(第9回)人生は本当に短いのか? Vīta brevis, ars longa/人生は短く, 学問は長い
古代ローマの哲学者であり悲劇詩人でもあったセネカ(Lucius Annaeus Seneca, 前4年頃~後65年)は, 妻の近親者で友人のパウリーヌス(Paulīnus)に宛てた書簡『人生の短さについて Dē Brevitāte Vitae』の冒頭で, この格言を「偉大な医者たちの中で最も偉大な者」の言葉として引用しています. セネカのラテン語の原文では, 不定法を使った構文で引用されたものですが, 一般的にはこの言い方でよく引用されているようです:
Vīta brevis, ars longa
ウィータ ブレウィス アルス ロンガ
(人生は短く, 学問は長い)
vīta は女性名詞 vīta「人生」の主格・単数形, brevis は形容詞 brevis 「短い」の女性・主格・単数形, ars は女性名詞 ars「技術, 学問」の主格・単数形, longa は形容詞 longus 「長い」の女性・主格・単数形です. こうした「~は~である」という構造を持つ格言的表現においては, 「~である」を表す be 動詞 sum の3人称・単数・直接法・現在形 est が省略されるのが普通です:Vīta brevis [est], ars longa [est].
「少年老いやすく学なりがたし」?
日本語の類似した格言に「少年老いやすく学なりがたし」がありますので, そのように解釈してみたくなります. 確かに, この日本語の格言も, 人生の短さ, とりわけ少年時代・青年時代の短さを述べた(あるいは嘆いた)ものと理解することができます. ある学問を完全に学ぶためには, 人間一人ひとりの人生は短すぎる. あるいは, 人間が最も学問を習得するのに相応しいと考えられる少年時代・青年時代は, 学問を十分に習得するためには短すぎる. それゆえ, 少年時代・青年時代の貴重な時間を無駄にしてはならないという教訓が述べられていると解釈できるでしょう. しかしながら, 後で説明するように, セネカが引用した文脈に照らして考えると Vīta brevis, ars longa の意味は, 上記のように解釈された「少年老いやすく学なりがたし」と少々異なっているように思われます.
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。