(第15回)戦後日本における「過去の克服」(1)(本庄十喜)
私たちが今、日々ニュースで接する日本の社会状況や外交政策を、そのような歴史的視点で捉えると、いろいろなものが見えてきます。
この連載では、「日本」と東アジア諸国との関係を中心に、各時代の象徴的な事件などを取り上げ、さまざまな資料の分析はもちろん、過去の事実を多面的に捉えようとする歴史研究の蓄積をふまえて解説していただきます。
現在の日本を作り上げた日本の近現代史を、もう一度おさらいしてみませんか。
(毎月下旬更新予定)
1 「過去の克服」とは何か
「過去の克服」とは一体何でしょうか。この概念は元をただせば、ドイツ共和国(西ドイツ)初代大統領テオドーア・ホイス(在任期間:1949~59年)によって知られるようになり、その後6代目大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー(在任期間:1984~94年)が敗戦後40年の1985年に連邦議会で行った「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という一節で知られる演説(「荒れ野の40年」)によって、過去の戦争責任を直視し、その責任を引き受けるドイツ国民の姿勢を「国家意志」として国内外に堅持したものです。そうして現在では、ナチス・ドイツの暴力支配がもたらした膨大な被害に対する戦後ドイツのあらゆる取り組みの総称として広く用いられています。具体的には、ナチ不法の被害者に対する金銭的補償(賠償)、ナチ体制下の犯罪に対する司法訴追、ネオナチの規制、現代史重視の歴史教育といった政策・制度面での実践と、これらを支える精神的・文化的活動の総体を意味します。そしてそれらの一例としては、ドイツ連邦政府が約6,400のドイツ企業とともに強制労働被害者のために設立した「記憶・責任・未来」基金や、2005年に連邦政府が記憶の保存と継承のために建立したベルリンの中心部にあるホロコースト犠牲者追悼碑とその地下にある資料館などの取り組みがあげられます。
このようなドイツにおける多様な取り組みの総称としての「過去の克服」は、その後国際社会の戦争認識や植民地認識にも深く影響を及ぼし、第二次大戦時ともに枢軸国の立場から連合国と対峙した日本の植民地支配や侵略戦争がもたらした被害や責任を議論する際にも援用されています。1990年代以降は、「戦後補償」という概念で議論されているものと同様のものということができるでしょう。それは被害者への金銭的補償(賠償)に限定されるものではなく、被害者の名誉回復や被害の原状回復のために必要なあらゆる措置を意味し、再発防止のための歴史教育や歴史の保存・継承活動など多岐にわたります。
日本政府による国家レベルの「過去の克服」はいまだ成し遂げられたとは言えない前途多難なものですが、他方、民間による「草の根」レベルの取り組みは地道に続けられていることもまた事実です。
そこで第15回と第16回では、戦後日本において植民地支配や侵略戦争がもたらした被害やその責任を引き受けるための取り組みの総体を意味する「過去の克服」(戦後補償)に向けたさまざまな道のりと残された課題について、2回にわたって紹介していきたいと思います。
東京都生まれ。青山学院大学法学部、同大学院法学研究科博士前期課程(専攻は国際人権法)をへて明治大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。専門は日本現代史、民衆運動史、戦後補償運動史。現在、北海道教育大学札幌校准教授。
主な業績として、「北海道における植民地支配の記憶と継承――「民衆史掘り起こし運動」を中心に」山田朗・ 師井勇一編『平和創造学への道案内』(法律文化社、2021年)、「日本は何度も謝ったのか――日本軍「慰安婦」問題にみる「過去の克服」の実態」『日韓の歴史問題をどう読み解くか』(新日本出版社、2020年)、杉並歴史を語り合う会・歴史科学協議会編『隣国の肖像――日朝相互認識の歴史』(大月書店、2016年)など。