ジェンダー教育と法学教育(石田京子)

法律時評(法律時報)| 2024.09.27
世間を賑わす出来事、社会問題を毎月1本切り出して、法の視点から論じる時事評論。 それがこの「法律時評」です。
ぜひ法の世界のダイナミズムを感じてください。
月刊「法律時報」より、毎月掲載。

(毎月下旬更新予定)

◆この記事は「法律時報」96巻11号(2024年10月号)に掲載されているものです。◆

1 「こんなだったんだね」と「今もこんなだよね」

定価:税込 2,090円(本体価格 1,900円)

私が法学部とロースクールの両方で担当している「ジェンダーと法」の授業で、今学期は男女問わず学生から、「朝ドラを取り上げてください!」という声がことのほか多かった。女性初の弁護士、三淵嘉子氏をモデルとした今期のNHKの朝ドラ『虎に翼』は、若い世代の関心も高いようだ。明治26(1893)年に定められた旧々弁護士法は、弁護士資格を得る条件として、「成年男子タルコト」を掲げていたが、これが昭和8(1933)年旧弁護士法により「成年者タルコト」と改められ、女性にも弁護士になる道が拓かれた。このドラマが戦前から戦後という、学生たちからしたら歴史で学ぶような時代を舞台にしながら多くの関心を集めるのは、ドラマに出てくる多くの出来事は「当時はこんなだったんだね」であるにも関わらず、物語の所々に、「今もこんなだよね」が散りばめられているからであろう。

戦後、日本国憲法が制定され、第14条で法の下の平等が謳われた。今日、法制度上の性差別は(ほとんど)存在しないけれども、今なお日本社会の所々で明白なジェンダーギャップがある。ドラマの中で「女性の幸せは良い妻となり良い母となること」と悪意なく当然に考え、主人公の幸せを心の底から願って色々と助言する上司や指導者の言葉や、同じ「弁護士」という資格を持ちながら、女性というだけで仕事の依頼が来ない主人公の姿に、一緒になって理不尽さを感じている学生は少なくないように思う。

2 家庭科教育と女性差別撤廃条約

戦後の初等中等教育においては、多くの教科で男女の区別のない教育が行われてきたが、一部例外が存在した。中学校・高校での家庭科と保健体育である。中学校の技術・家庭科に関して、昭和33(1958)年告示の学習指導要領においては、「生徒の現在および将来の生活が男女によって異なる・・・・・・・・・・・・・・・点のあることを考慮して、『各学年の目標および内容』を男子を対象とするものと女子を対象とするものとに分ける」とされている。高等学校の家庭科についても、昭和45(1970)年告示の学習指導要領において、同様の指針が示されている。当時は、男女で成人後の生活の在り様が異なることが当然に想定されており、女子には調理や被服製作等が、男子には設計・製図や木材加工等が、具体的な教育内容として掲げられていた。その後、昭和52(1977)年の学習指導要領において、このような区別は一部緩和されたが、それでも男女別の履修領域自体の記載は残っていた。

このような中学校・高校での男女で異なる家庭科の履修は、当然のことながら、生徒たちの性別役割意識にも影響を与えたことであろう。家庭で料理をするのは母親という未だ(男女ともに)一部に根付いている意識は、当時の義務教育の在り方にも起因するのかもしれない。戦後日本の復興、高度経済成長期には、いわゆる専業主婦モデルが社会構造において必須のものとして位置づけられていたことと、これらの教育の在り方も無関係ではないのであろう。

