『マクロ経済学(第3版)』(著:伊藤元重)

一冊散策| 2024.10.08
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

第 3 版まえがき

「世の中のマクロ経済に対する関心はかつてないほどに高まっています」と、この本の「第 1 版まえがき」で書きました。それから 20 年以上が経ちましたが、マクロ経済に対する関心は、それ以降、さらに高くなっていると思います。マクロ経済で起きていることが、私たちの生活に直結するようになっています。

マクロ経済について基本的な見方を習得することの重要性がますます増しています。マクロ経済学の教科書の役割もより重要になっていると思います。マクロ経済には大きな変化があります。以前には問題にならなかったことが、非常に重要な問題になることが少なくありません。私が学生のころは、教科書でデフレのことを学びました。しかし、それは今から 100 年近く前の 1930 年代の話でした。それから 70 年近く、日本がデフレになることはありませんでした。しかし、21 世紀に入ったあたりから、日本は深刻なデフレに陥ってしまいました。デフレ時代のマクロ経済政策のあるべき姿は、平時のそれとは大きく異なります。デフレの背景にある要因やデフレに対する政策のあり方を考えるためには、マクロ経済学の基本的な考え方が必要となります。

ただ、20 年以上つづいたデフレも、2020 年から世界に広がったコロナ危機や、2022 年以降のウクライナ戦争によって突然終焉することになります。足元ではデフレからインフレへの移行がつづき、物価や賃金が上昇をつづけています。こうした状況が今後もつづくかどうかはわかりませんが、今の経済を理解するためには、インフレもデフレも分析できるような枠組みが必要になります。本書でも第 10 章で、インフレやデフレの問題を扱います。

近年のマクロ経済の動きで重要な特徴は、グローバルな展開という側面でしょう。経済活動が国境を越えて行なわれる度合いが強くなれば、マクロ経済の動きもグローバルな流れの影響を受けるようになります。リーマンショックによるアメリカ経済の縮小、ウクライナ戦争の影響に苦しむ欧州経済、成長率が下がりはじめた中国経済。世界のあちこちで起きている経済的停滞は、けっして無関係ではありません。

いずれにせよ、世界の多くの国の経済は連動しており、マクロ経済を見るためには、ますますグローバルな視点が求められます。

マクロ経済学の教科書にも、この点が色濃く反映されています。国際的な資金の流れ、為替レートの動き、貿易のマクロ経済への影響などを理解することなしには、一国のマクロ経済を理解することもむずかしくなっています。

マクロ経済にはつぎつぎに新しい問題が出てきますが、それはマクロ経済学が過去の知見を捨てて、新しいものに変わっていくという面だけではありません。それどころか、80 年近く前に多くの経済学者が必死に取り組んでいた問題が、また再び新たなテーマとして出てきているのです。マクロ経済問題では歴史は繰り返すようです。

1930 年代、世界経済は大恐慌につづく大不況で苦しんでいました。高い失業率、デフレ、既存のマクロ経済政策の無力などに直面して、多くの経済学者が新しい見方を確立しようとしていたのです。そのなかから出てきたのがケインズの経済学です。ケインズの経済学は、その後のマクロ経済学の基本的な方向に大きな影響を及ぼしました。マクロ経済学の発展は、ケインズの考え方を踏襲したケインジアンと、それに批判的な新古典派の間の論争のなかで展開してきたといっても過言ではありません。

世界同時不況とデフレの危機のなかで、ケインズが打ち出した流動性の罠わなやケインズ政策の考え方に、再び脚光が集まっています。リーマンショック後の同時不況のなかで、世界の多くの国が、大胆なケインズ政策を打ち出しました。その意味では、ケインズは復活したという人も多くいます。

一方、過度な財政刺激策が政府の財政収支を悪化させ、多くの国が深刻な財政問題を抱えるに至っています。景気への配慮も重要だが、財政規律を維持しないとたいへんなことになる、と警告する専門家も多くいます。財政危機に陥った国では、国内景気が極度に悪化しているにもかかわらず、財政健全化のための増税と歳出削減をつづけざるをえない状態です。しかし、そうした姿勢に対して、景気回復を最優先すべきだというケインジアンからの批判もあります。現代でも、ケインジアンと新古典派の論争は活発につづいているのです。

マクロ経済学の教科書を書くことの重要性はますます大きくなっていますが、同時にその作業はますますむずかしくなってもいます。初学者に対して、複雑な現実の問題について紹介する一方で、その背後にある基本的な原理を解説しなくてはいけないからです。膨大な分野のどこに焦点を当てるのかを決めるのも簡単なことではありません。

しかし、同時にマクロ経済学の教科書を書くことは、経済学の世界にずっと身を置いてきた者にとって、たいへんにやりがいのある仕事でもあります。ともすると、あやしい議論に流されがちなマクロ経済論議を正しい方向に戻すためにも、まず多くの人がマクロ経済学の基本的な議論に触れることが重要であると思います。俗説に流されるのではなく、各自が自分の頭でマクロ経済問題について考える。そのためにもマクロ経済学の教科書は重要な存在なのです。

 

すでに述べたように、『マクロ経済学』の第 1 版が出てから 20 年以上が経ちました。この本は、もともと 1988 年に初版を出した『入門経済学』から派生したものです (いずれも日本評論社刊)。その意味では、この教科書との付き合いは 40 年近くになります。経済学者としても私の人生とだぶることになります。

『入門経済学』の第 1 版を執筆した当時、数式をあまり使わず、現実の経済の事例を多く取り入れる経済学の教科書は、あまり標準的なものではありませんでした。その意味では新しい試みの教科書でしたが、幸い、多くの人に受け入れてもらいました。今では、この教科書のスタイルが主流になったという感もあります。

今回の『マクロ経済学・第 3 版』でも、こうしたスタイルを踏襲しています。現実の経済問題に関心を持ってもらいながら、同時に理論的な基礎をしっかり学んでもらう。これがこの教科書の狙いです。私自身はこの間にさまざまな経済問題に取り組む機会に恵まれ、現実のさまざまな問題への理解を深めることができたと考えています。そうした経験をできるだけ本書のなかに盛り込み、より魅力的な本にするように努めたつもりです。

それでも、経済学の教科書では、理論的な基礎がもっとも重要なものであると思います。マクロ経済学は経済を読み解く文法のようなものです。一度学んだ文法は一生使えるように、一度学んだ経済学の基本的な考え方は、いろいろな経済現象を理解するのに役立つ。そうしたことを実感してもらえるような経済学の教科書を書くのが理想であると考えています。その意図の実現にどこまで成功したかは、読者の皆さんに判断を委ねるしかありません.

2024 年 7 月

伊藤元重

目次

  • 0 マクロ経済学とはどういう学問か
  • Part1 マクロ経済学の基礎
    • 1 マクロ経済学のとらえ方
    • 2 マクロ経済における需要と供給
    • 3 有効需要と乗数メカニズム
    • 4 貨幣の機能と信用創造
    • 5 貨幣需要と利子率
    • 6 財政政策の基本的構造
    • 7 財政・金融政策とマクロ経済
    • 8 総需要と総供給
  • Part2 マクロ経済学の応用
    • 9 労働市場の機能と失業問題
    • 10 インフレーションとデフレーション
    • 11 財政破綻と財政健全化
    • 12 金融政策と金融システム
    • 13 国際金融市場と為替レート
    • 14 通貨制度とマクロ経済政策
    • 15 経済成長と経済発展

書誌情報など