(第39回)公正なM&Aの在り方に関する指針とマーケット・チェック(野澤大和)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2021.11.19
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。気鋭の弁護士7名が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

柳明昌「M&A指針と公正な価格」

法律時報93巻9号(2021年)34頁~39頁より

経済産業省は、2019年6月28日付けで「公正なM&Aの在り方に関する指針」【PDF】(以下「M&A指針」という)を公表した。M&A指針は、経営者による一般株主からの会社の買収(いわゆるマネジメント・バイアウト)と支配株主による従属会社の買収を対象として、ベストプラクティスの形成に向けて、公正な手続に関する基本的な視点を示した上で、取引条件の公正さを担保することに資する実務上の具体的対応(以下「公正性担保措置」という)のうち、一般に有効性が高いと考えられる典型的な措置とその機能や望ましいプラクティスの在り方を提示するものである。M&A指針の公表後2年以上が経過し、その後のM&AにおいてM&A指針に基づいた公正性担保措置を講じることが実務的に定着してきたように思われるが1)、公正性担保措置の在り方、特にマーケット・チェックについてはどの程度行うべきかは実務的に悩ましい面もある。そこで、本稿は、M&A指針の判断枠組みや基本的な前提・出発点を共有しつつ、公正性担保措置のうちマーケット・チェックについて、オークション理論を手がかりとしてM&A指針の判断基準のさらなる具体化を試みるものである。

法律時報2021年8月号 定価:税込 2,145円(本体価格 1,950円)

マーケット・チェックには、潜在的な買収者の有無を調査・検討する積極的なマーケット・チェックとM&Aの事実の公表後に潜在的な買収者が対抗提案を行うことが可能な環境を整備したうえでM&Aを実施する間接的なマーケット・チェックがある(M&A指針3.4.2)。これまでの実務では、①買収者が支配株主である場合は、買収者の売却意思が乏しいこともあり、マーケット・チェックは実効性を欠き、現実に機能することは難しいこと、②M&Aに対する阻害効果や情報管理の観点等の弊害があることを踏まえ、常に積極的なマーケット・チェックの実施が求められるわけではなく、支配株主による従属会社の売却の場合2)を除き、③間接的なマーケット・チェックが行われることが一般的であり、公開買付期間を法定の最短期間よりも長く設定(30営業日以上)した上で、対象会社と買収者との間で取引保護条項の合意を行わないなどの対応が講じられており、一定の機能を果たしているとされるが、柳教授はかかる実務の状況について以下のように評価する。

① M&A指針によれば、買収者が支配株主である場合、真摯な対抗提案が行われることは考えにくいから、原則としてマーケット・チェックは不要であり、例外的に実施する意義があるか否かを特別委員会が確認することが望ましいとされている(M&A指針3.4.3.2)。例外的な場合とは、支配株主が対抗買付けに応じる旨の合意があり、特別委員会が潜在的な買収者と接触を行う場合で特別委員会の承認とマジョリティ・オブ・マイノリティの双方が満たされるときが考えられるとする。

② 積極的なマーケット・チェックの実施に伴う弊害のうち、M&A阻害効果について、オークション理論も、M&A指針と同様に、オークションの実施がかえって競争上の不利益をもたらす場合があることを認識し、常にオークションを実施すべきとは考えていない。情報管理の観点は積極的なマーケット・チェックに伴う企業機密等の情報流出や取引情報の漏洩等による事業や株価への悪影響のおそれ等(M&A指針3.4.3.1、3.4.5)があるので、それに備えて情報開示に先立って秘密保持契約を締結するとしても完璧な漏洩の防止は難しく、漏洩の経路分析を踏まえた契約の実効性を確保する実務的な対応が求められる。積極的なマーケット・チェックは、フェア・ディスクロージャー・ルール(金商法27条の36第1項)や情報伝達・取引推奨の禁止(金商法167条の2)との関係でもそれらの規律に抵触しないと考えられるとする。

