(第5回)法の極みは不法の極み

法格言の散歩道(吉原達也)| 2022.02.07
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Summum ius summa iniuria.

(Cicero, de officis 1, 10, 33)

スンムム・ユース・スンマ・インユーリア

(キケロ『義務について』1, 10, 33)

キケロに会いに行く

キケロに会いたいと思ってから長い時間が経過してしまった。それが実現したのは漸く10年ほど前のことになる。ローマの中心、カンピドッリオの丘(いわゆるローマ七丘の一つ、カピトリヌスの丘の名前の方がよく知られているかもしれない)へと続く緩やかな石段を上っていくと、ミケランジェロの設計したカンピドッリオ広場があり、正面には時計台のあるローマ市庁舎の建物(呼び名はセナトーリオ宮殿、つまり元老院宮殿の名前が長く継承されている)があり、左右二つの建物とともにこの広場を囲んでいる。向かって右側がコンセルヴァトーリ宮殿美術館、左手がカピトリーノ美術館(パラッツォ・ヌオーヴォ)があり、これら二つの美術館を併せて、カピトリーニ美術館(イタリア語の複数形で Musei Capitolini)と呼ばれる。このカピトリーニ美術館は、ローマの象徴である雌狼と双子の兄弟像、マルクス・アウレリウスの騎馬像などで知られる。件のキケロ像もこの美術館の収蔵品である。「哲学者たちの間」に飾られる胸像は、キケロの死からそう遠くない1世紀半ばの作品とされ、キケロの堂々とした威風を今に伝えている。標題の「法の極みは不法の極み」という格言もキケロの言葉として伝えられる。この胸像を見ると、まさにキケロ先生ならばこそこのような言葉を残されたのだと納得したものであった。左右二つの美術館は広場の下で地下道でつながっていて、途中にある市庁舎側への階段を上がっていくと、古代の文書館(タブラリウム)跡に通じていて、そこから見えるフォロ・ロマーノの光景はまた格別なものがあるように思う。

キケロ『義務について』

「法の極みは不法の極み」は、直訳風に示せば「最高の法(正)は最高の不法(不正)である」あるいは「最厳正の法は最不正の法なり」とも訳される。穂積陳重『法窓夜話』では、日本語の「理の高じたるは非の一倍」という諺に近いと記されている。「この法と不法、正と不正というアンチテーゼで作られる法格言のかたちは、キケロ『義務について』(1, 10, 33)に登場する。キケロは、古代ギリシャから流れ出るさまざまな永遠の智慧の糸を一身に紡ぎとり、ラテン語による表現の一つの完成形ともいわれるキケロ風文体によって、今に伝えるローマ第一の学識者、文筆家、哲学家として知られる。しかし政治という領域では、動乱のローマ共和政期という時代をともに生きたカエサルの光の前にその姿は霞んでしまう印象がある。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授、日本大学特任教授。専門は法制史・ローマ法。