(第6回)もし他人の四肢を破壊し、その者と和解しなければ、タリオがあるべし

法格言の散歩道(吉原達也)| 2022.03.07
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Si membrum rupsit, ni cum eo pacit, talio esto.

(lex duodecim tabularum 8, 2)

スィ・メンブルム・ループシット・ニー・クム・エオー・パキット・ターリオー・エストー

(十二表法8, 2)

「復讐代行の2人」

一昨年の暮れにNHKテレビで『タリオ 復讐代行の2人』というドラマをご覧になった方も少なくないだろう。「その無念な思い、貴方に代わって復讐致します」という刺激的なキャッチフレーズが目に止まった。泣き寝入りをせざるを得ない被害者になり代わって卑劣な悪人たちへの復讐を果たしてくれる元弁護士と詐欺師の物語ということであった。復讐代行の裏稼業といえば、かつての必殺シリーズが思い起こされる。時代も設定も異なり、両者を同じに論じることはもちろんできないであろう。しかし復讐がドラマのテーマとして繰り返し取り上げられるのには、時代を超えて私たちの心を引きつけるものがあるように思われる。今の時代になぜタリオなのだろうか。タリオははるか昔の歴史の記憶にとどまるものではないようだ。

目には目を、歯には歯を

「目には目を、歯には歯を」といった同害報復の考え方を示す言葉は、ハムラビ法典や旧約聖書のなかにも登場することはよく知られている。タリオという名称に包括される刑罰の形態は、ローマ古法・イスラム法(コーラン)・マヌ法典をはじめ中国及び日本などに伝えられる資料によれば、およそ洋の東西を問わず古代社会のひろい範囲にわたって行われていた。「目には目を、歯には歯を」のような言葉からは、何か恐ろしい血なまぐさい刑罰を連想してしまうかもしれない。しかし刑罰法の発展史から見れば、原始時代における無制限で衝動的な復讐的刑罰に対して、タリオは、合理的な制限を試み、犯罪及び刑罰間の必然関係及び公平な処罰を意図した、きわめて画期的な人類の発明でもあった。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授、日本大学特任教授。専門は法制史・ローマ法。