男女で異なる家庭科の履修の在り方が完全に撤廃される契機となったのは、国連で昭和54(1979)年に採択された女性差別撤廃条約である。日本はこの条約に昭和55(1980)年に署名、昭和60(1985)年に批准した。批准に先立ち、当時明らかに条約遵守上問題があった3つの法制度について改正が行われている。1つ目は国籍法における父系血統主義、2つ目は雇用の分野における男女平等の問題であり、前者については国籍法の改正、後者についてはいわゆる男女雇用機会均等法の制定による手当てがなされた。3つ目の課題は、まさに家庭科教育であった。女性差別撤廃条約第10条(b)では、締約国に対し、女子に対して男子と平等の権利を確保することを目的として、「同一の教育課程」を確保することが求められていた。日本政府は条約の批准を受けて、平成元(1989)年告示の学習指導要領において、中学校・高校での家庭科等の科目について男女同一の扱いを定めることとなった。平成の始まりとともに、ようやく、教育課程における男女別の指針がすべてなくなったのである。小学校のクラス名簿ひとつ見ても、かつては男女別に分けられ、男子は1番から、女子は男子名簿の後に記載されていたものが、今日は男女を分けずにアイウエオ順である。このような小さな、でも日常的な、男女で区別をしない扱いが、子どものジェンダー意識に与える影響は少なくないように思う。

このように見てみると、教育課程における性別役割分業に基づいた指針が撤廃されてから、未だ35年程度である。今日、「男子もカレーを作る」教育を受けた世代がようやく小学生の子どもを持つ年齢になった程度であるから、なるほど社会における様々なジェンダー問題がなかなか改善しないのも、あらゆる組織の意思決定にあたる世代の多くが受けてきた教育に影響されている部分があるのかもしれない。

3 ジェンダー平等推進施策と現状のギャップ

とはいえ、である。世界経済フォーラムが毎年公表しているジェンダーギャップ指数(GGI)において、令和6(2024)年の日本の順位は146か国中118位であった。先進7か国(G7)の中では最下位、G7で日本の次に低いイタリアは87位であるから、ダントツの最下位である。GGIは、経済、教育、健康、政治の分野毎に各データをウェイト付けして算出されるが、日本の場合、分野別にみると教育は72位、健康は58位とまずまずの順位であるのに対して、経済は120位、政治は113位であり、経済分野と政治分野におけるジェンダー格差が著しく、このことが全体の順位に影響を与えていることが分かる。教育の場におけるジェンダー格差がそれほど大きくないのに、政治・経済という社会の基盤部分でジェンダー格差がこれほど大きくあり続けることについて、法社会学やジェンダー法を研究する者として、やはり無関心ではいられない。

特に、この間日本政府が何もしなかったかというと、そうではない。上に述べた教育課程における男女別の指針の撤廃に加えて、平成3(1991)年には育児休業法(後に育児介護休業法に改正)を制定し、労働現場における育児休業制度を整えた。平成11(1999)年には男女共同参画社会基本法を制定し、本法に基づき、平成12(2000)年以降は5年に一度の男女共同参画基本計画も策定し、政策としては男女共同参画社会の推進に取り組んできたはずである。平成27(2015)年には女性活躍推進法を制定し、女性の職業生活における活躍を推進し、平成30(2018)年には政治分野における男女共同参画の推進に関する法律を制定し、政治分野における女性の参画を促した。それでも、平成17(2005)年の基本計画で明記された「202030」、すなわち、2020年までに社会の指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%とする目標値は、ほとんどの分野において達成できなかった。例えば法曹界について見てみれば、令和2(2020)年の時点で女性の占める割合は裁判官で27.0%、検察官で25.4%、弁護士では19.0%であった。政治の場においては、令和5(2023)年の時点でも女性の割合は衆議院で10.3%、参議院で26.8%である。全体としては世代交代が進み、徐々に格差が改善していくことが見通せても、その動きはあまりに緩慢である。なぜ、ここまで緩やかにしか、日本のジェンダー平等は進まないのだろうか。

4 法学教育とジェンダー教育

原因のひとつとしてしばしば挙げられるのが、日本のジェンダー平等を推進する法律は、拘束力が弱いことだ。女性活躍推進法も、各事業主に対して男女の賃金格差や女性の活躍状況の公表は義務付けているものの、罰則規定はない。政治分野における男女共同参画の推進に関する法律も、専ら関係者の努力を定めるものである。逆にいうならば、これらの法律についてより強い拘束力を持たせるような政治的社会的なコンセンサスが、まだ日本には醸成されていないということであろう。

