(第63回)企業買収に関する新たな規律(野澤大和)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2024.02.20
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。気鋭の弁護士7名が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

藤田友敬「『企業買収における行動指針』の意義」

ジュリスト1592号(2024年)14頁より

2023年8月31日、経済産業省によって、「企業買収における行動指針」(以下「企業買収指針」という)が公表された1)。企業買収指針は日本の経済社会において共有されるべきM&Aに関する公正なルール形成を目的とするものであるが、既に実際のM&Aにおいて、当事会社が企業買収指針を根拠に自己の主張を正当化しようとする行動が見られ始めており(例えば、ニデック株式会社による株式会社TAKISAWAの買収事例)、今後、企業買収指針に従って日本のM&Aにおいて新たな実務が定着していくことが予想される。このように、企業買収指針がM&Aに関与する当事会社の行動に影響を与えることが予想される中で、当事会社としては企業買収指針の意義と内容を正確に理解しておく必要がある。

定価 1,760円(本体 1,600円)

本稿は、「企業買収に関する新たな規律――『企業買収における行動指針』の意義」という特集の第一論文であり、企業買収指針の理論的・実務的検討を行う前提として企業買収指針の性格と総論的な問題について考察するものである。

まず、本稿は、企業買収指針の性格について論じる。企業買収指針は、上場会社の経営支配権を取得する買収をめぐる当事者の行動の在り方を中心に、M&Aに関する公正なルール形成に向けて経済社会において共有されるべき原則論及びベストプラクティスを提示するものである。企業買収指針は、買収防衛策をめぐる一連の指針・報告書である経済産業省=法務省の「企業価値・株主共同の利益の確保又は向上のための買収防衛策に関する指針」(2005年5月)(以下「2005年指針」という)や企業価値研究会の「近時の諸環境の変化を踏まえた買収防衛策の在り方」(2008年6月)の後継文書として受け止める向きもあるかもしれないが、その性格は複雑である。企業買収指針は、これらの指針・報告書のアップデートの要素も含みつつ、近年のわが国の経済社会の在り方を踏まえ、M&Aの持つ種々の側面を扱うことで、全体として健全なM&Aの促進を目指す文書ということになる。

次に、本稿は、企業買収指針が掲げる上場会社の経営支配権を取得する買収一般において尊重されるべき3つの原則、即ち、①企業価値・株主共同の利益の原則(第1原則)、②株主意思の原則(第2原則)、③透明性の原則(第3原則)の意義や関係について検討する。

第1原則は、企業価値と株主共同の利益を「ひいては」という言葉でつないでおり、双方の向上・確保を求める趣旨である。M&Aにより企業価値の確保・向上させることを求めるだけではなく、企業価値を向上させるM&Aにより創出される付加価値が買収者に一方的に分配されるのではなく、対象会社株主に適切に分配されることも目標に含まれる。このような求められる目標が2段階であることも踏まえ、第1原則は「企業価値ひいては株主共同の利益」の確保・向上という表現がとられている。

第1原則と第2原則との関係に関しては、会社の経営支配権に関わる事項について、株主の合理的意思に依拠しなくてはならないとする第2原則は、株主共同の利益の向上・確保と結びつきやすいが、第2原則に従っても第1原則の実現に結びつかないおそれがあると指摘する。そのような場合に、対象会社取締役会にいかなる行動が要請されるかという問題があるが、その問題に対し企業買収指針自体は明確に答えていない。具体的には、対象会社取締役会において問題のM&Aが企業価値を下げると考えた場合に、株主の承認を得ずに対抗措置をとることが許容されるかが問題となる。この点、企業買収指針は、取締役会限りの判断による対抗措置を認める例外的な場合についても、第2原則に整合的な説明を徹底しようと努めており、第1原則を実現するために必要であれば、取締役会は第2原則を守らない対抗措置をとることができるという考え方を一般的に許容するものではないと解される。この解釈は、企業価値を向上させないが株主の利益には沿う提案が株主の支持を得ることで、結果的に企業価値を向上させない買収が成立する可能性が排除できないとしても、「企業価値の向上・確保に資するのであれば、会社の経営支配権に関わる事項について、取締役会は株主の意に沿わない措置をとることができる」というルールをとる弊害の方が相対的に大きいという判断をしているものと説明される。

