(第79回)株式会社に求められる目的とは何か(中曽根玲子)

私の心に残る裁判例| 2024.12.02
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

八幡製鉄政治献金事件

1 政治資金の寄附と会社の権利能力
2 会社の政党に対する政治資金の寄附の自由と憲法
3 取締役が会社を代表して政治資金を寄附する場合と取締役の忠実義務
  —八幡製鉄政治献金事件の上告審判決

最高裁判所昭和45年6月24日大法廷判決
【判例時報596号3頁掲載】

最近の経済状況や多様化する経営のあり様を反映して興味深い会社法・金融商品取引法の判例をたくさんあげることはできるが、私にとって心に残る判例はやはり、すでに最高裁判決が出されて54年も経過している八幡製鉄政治献金事件である。この判例は、百選でもテキストでも最初に引用され、学部授業で最初に取り上げられる有名な事件である。私も学部2年次にその洗礼を受けたが、その時の説明では、株式会社も自然人と等しい社会的実在であるのだから、社会通念上期待ないし要請される以上、それに応えることは会社が当然になしうること(政治献金ができること)、金額については政治資金規正法により規制されており(実はザル法だとは言われていた)、応分の寄付であれば取締役の法的責任は生じないとのことであった。そうした説明に対して、私自身はその当時から長く違和感を抱え続けてきた。

今般、裏金問題に端を発して企業の政治献金の是非が問われている。私は2012年からC県選挙管理委員会の委員を務めているが、政治家の資金の使途に関する仕組みはかなり緩いと感じている。そのことは、大学研究費の使途に関する書類が非常に細かく、原資である学費や補助金の不正使用を厳に絶とうとしているのと実に対照的である。

そもそも株式会社の権利能力として政治献金は果たして可能と言い切っていいのだろうか。司法は政治に関わる判断を避ける傾向にあるが、政治献金は無色透明なものではなく、その額の大きさは国民(市民)の献金額をはるかに超え、経済優先の政策が一人ひとりの市民の利益の実現に貢献しているとはいいがたいのではないか。株式会社として行う政治献金は、出資する個々の株主(投資家)の思想信条を無視する行動になっていないだろうか。その一方で、株式会社のNGO等に対する慈善事業への寄付やSDGs(地球環境)等のための行動は、地球の一員として広くその意義が受け入れられているのはなぜだろうか。

それは、それぞれの行為の意義・意味が問われているからであり、株式会社は、抽象的に自然人に固有の権利以外のすべての権利を享受できるとする立場は見直されるべきであろう。株式会社を含めすべての法人は、 市民・・のための仕組み(vehicle)に過ぎない。八幡製鉄政治献金事件は、私が会社法に関心を持ち、株式会社のあるべき姿・存在意義を考えるきっかけを与えてくれた重要判例である。今でも、当時の想いを思い出させてくれるタイムマシーンのような事例である。


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中曽根玲子(なかそね・れいこ 國學院大學法学部教授)
千葉経済大学経済学部教授、國學院大學専門職大学院法務研究科教授を経て現職。主な著書に、山本爲三郎ほか編集代表『現代企業法の新潮流』(分担執筆、文眞堂、2025年予定)、野田博ほか編『商事立法における近時の発展と展望』(分担執筆、中央経済社、2021年)、河内隆史編集代表『金融商品取引法の理論・実務・判例』(分担執筆、勁草書房、2019年)、『会社法重要判例(第3版)』(成文堂、2019年)、共編著書『金融商品取引法実務ハンドブック』(財経詳報社、2009年)など。