ここで考えたいのが、法学部における教育である。日本では約80の大学に法学部が設置されており、令和5(2023)年の時点で約14.5万人の学生が在籍している。彼らは一般教養科目に加えて、憲法、民法、刑法などの実定法を学び、一部は司法の専門家として、そうでなくとも官民様々な場において、少なからず法令を扱う社会人となる者が多いはずである。特に近年、SDGsやビジネスと人権といったグローバルな潮流により、企業のコンプライアンス意識は高まり、法務人材はあらゆる場面で求められている。その主要な供給源は大卒レベルでは法学部卒業生であろう。果たして彼らのどれ程が、大学で法とジェンダーの関係について考える機会を持ち、卒業しているのだろうか。

日本における「ジェンダー法学」と呼ばれる学問領域の歴史は比較的浅い。1980年代から、「女性法学」や「フェミニズム法学」などの科目を設置する大学は存在したが、男性も含めた、あるいは男女という性別二元論の在り方も含めたジェンダーの視点から法を研究する、ジェンダー法学会が設立されたのは、平成15(2003)年である。くしくも日本政府が男女共同参画社会基本法を制定した平成11(1999)年に司法制度改革審議会が発足し、その後法曹養成制度の改革や裁判員裁判の導入など、司法に関する様々な制度改革が行われた。日弁連では平成14(2002)年に「ジェンダーの視点を盛り込んだ司法改革の実現をめざす決議」を採択し、司法の分野におけるジェンダーバイアス除去の重要性を訴えたが、そのための最も重要な施策として、法曹養成にジェンダーの視点を導入することが挙げられた。このような背景も踏まえて設立されたのがジェンダー法学会である。伝統的な実定法科目と異なり、ジェンダー法のような科目は、現在でもすべての法学部に専任教員が置かれ、講義が設置されているわけではない。そうすると、日本の多くの法学部の学生は法とジェンダーの関係について考えることもなく法律学を学び、卒業し、社会人となっていく現状がある。

私が大学の法学部の「ジェンダーと法」という科目で授業をする際、第一回の講義では必ず、なぜ法律学にジェンダーの視点が必要かという話をする。法律は民主主義に基づいて国会で多数決によって制定され、国民の権利義務を定める。そこでは政治の場まで届かない社会的弱者の声は反映されにくい。憲法の番人として、少数者の権利保護を行うのは司法の役割である。しかし、実際には立法府も司法府もほぼ男性で占められているとき、女性の権利を救済することには困難を伴う場合が多い。憲法14条は法の下の平等を保障するけれども、実際には法的権利の行使にはしばしば資本(情報、人的ネットワーク、経済的資源など)が必要である。歴史的には、権利の主体は男性と捉えられ、裁判所で適用される経験則も男性の経験則であり、多くの女性が家庭という私的領域において救済を与えられず、構造的に資本が乏しい状況にあった。このような近代法制度の男性性や、歴史的構造的にジェンダー格差があることを学ぶことは、その後の学生の社会と法を見る視座に影響を与える。幸い、現在の大学生は「男子もカレーを作る」教育を受けた世代である。受講者の多くは、法曹界における女性の少なさや、労働現場におけるジェンダー格差などの事実を提示するだけで、ある意味、とても良い反応をする。自分が学校生活の中で感じてきたジェンダー平等な感覚と、社会におけるジェンダー格差の違いに驚愕するのである。そして、ジェンダー格差のある現実についてその理由を問い、問題の背景を考えようとする。民法、家族法、刑法、労働法などのあらゆる法分野と、司法自体が場合によってはジェンダー格差を再生産しうることなど、ジェンダーと法に関するさまざまな課題を学生に提示し、「なぜ」を考えさせると、多くの学生は男女問わず、この先社会に出る「自分ごと」としてジェンダー問題を捉え、女性のためではない、自分のために社会と法制度がどうあるべきかを考えてくれる。このような思考の訓練を受けた学生が、近い将来、日本社会におけるジェンダー格差を解消する強力な原動力となっていくことを期待している。

(いしだ・きょうこ 早稲田大学教授)

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