また、本稿は、企業買収指針において第2原則の内容や理解に変化があることを指摘する。即ち、2005年指針において取締役会限りで買収防衛策が導入された場合であっても株主の総体的意思によって廃止できる手段(消極的な承認を得る手段)を設けている場合には、株主意思の原則に反するものではないとされていたが、企業買収指針は、取締役会限りで導入された対応方針について株主意思を事後的にも行うことなく消極的な承認に留まる状態で対抗措置の発動が認められる場合は限定的なものに留まるとしており、実質的に立場を修正している。この立場の変化は、今後、敵対的買収を強行しようとする買収者が株主の多数の賛成を得て経営陣を入れ替え、ポイズンピルを消却して手続を進めるというアメリカ法のような方向でルールが発展する可能性が低いことを意味する。なお、企業買収指針は、買収者・対象会社経営者の保有する株式にかかる議決権を除いた形で、対抗措置への承認決議を得ることで株主意思の原則を満たすことになるのか、なるとすればどのような場合かという問題について、それが許容されうるのは、「買収の態様等(買収手法の強圧性、適法性、株主意思確認の時間的余裕など)についての事案の特殊事情も踏まえて、非常に例外的かつ限定的な場合に限られる」と述べるに留まる。この「非常に例外的かつ限定的な場合」の範囲の理解をめぐっては、広狭さまざまな主張がなされる可能性があると指摘する。

第3原則については、株主の判断のために有益な情報が、買収者・対象会社から、適切かつ積極的に提供されることを要求するが、買収全体に関する透明性を問題とし、買収者と対象会社双方の行動を対象としている点に企業買収指針の特徴があることや、対象会社が株主の判断に必要な範囲を超えて買収者に対して執拗に情報提供を要求し続けるといった対応を正当化するものではないことを指摘する。

本稿は、企業買収指針の性格や理論的な基礎について考えるための素材を提供するものである。今後、買収をめぐる法的な攻防に際して、企業買収指針の枠組みに沿った形で当事会社の主張が展開されることが増えると予想される。その場合、企業買収指針の本来の意図とかけ離れた牽強付会な援用がなされる可能性もあるため、企業買収指針の論理を内在的に正しく理解することや、企業買収指針を外在的な観点から批判的に検討する前提として企業買収指針の基本的な考え方を理解することの重要性を指摘する点に本稿の意義がある。なお、本稿は「企業買収に関する新たな規律――『企業買収における行動指針』の意義」という特集の第一論文であり、それに続く企業買収指針に関する研究者、実務家及び投資家による各立場からの他の論文2)も理論的・実務的な示唆に富むものばかりであるので、興味のある読者は本稿と併せて是非読んでいただきたい。

本論考を読むには
ジュリスト1592号

 


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脚注   [ + ]

1. 経済産業省「企業買収における行動指針」(2023年8月31日)
2. 白井正和「『企業買収における行動指針』の理論的検討(1)――買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範、買収に関する透明性の向上」ジュリスト1592号(2024)20頁、松中学「『企業買収における行動指針』の理論的検討(2)――買収への対応方針・対抗措置」同26頁、三苫裕「『企業買収における行動指針』と法律事務」同32頁、角田慎介「『企業買収における行動指針』と買収実務」同38頁、三瓶裕喜「『企業買収における行動指針』と投資家」同44頁

野澤大和(のざわ・やまと)
2004年東京大学法学部卒業。06年東京大学法科大学院修了。07年弁護士登録。08年西村あさひ法律事務所入所。14年Northwestern University School of Law卒業(LL.M.)。14年~15年Sidley Austin LLP(シカゴオフィス)で研修。15年ニューヨーク州弁護士登録。15年〜17年法務省民事局に出向(会社法担当)。19年西村あさひ法律事務所パートナー。主な書籍・論文として、「特定の株主からの自己株式の取得と書面決議の利用の可否」旬刊商事法務2345号(2023年)、「アクティビストへの対応と監査役としての留意点」月刊監査役757号(2023年)、「<座談会>株主アクティビズムと2023年6月の株主総会の振り返り」MARR347号(共著、2023年)、「自己株式の取得・処分の事例分析――2022年6月~2023年5月」資料版商事法務472号(共著、2023年)、「株主総会の運営・事務に関するQ&A――株主総会資料の電子提供制度を中心に」ビジネス法務23巻6号(2023年)、『デジタル株主総会の法的論点と実務』(共著、商事法務、2023年)、『実務問答会社法』(共著、商事法務、2022年)、『令和元年会社法改正と実務対応』(共著、商事法務、2021年)、『M&A法大全〔上〕〔下〕』(共著、商事法務、2019年)ほか多数。