉大学法経学部助手、助教授、法科大学院准教授、教授を経て現職。共著として『憲法学読本〔第3版〕』(有斐閣、2018年)。