『発明の経済学—イノベーションへの知識創造』(著:長岡貞男)

一冊散策| 2022.11.04
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はじめに


本書は、イノベーションの根幹にある発明についての経済研究をまとめたものである。発明は技術フロンティアを拡張し、消費財の多様性拡大、生産性の向上、病の治療や予防、省エネルギーや環境保護などに、中核的な役割を果たしてきた。発明は利用において非競合的であり、イノベーションとしてあるいはその知識源として、将来にわたって多くの人々に持続的な恩恵をもたらす。貿易機会やインターネットによるサービスの提供機会の拡大によって、新たな発明からの受益の範囲や頻度は広がっており、発明の社会的便益は拡大している。

発明については多くの著書、論文があるが、まだ十分な理解が得られていない基本的な点は少なくない。いくつかの例示をしよう。第一に、発明の創造過程である。これには様々な見方があるが、研究開発の目的に即して得られる発明と、そうでない発明 (他業務の副産物やセレンディピティ等) がどの程度重要なのか、どのような過程で価値が高い発明が生み出されているのか、競争がどの程度重要であるか、また価値の高い発明はより多くの費用を要しているのかなどが、なお明らかにすべき点である。

第二に、発明への経済的なインセンティブのあり方である。発明からの収益に応じた報酬をより多く発明者に提供することが発明のパフォーマンスを高めるとの見方が広く受け入れられているが、組織の経済学が教えるように、発明が不確実性の高い投資であることを考慮すると、成果報酬はリスク分担に不効率で、発明者の努力の方向を歪めてしまう可能性もある。発明には問題解決自体からの動機 (内発的動機) が重要である場合も多く、効率的なインセンティブのあり方をより広い視野で研究していくことが重要となっている。

第三に、持続的なイノベーションの必要条件である持続的な発明の仕組みである。内生的な経済成長理論では、企業が行う研究開発の成果である発明が知識ストックとして累積され、持続的に将来の発明がもたらされるとされている。しかし、例えば、革新的創薬の多くは、過去の発明の組み合わせではなく、疾患メカニズムや標的の科学的な解明で可能となっていることが示唆するように、発明の持続性には、サイエンスの持続的進歩も非常に重要である可能性が高い。

第四に、発明の組み合わせを効率的に実現する制度である。情報通信分野の技術標準に典型的に見られるように、イノベーションには多数の企業の発明 (そしてそれを保護する特許権) の組み合わせが必要となっているが、コースの定理が示唆するように、企業間の交渉で特許権の効率的な組み合わせが実現するのかである。また、多様なアイデアを活かした累積的イノベーションを促すためには、既存発明の改良発展のための研究開発にはその特許権は及ばないとすることが妥当かどうかも、重要な問題である。

本書はこのような未解決の研究課題の解明に貢献することを目指しており、いくつかの新規の試みを行っている。第一に、発明の創造過程そして発明のパフォーマンスについての、独自に実施した、発明者の国際的なサーベイ (日米サーベイ、日米欧サーベイ) を分析に用いる。大規模な国際サーベイによって、包括的でかつ頑健性が確認できるデータを構築している。第二に、特許制度は多くの改革がなされており、こうした改革 (米国における公開制度導入、日本の特許法 35 条の判決、日本における特許請求期間の短縮など) を、特許制度の機能を検証する自然実験として活用して、研究を行っている。結果は政策にも直接的な含意を持っている。第三に、公開されている特許関連データを利用して、知識の流れや権利の幅等について豊富な新データを構築し、これを活用した研究を行っている。また、プライオリティ競争、戦略的補完性、サンクコストと交渉、効率賃金、O-ring 生産関数、逆選択、コアリション・フォーメーションなど、重要な経済理論の応用研究ともなっている。本書は、筆者の長期にわたるイノベーションの研究からの成果に依拠している。日米発明者サーベイは、経済産業研究所のプロジェクトとして、ジョージア工科大学 (John P. Walsh 教授) と国際共同調査を行い、また日米欧サーベイはミュンヘン大学 (Dietmar Harhoff 教授) 及びボッコーニ大学 (Gambardella Alfonso 教授) との EU 委員会からの競争的研究資金も得た国際共同調査として実施した。こうした支援とこれらの教授に感謝したい。また、本書が依拠する研究は、科学研究費補助金、科学技術振興機構、特許庁などからの競争的資金による支援も受けてきており、これにも感謝を申し上げたい1)。また、本書は、多くの共同研究の成果に依拠しており、共同研究者である、青木玲子 (公正取引委員会)、大湾秀雄 (早稲田大学)、岡田吉美 (特許庁)、John P. Walsh (ジョージア大工科大学)、塚田尚稔 (新潟県立大学)、大西宏一郎 (早稲田大学)、山内勇 (明治大学)、西村淳一 (学習院大学)、内藤祐介 (人工生命研究所)、西村陽一郎 (中央大学) 各位に感謝申し上げたい。本書の刊行には、2021 年度東京経済大学の学術研究センター学術図書刊行助成の助成を受け、また、日本評論社の小西ふき子さんには原稿の編集に大変にお世話になった。感謝を申し上げたい。

最後に、私儀であるが、筆者の研究活動を長期にわたって支えてくれた、妻の和子に感謝を記すことをお許し願いたい。

2022 年 1 月

東京経済大学教授
経済産業研究所プログラム・ディレクター
長岡貞男

目次

  • はじめに
  • 序章 本書の目的と概要
  • 第1部 発明の創造
    • 第1章 発明の創造過程
    • 第2章 プライオリティを巡る競争
    • 第3章 発明者へのインセンティブ設計
    • 第4章 発明者のキャリア、移動と教育
  • 第2部 イノベーション
    • 第5章 イノベーションへのプロセスと不確実性
    • 第6章 発明の進歩性、私的価値と社会的な価値
    • 第7章 反共有地の悲劇の検証
    • 第8章 オープン技術標準によるイノベーション
  • 第3部 特許制度
    • 第9章 パブリック・ドメインと特許制度
    • 第10章 累積的イノベーションと試験研究例外
    • 第11章 ノードハウスのトレードオフと特許審査制度

書誌情報など

脚注   [ + ]

1. 「創薬イノベーションとインセンティブ」(基盤 B,18H00854、代表者)、「複数国間の共通的知的財産制度及び関連法制度の研究」(基盤 A, 17H00963、分担者)、「知識活用と特許制度」(基盤 B, 26285055、代表者)、「イノベーションの科学的源泉とその経済効果の研究」 (科学技術振興機構 JPMJRX11B1、代表者)、「標準と技術のライフサイクル、世代交代と周辺課題」(基盤 A, 23243042、分担者)、「上流発明の効果的な創造と移転の在り方に関する研究 — 共有にかかる特許権を一つのフォーカスにして」(大学における知的財産権研究プロジェクト、代表者)。