(第10回)ラテン語の普遍性とは? Graecia capta ferum victōrem cēpit/征服されたギリシアが野蛮な勝利者を征服した

竪琴にロバ:ラテン語格言のお話(野津寛)| 2024.08.22
格言といえばラテン語, ラテン語といえば格言. みなさんはどんなラテン語の格言をご存知ですか? 日本語でとなえられる格言も, 実はもともとラテン語の格言だったかもしれません. みなさんは, 知らず知らずに日本語で, ラテン語を話しているかもしれません! 実は, ラテン語は至るところに存在します. ラテン語について書かれた本も, ラテン語を学びたいという人も, いま, どんどん増えています. このコラムでは, ラテン語格言やモットーにまつわるお話を通じて, ラテン語の世界を読み解いていきましょう. (毎月下旬更新予定)

Graecia capta ferum victōrem cēpit
グラエキア カプタ フェルム ウィクトーレム ケーピト
(征服されたギリシアが野蛮な勝利者を征服した)

ラテン語とエスペラント語

「エスペラント語は庶民のラテン語である」と言われます. たとえば, マックス・ミュラーという古代インド学・比較神話学の大先生がそんなことを言ったのだとか. しかし, ラテン語をすこしでも学んだことのある人なら誰でも, エスペラント語について同じような印象を持ったことでしょう. また「ラテン語はインテリのエスペラント語である」とも感じたことでしょう. 以前の記事(第1回第4回)でも述べましたが, ラテン語はヨーロッパの中世から近代にかけて, 教会の言語, 科学と哲学の言語, 法律と行政の言語, 外交と文通の言語, 文学と芸術の言語, 教養ある人々の国際共通語(lingua franca)でした.

19世紀以降, 民族主義の高まりとともに, 各々の民族に固有の言語とされた母語が, 各々の国家の国語・公用語に採用されました. 19世紀末期はグローバル化の時代でしたが, 民族の母語を共有しない諸国民や諸個人の間の「バベル」的混乱のなか, 民族を超えて効率的かつ公平な仕方で意思疎通を実現する補助手段として, ラテン語に代わる国際共通語の必要性が強く感じられたことでしょう. しかし, 当時支配的だった英独仏語のいずれかに国際共通語の地位を与えることも, 文法の習得が非常に難しいラテン語を全ての人々に強要することも困難でした. より学びやすい非民族主義的な国際共通語が強く望まれ, 多くの人工の言語(あるいは国際補助言語)が開発されることになりました. ザメンホフによるエスペラント語はその中のひとつです. その後, エスペラント語はその他のあらゆる人工の国際共通言語を蹴落とすことに成功しましたが, 事実上の国際共通言語の座を英語から奪うことはありませんでした. エスペラント語の文法は基本的にラテン語の文法を可能な限り単純化したもののようにも見えますし, その語彙については, ゲルマン語やスラブ語からも取られていますが(25%程度), やはり大半はラテン語(つまりロマンス諸語)から取られたものでした(75%程度).

外国人が作ったラテン文学

ラテン語がエスペラント語とは異なり自然に発生した言語だったことは自明の事実です. しかし, 人工言語であるエスペラント語には母語話者が存在せず, いわば外国語使用者しか持っていない言語だと考えると, エスペラント語とラテン語の類縁性がよりいっそう深いものになるように思えるのです. このことにかんして, 古代ローマのラテン文学は自然に「生まれた」というより, むしろ「作られた」ものだったと考えられていることに注目してみましょう. 一般に, 文学言語というものは, 多かれ少なかれ標準化を伴い, 多かれ少なかれ人工的なものではありますが, 文学言語であるラテン語の場合, その人工的な特徴が際立っています.

文学言語としてのラテン語が実際に「作られた」とすれば, それはヘレニズム時代の紀元前3世紀からだったと考えられます. というのも, ラテン語で書かれた古代ローマの文学作品の微々たるサンプルがこの頃から伝わっているからです. 同じ頃, ギリシア語の文学の世界はといえば, ホメーロスからアテナイの古典期に至る古代ギリシア文学の黄金時代はとっくの昔に過ぎ去って, 収集と研究を中心とする懐古ムードに浸っていました. ギリシア語の世界では, エジプトのアレクサンドリアを中心に, もっぱらそれ以前に書かれた文学を読み耽り, 文学作品のテキスト校訂をしたりそれらに関する研究書を書いたりする学者詩人たちによる新たな文学の活動が盛んに行われていました.

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野津寛(のつ・ひろし)
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。