企画趣旨(中島宏)/利益再審の意義と法改正の展望(豊崎七絵)(特集:刑事司法によって傷つく人たち)
特集から(法学セミナー)| 2024.10.11
◆この記事は「法学セミナー」838号(2024年11月号)に掲載されているものです。◆
特集:刑事司法によって傷つく人たち
刑事司法システムは、ときに歪みを生じさせる。
それによって傷つけられた人たちへの救済が、正しく機能しているかを考えよう。
――編集部
企画趣旨(中島宏)
1 刑事司法は何のためにあるのか
刑法は、犯罪となる行為を定義し、これを行った者に科す刑罰を定める。そして、これを実現するためのしくみとして、刑事司法制度が存在する。もちろん、犯罪を行っていない者に刑罰を科すことは許されない。したがって、罪を犯していない者に刑罰を科さないためのしくみでもある。いずれにしても、犯罪現象が存在すると疑われるとき、刑事司法の様々な担い手が動き出し、刑事司法の様々なしくみが、「事件」の「決着」に向けて動き出すことになる。
そもそもなぜ犯罪には刑罰が科されるべきなのか。この問いには様々な「正解」があり、およそ議論は尽きない。ただ、立法者が犯罪と定義付けたものを絶対的・普遍的に「望ましからぬもの」であるとして、これに刑罰という害悪を与えることを当然とするのでは素朴に過ぎるだろう。人々の様々な行動の中から特定の行為に犯罪のラベルを与え、刑罰の名で括られる様々な不利益を与える「ことにした」のは、その行為やそれがもたらす結果によって社会生活を送る人々の間に生じる利害や感情の衝突を抑え、あるいは(威嚇や教育によって)防ぐことが期待できるからである。