『憲法の理論と実践ーーフランスから沖縄への架橋』(著:井端正幸、監修:小林武)

一冊散策| 2024.07.03
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

監修者のはしがき

井端正幸教授は、2021年8月24日に享年67歳をもって、沖縄国際大学の法学部在職中に病没された。この書物は、彼・井端教授の主要な研究業績を、私の責任において遺稿集として編んだものである。

定価:税込 7,700円(本体価格 7,000円)

彼の他界は、全力を傾倒していた憲法研究の途上に突然訪れたものであり、その努力の結晶である多数の学術論文が、書物としてはまとめられないままに遺された。彼は生前、仕事の主要なものを体系化して公刊する具体的な計画をもっていたと仄聞する。しかし、研究者なら誰しも抱くその企図を実現できないまま、急逝した。この計画については、私たちは今のところ知ることができていないのであるが、ここに、僭越ながら彼の意図を忖度しつつ、重要と思う業績を選び、一書として世に送りたいと思う。それは、彼の無念を少しでも慰撫したいとの個人的な思いもさることながら、何より、彼がその短か過ぎる研究者としての生涯においてなしえた仕事が、今それを公にしておくべき客観的な学問的意義を十分に具えていると考えたことによる。

彼の業績は、京都・龍谷大学の大学院時代と沖縄国際大学の教員としての時期とで、領域を画している。龍谷時代の彼の主要な研究対象は、19世紀フランスの憲法思想に定められ、とくに復古王政から七月王政にかけての、「過渡期」と位置づけられる立憲君主制の時期に考察の焦点を合わせている。本書第1章~第4章に収められた浩瀚な論考がその成果である。彼は、とくに、主権原理や代表制論の変容過程を明らかにすべく、復古王政・七月王政をとおして主体的役割を果たしたフランソワ・ギゾーの政治制度論の考察に注力しているが、それは、現代のわが国における代表民主制や議院内閣制にかかわる問題の究明にも資するところが大きいことは明らかである。

この龍谷時代、彼は、フランス憲法思想研究のほかに、わが国の伝統的憲法学にも目を向け、その代表的学者の一人である佐々木惣一の立憲君主制論のもつ意味を詳細に分析している。序章に収めた論文がそれである。そこでは、わが国戦前の、法実証主義を徹底させた憲法学は、「戦争とファシズムの時代」において一定の抵抗の学たりえつつも、それ自体が変容してしまう限界をもつものであったことを、詳細に明らかにしている。

この論文で示された彼の研究の方法は、対象の分析・批判にあたっては実証的な論拠を示して内在的におこなうこと、またその立場は、研究対象の中に歴史進歩に資する要素があればそれを積極的に評価しその先につないでいくこと、を特徴としていると思われる。そしてそれが、彼のすべての論考の基盤となっているといえよう。書物の冒頭にこれを置いたゆえんである。

彼は、1990年から沖縄国際大学に専任講師として就任し、のち、助教授、教授を合わせた逝去までの31年間、一貫して沖国大の憲法担当教員であり続けた。その間の研究は、沖縄の米軍基地問題を対象としたものが多くなる(フランス憲法思想史の研究も継続しており、本書第3章、第4章は、発表は沖国時代である)。彼の在日米軍基地法制についての研究でとくに優れているのは、米軍に特権的地位を与えている日米安保・地位協定の不当性を深く分析したことに加えて、沖縄における米軍基地接収には真っ当な法理がないことを剔抉しているところにある。そして、その手法は、フランス憲法研究の場合と同様、あくまで実証的である。第2部の5つの章はすべて、それらの論稿で構成されている。

そのうち、第2章は、2004年8月13日、沖国大に隣接する普天間基地所属の米軍ヘリが「こともあろうに」大学構内に墜落した大事故に、当時法学部長であった彼が、能う限りの法理論を駆使して対応した、その格闘の産物のひとつである。また、第3章、第5章では、彼の研究室の窓から否応なく視界に入る米軍普天間基地が国際法上不法の存在であることを完膚なきまでに明らかにしている。沖縄における米軍の傍若無人ぶりは、今日、日本政府の対米従属姿勢が進むにつれて、ますます強まっている。そのようなときに私たちは、沖縄と日本にとって今こそ必要とされる優れた研究者を喪ってしまった。