③間接的なマーケット・チェックについては、実務上対抗買付けが出現できるように公開買付期間として30営業日以上の期間が設定されていたとしても、対抗的な買収提案者が対象会社の事業等についてキャッチアップする期間として十分か疑問があり、勝者の呪い3)が現実的なものになる。M&A指針によれば、上場会社が対象会社である場合は必要な情報は既に公表されており、必ずしもデュー・デリジェンス(以下「DD」という)の機会を付与しくなくても対抗提案は可能であるとされるが(M&A指針3.4.5)、対抗的な買収提案者にDDの機会を与えるなどの買収者間の情報の不平等がないことなどの検討が必要であり、さもなければ勝者の呪いがあり、構造的に対抗提案が起こりにくい状況にあるとともに、対象会社からの何らの秘密情報の提供や説明の機会もなしに具体的かつ実現可能性のある真摯な対抗提案を行うことは事実上困難であると指摘する。そして、対象会社と買収者との間で取引保護条項の合意を行わないことがマーケット・チェックの実効性を裏付けると単純に考えるべきではなく、どのようなマーケット・チェックの場合にいかなる内容の取引保護条項であれば合理的であると言えるかを問う必要があるとする。

柳教授は、M&Aが公正な手続に基づかないことを理由に価格の公正性を争われた場合には、第1に、対象会社が特定の買収者とだけ交渉し、事前及び事後のマーケット・チェックを行わなかったこと、第2に、潜在的な買収者による対抗提案を不可能にする不合理な取引保護条項が存在したことが主張され得ることを念頭に、公正な価格の判断枠組みを検討する。

第1の点については、M&Aのプロセスにおいて常に積極的なマーケット・チェックが義務づけられるわけではなく(M&A指針3.4.3.1)、特定の買収者と実質的に交渉したからといって当然にプロセスの頑健性が失われるわけではないとした上で、いかなる場合にオークションの実施が効果的であるかについては、個別の取引において、買収者の数・属性(買収者が少なく特定が容易な場合は交渉が最適)、対象会社の資産・事業の性格(規模が大きく複雑になるとオークションは不向き)、秘密保持・透明性を要する程度(秘密保持には交渉が最適、透明性確保にはオークションが最適)、情報収集のコストや経営陣の有する特別の情報等を考慮してケース・バイ・ケースで判断すべきであるとする。

第2の点については、交渉からクロージングまでのM&Aの時間的な流れに沿って、契約締結前に実施されるマーケット・チェックと契約締結後に実施されるマーケット・チェックの区別が重要であると指摘する。事前のマーケットチェックが行われ、高値を付けた買収者との間では、ノーショップ条項(対抗提案を積極的に勧誘しない)、フィデューシャリー・アウト条項(より有利な条件を提示する買収者と交渉する)、事後的に有利な対抗提案が出現した場合の解約金(breakup/termination fee)の支払いが定められる。他方で、特定の買収者と事前の排他的交渉を行い、事後のゴーショップ期間に潜在的な買収者の勧誘を行う純粋なゴーショップ条項を定めることが対極にある。事前に特定の買収者と交渉を行う場合でも、M&Aプロセス全体を観察し、事後のゴーショップが効果的に実施されれば交渉価格は信頼に値するものとなるが、先行の買収者の追加提案権が無期かつ無制限であったり、ゴーショップ期間が短すぎたり、期間経過後の解約金の割合が高すぎたりするなど取引保護条項が過度に競争制限的であるときはM&A公表後の対抗提案の出現を妨げるもので頑健なプロセスとは評価できないとする。

