(第20回)父殺しを行うことは易いが、それを正当化することは至難である

法格言の散歩道(吉原達也)| 2023.05.08
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Non tam facile parricidium excusari posse quam fieri.

(Spartianus, vita Antonini Caracalli, 8)

ノーン・タム・ファキレ・パッリキーディウム・エクスクサーリー・ポッセ・クァム・フィエリー

(スパルティアヌス「アントニヌス・カラカラ伝」8 (ローマ皇帝列伝))

1 カラカラ帝と法学者パピニアヌス

ローマ皇帝カラカラ(ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス、188-217年)は、古代ローマ遺跡のカラカラ浴場にその名を残し、またローマ帝国の全臣民に対して市民権を付与したとされる212年のアントニヌス勅令(カラカラ勅令)を発したことでも世界史の教科書などでもおなじみである。そのカラカラ帝は、ネロとともに、歴代のローマ皇帝のなかでも血なまぐさいエピソードと結びついた皇帝のひとりである。

弟で共同皇帝でもあったゲタ(プブリウス・セプティミウス・ゲタ・アウグストゥス、189-211年)を、激しい権力闘争の末に、2人の実母ユリア・ドムナの眼前で殺害したのは211年のことであった。このときゲタだけでなく、彼を支持した多くの貴族や市民たちの血も流されたのだが、カラカラは、近衛長官であり法律家としても著名であったパピニアヌス(142?-212年)に、自分自身が元老院と民衆の前で非行を弁明できるように演説文を作成するよう命じた。このカラカラの求めに対するパピニアヌスの答えが、スパルティアヌス「アントニヌス・カラカラ伝」8が伝える標題に掲げた一節である。

ギボン『ローマ帝国衰亡史』は、ゲタ殺害をめぐるカラカラとパピニアヌスとのやりとりと、法学者の死に至る経緯についてこう語っている。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。