彼は、沖縄に赴くにあたって、母校と程遠くない京都・宇治の「山宣」の墓前で、沖縄に骨を埋めることを誓ったという。戦前、労農党代議士山本宣治は、治安維持法に対して議会でただ一人反対する堂々たる演説をおこない、右翼の凶刃に斃れた。墓には、「山宣独り孤塁を守る。だが私は寂しくない。背後には大衆が支持しているから」と書かれている。――沖縄で、彼も自ら立てた志を守り抜いた。その志がどの論文をも貫いていると思う。本書が、一人でも多くの方に読まれ、彼の知る標となることを心から願いたい。

本書の刊行には、日本評論社 串崎 浩代表取締役からひとかたならぬご厚意をいただいた。昨今の厳しい出版事情の中で、とりわけてむつかしい遺稿集の刊行を二つ返事で承諾してくださった。また同社の皆様には面倒な作業を順調に仕上げていただいた。心からお礼を申し上げる次第である。

また、各論文の初出掲載元である関係大学・出版社からは、転載を快諾していただいたことに、厚く謝意を表したい。

そして、この遺稿集の公刊については、彼が勉学と研究を積んだ母校龍谷大学、また初志を貫いて仕事をすることができた勤務校沖縄国際大学に、重ねて僭越をお詫びし、ご海容を請いたいと思う。それにもかかわらず、両大学の先生方からは、個別にご助言やご助力を頂戴しており、改めて深い感謝を捧げたい。

末筆ながら、本書は、彼と沖縄における最良の友情で結ばれた仲山忠克弁護士の力強く暖かい支援なしには誕生しえなかったことをとくに記しておかなければならない。あまつさえ、同弁護士には、ご多忙を承知で「あとがき」の執筆をお願いし、また、彼のご遺族とのご相談事をすべて担当していただいた。感謝のことばもない。

本書編集の作業のさ中、本年元旦午後に大地震が北陸を襲った。彼の故郷・石川県珠洲市は、まさに震源の地である。彼はどんなにか心を痛めていることか知れない。代わって、被災の皆様にお見舞いを申し上げたいと思う。

2024年5月3日

沖縄大学客員教授
小林 武

目次

監修者のはしがき

序章 憲法研究の視座――佐々木惣一・立憲君主制論にみる伝統的憲法学の抵抗と限界

1 はじめに
2 憲法の概念と憲法学方法論
3 国体論と立憲君主制論の展開
4 「危機」に対する抵抗と限界
5 むすびにかえて

第1部 フランス憲法思想史研究

第1章 フランソワ・ギゾーの「代表制」論の形成――復古王政期前半を中心に

1 序 論
2 復古王政と立憲君主制論
3 「代表制」論の形成
4 「代表制」論の確立
5 むすび

第2章 フランス復古王政期の憲法思想の一側面――フランソワ・ギゾーの選挙権論の展開を中心に

はじめに
1 代表制論の形成と選挙権論の展開
2 ギゾーの代表制論とフランス自由主義
むすびにかえて

第3章 フランス七月王政下の議院内閣制と官吏議員――いわゆる「オルレアン型議院内閣制」の一側面

1 はじめに
2 七月王政期の議院内閣制の理論的基礎――復古王政下の「議会制」論
3 七月王政の政治制度と議会制論の諸相
4 議会・内閣の地位と官吏議員
5 むすびにかえて

第4章 七月王政期の憲法構想の交錯――1839年の上奏文をめぐる議論を中心に

はじめに
1 七月王政と議会制
2 上奏文草案をめぐる議論と代表制
むすびにかえて

第2部 沖縄米軍基地法制批判

第1章 アメリカ支配下の沖縄における自治権と人権保障

1 「沖縄問題」と憲法
2 沖縄をめぐる法的諸問題
3 人権保障の「特殊性」と「自治権」拡大
4 おわりに

第2章 在日米軍と日米地位協定・特例法――アドバルーン掲揚が明らかにした諸問題

はじめに
1 普天間基地は「空港」なのか
2 米軍機の飛行は自由なのか
3 アドバルーンの掲揚は違法なのか
むすびにかえて

第3章 サンフランシスコ体制と沖縄――基地問題の原点を考える

はじめに
1 アメリカ支配下の沖縄――基地問題の原点
2 日本の国連加盟と沖縄
3 政府の「論理」と施政権返還問題
むすびにかえて

第4章 「沖縄問題」と日米軍事同盟からの脱却

はじめに
1 「沖縄問題」の原点
2 「沖縄問題」の展開
おわりに

第5章 米軍用地接収の法理・再考

1 はじめに
2 沖縄戦に至るまでの諸問題
3 沖縄戦と米軍用地接収の法理
4 サンフランシスコ平和条約と沖縄
5 むすびにかえて

あとがきに代えて

書誌情報など