学問の自由の憲法的意義(松本和彦)(特集:統治機構における学問の自由)

特集から(法学セミナー)| 2021.12.08
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」797号(2021年6月号)に掲載されているものです。◆

特集:統治機構における学問の自由

「学問の自由」が、「思想の自由」や「良心の自由」といった基本権と並び、憲法23条で、独立に保障されているのはなぜでしょう。

昨年、日本学術会議会員任命拒否が社会問題となりました。

「大学」という学問共同体に属し、学問を志すみなさんにとっても、大きな関心事であったかもしれません。

本特集では、「学問の自由」の意義を、個人・公共の利益の観点から問い直します。

「学問の自由」がもつ公的側面が、統治機構においてどのように作用するのか、考察していきましょう。

――編集部

1 はじめに

憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と規定する。この簡潔な規定の意味するところは、一見、明確である。すなわち、何人であれ、どのような内容の学問的見解(学説)を持とうと自由だし、かつ、それを公表して世間の賛同を得ようとするのも自由であって、特定の学説を提唱したとの理由で不利益を課せられることはない、という意味である。しかし、それだけの意味しかないのであれば、思想の自由(憲法19条)や表現の自由(憲法21条1項)のような市民的自由1)と並べて、あえてこれを憲法に規定する意義は乏しい。市民的自由が保障されていれば、それで十分と思われるからである。そうでないなら、学問の自由には思想の自由や表現の自由の保障に尽きない特有の意義があるはずで、それが何であるのか、確認しておく必要があるだろう。

昨年、持ち上がった日本学術会議会員の任命拒否問題(日本学術会議が法律に基づき推薦した新会員のうち、6名が、理由が明らかにされないまま、内閣総理大臣によって任命拒否されたこと)の際も、学問の自由の意義が再び問われることになった2)。問題が発覚したとき、各方面から、これは学問の自由の侵害に当たるのではないかとの声が上がったが、他方で、学術会議の会員になれなくても、自由な学問活動が妨げられることはないし、任命拒否によって学問の自由を奪われた者は誰もいないはずである、との反論もあった。任命を拒否された者は、学術会議の会員資格を得ることができなかっただけのことで、それは希望が叶わなかったという次元の話に過ぎず、学問の自由侵害という大げさな話ではないというのである。このような意見の相違も、学問の自由の意義をいかに捉えるかについての見解の相違と密接に関係している。

以下では、思想の自由や表現の自由のような市民的自由とは別に、学問の自由が憲法に規定された理由を再考することにより、学問の自由に特有の意義を明らかにしたい。

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脚注   [ + ]

1. 市民的自由の意義については、毛利透「市民的自由は憲法学の基礎概念か」岩波講座『憲法1』(岩波書店、2007年)3頁参照。
2. 差しあたり、佐藤岩夫「日本学術会議会員任命拒否問題と『学問の自由』」法セ792号(2020年)2頁参照。