(第46回)憲法学と行政法学との対話(本多滝夫)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
呉市立中学校施設使用不許可事件
公立小中学校等の教職員の職員団体が教育研究集会の会場として市立中学校の学校施設を使用することを不許可とした市教育委員会の処分が裁量権を逸脱したものであるとされた事例
最高裁判所平成18年2月7日第三小法廷判決
【判例時報1936号63頁掲載】
それは、法科大学院制度が創設された頃の想い出である。法科大学院では個々の基本的な法律科目を融合させて公法系・民事系・刑事系科目へと発展させて教育するものであることを踏まえ、新司法試験でも、たとえば実体法と訴訟法の融合的な出題が可能となるよう、公法系科目、民事系科目、刑事系科目という試験科目の設定がされた。
筆者が属していた龍谷大学法科大学院(2005年4月~2017年3月)もいくつかの融合科目を設けた。そのうちのひとつ、「公法総合演習」は、憲法担当教員と行政法担当教員が共同して授業を運営する設計となっていた。授業がスタートする半年前から教材の準備をはじめ、判例演習6題と事例演習6題を6人の教員(憲法3人・行政法3人)が一題ずつ作問し、これらについて数回にわたる検討会を開催した。
本判決は、筆者が準備した判例演習の素材であった。行政財産の目的外使用については、使用を求める者に実体的な使用権がないことから、管理者に広範な裁量権が認められてきた。最高裁は、本判決において、このことを前提としつつも、裁量権の濫用を認定するに際して、判断過程の過誤の有無を問うといった審査方法を用いた。そこで、筆者は、検討会において、裁判長が行政法研究者出身の藤田宙靖判事ということもあり、本判決を裁量権濫用審査の積極的な展開を示した教材として肯定的に扱う趣旨で紹介した。
ところが、本判決に対する憲法担当教員の方々の意見は厳しかった。使用不許可において、施設利用の目的である教研集会の内容が教育上支障の有無の判断において考慮されること自体が集会の自由の保障の観点から問題とされるべきであって、裁量権の濫用の問題ではない、というのである。本判決は、実体的権利に裏打ちされない制度の下では基本的人権の保障は裁量権を拘束しないとするマクリーン判決(最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁)の限界を判断過程審査で乗り越えようとした行政法学の営みであって、このような意見は正当な評価であるとは思えなかった。当時の筆者は、若気の至りで、大家ともいえる方々に行政法解釈の法技術的特性を口角泡を飛ばして語ってしまった。とはいえ、基本的人権の規範外的効果の問題として本件を把握することは公法系融合科目の視点として重要な指摘ではあると思いかえした。
そこで、同時期に筆者に執筆依頼のあった『平成18年度重要判例解説』における本判決の批評(「公立学校施設の目的外使用と司法審査」)は、校正の段階で、憲法学からの批判的視点が加筆され、他の判例批評とはやや趣を異にするものになった。
なお、この加筆部分は山本隆司教授にも注目いただき、面目を施すことができた(山本隆司『判例から探究する行政法』〔有斐閣、2012年〕241頁)。
その後、新司法試験が「成熟」するにつれて融合型出題は減少した。しかし、新しい法曹養成に向けて分野を超えて教員相互の間で議論を熱く交わした時代があったことは記憶にとどめてよい。
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1958年生まれ。名古屋大学法学部助手、愛知教育大学教育学部助手、広島修道大学法学部専任講師、同助教授、同教授を経て現職(2005年4月~2017年3月法務研究科教授)。
著書に、『アクチュアル行政法 第3版』(共著、法律文化社、2020年)、『地方自治法と住民』(共編著、法律文化社、2020年)、『判例から考える行政救済法 第2版』(共編著、日本評論社、2019年)など。