最後に、柳教授はM&A指針の判断枠組みに対する批判・異論として、公正な手続を前提に公正な価格が当事者間で合意した取引価格・公開買付価格に等しければ、関係者間の予測可能性を高め、最善のプロセス形成を促すことに繋がる一方で、裁判所の価格決定で交渉価格を上回る現実的な脅威がなくなれば、対象会社の株主は価格決定を申し立てるインセンティブを削がれてしまうという問題があり、むしろ強い買取請求権の存在が株主の期待効用を高めるものであり、支配権市場を巡る交渉の実情に鑑みて高度に効率的かつ価値創造的な市場とは評価できない(取引価格が発見された価格といえるかは疑問がある)等と指摘する。また、今後の課題として、M&A取引はトップレベルの閉鎖的な話し合いで取引が決まるとも言われるので、役員の個人的なインセンティブとともに、M&A市場の効率性について交渉の実情を踏まえた分析が求められることや、企業価値の増加分の分配を交渉に委ねるM&A指針の立場ではシナジー分配の在り方がブラックボックス化して見えにくくなること等の課題を指摘する。

冒頭で指摘したとおり、M&A指針の公表後2年以上が経過し、その後のM&AにおいてM&A指針に基づいた公正性担保措置を講じることが実務的に定着してきたように思われるが、本稿のように現在の実務の現在地を改めて検証することはベストプラクティスの形成のために必要不可欠である。今後、実務での取り組みや裁判例の積み重ねを通じて、効率的なM&Aを阻害しないような、マーケット・チェックをはじめとする公正性担保措置のベストプラクティスが形成されることを期待したい。

なお、本稿は、「会社法バトルロイヤル-会社法学に『論争』は起こるか」という企画における論文であるため、本稿と対をなす石綿学=金村公樹「公正性担保措置の検証とあるべき姿」法律時報93巻9号(2021年)40頁も是非ご一読いただきたい。

本論考を読むには
雑誌購入ページへ
TKCローライブラリーへ(PDFを提供しています。次号刊行後掲載)


◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。


この連載をすべて見る

脚注   [ + ]

1. 東京証券取引所は、「公正なM&Aの在り方に関する指針」を踏まえた開示状況(2020年7月~2021年6月)【PDF】を公表している。
2. 支配株主による従属会社の売却の場合には積極的なマーケット・チェックが行われることが多い(石綿学=金村公樹「公正性担保措置の検証とあるべき姿」法律時報93巻9号(2021)42頁)。
3. 「勝者の呪い」とは、「勝者」である落札者は、商品の共通価値を上回る推定額を出したために落札することができたものの、その価格は転売市場価格を上回っているため、転売することで損失を被ってしまうオークションにおいて構造的に生じる現象をいう。

野澤大和(のざわ・やまと)
2004年東京大学法学部卒業。06年東京大学法科大学院修了。07年弁護士登録。08年西村あさひ法律事務所入所。14年Northwestern University School of Law卒業(LL.M.)。14年~15年Sidley Austin LLP(シカゴオフィス)で研修。15年ニューヨーク州弁護士登録。15年〜17年法務省民事局に出向(会社法担当)。19年西村あさひ法律事務所パートナー。主な書籍・論文として、「自己株式の取得・処分の事例分析─2020年6月~2021年5月─」資料版商事法務448号(共著、2021年)、『バーチャル株主総会の法的論点と実務』(共著、商事法務、2021年)、『令和元年改正会社法(3)』別冊商事法務461号(共著、2021年)、『令和元年会社法改正と実務対応』(共著、商事法務、2021年)、『Before/After会社法改正』(共著、弘文堂、2021年)、「監査上の主要な検討事項(KAM)と取締役等の説明義務」旬刊商事法務2253号(2021年)、「アクティビストの動向」ビジネス法務2021年2月号(共著)、『令和元年改正会社法②』別冊商事法務454号(共著、2020年)、『M&A法大全〔上〕〔下〕』(共著、商事法務、2019年)、「武田薬品によるシャイアー買収の解説〔I〕〜〔VI〕」旬刊商事法務2199号2204号(共著、2019年)ほか多数。