(第80回)自由意思と証明責任(川口美貴)

私の心に残る裁判例| 2025.01.06
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

山梨県民信用組合事件最高裁第二小法廷判決

1 就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無についての判断の方法
2 合併により消滅する信用協同組合の職員が、合併前の就業規則に定められた退職金の支給基準を変更することに同意する旨の記載のある書面に署名押印をした場合において、上記変更に対する当該職員の同意があるとした原審の判断に違法があるとされた事例

(最高裁判所平成28年2月19日第二小法廷判決)
【判例時報2313号119頁掲載】

労働契約は、他の契約と同様、労働者と使用者の「合意」により、①成立し、②その内容を決定することができ、③その内容を変更することができ、④終了させることができる。また、労働者の意思表示により、労働契約内容の変更(育児休業の取得による労働義務の免除等)や、労働契約の終了(辞職)という法律効果が生じる場合もある。

ただし、意思の形成は内心の問題であるから、一般的には、意思表示が存在し成立する場合は、当事者が対等に交渉しうることを前提に、「意思の自由」と意思表示の効力がいわば推定され、その効力を争う者が意思表示の瑕疵等の「効力障害要件」の充足を主張立証しない限り、意思表示の効力が肯定される。

しかし、労働者と使用者には情報・交渉力格差があり、労働者が十分且つ適切な情報を得て納得・理解し、使用者と実質的に対等に交渉し、熟慮した上で慎重に意思決定を行うことが困難な場合も多い。それゆえ、労働契約内容の労働者にとって不利益な変更又は労働契約の終了について、労働者がその効力を争う場合は、労働者の意思表示が存在・成立しても、当該意思表示の効力は、「意思の不自由」(意思表示の瑕疵)等の「効力障害要件」の充足を労働者が主張立証する場合を除き肯定するのではなく、「意思の自由」を「効力発生要件」とし、使用者が意思の自由を裏付ける事実として「自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由の客観的存在」を根拠付ける事実を主張立証した場合に肯定すべきであろう。そしてこのように、意思表示の効力を肯定する要件である「意思の自由」に関する証明責任を転換し、「意思の不自由」を意思表示の「効力障害要件」としてその証明責任を労働者に負担させるのではなく、「意思の自由」を意思表示の「効力発生要件」としてその証明責任を使用者に負担させることが、証明責任分配の基本思想である衡平の理念に合致する。

本判決は、退職金の減額への労働者の同意について、「当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由の客観的存在」を根拠付ける事実を使用者が主張立証することを要求するものであった(結論として同意の効力を否定)。すなわち、使用者と労働者の情報・交渉力格差に鑑み、労働者保護の観点から、「意思の自由」を意思表示の「効力発生要件」とし、これを裏付ける事実として「自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由の客観的存在」を根拠付ける事実を使用者に主張立証させるものと解することができよう。


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川口美貴(かわぐち・みき 関西大学大学院法務研究科教授
著書に、『労働法 第8版』(信山社、2024年)、『新版 労働者概念の再検討』(関西大学出版部、2024年)、『労働法演習 第8版』(信山社、2024年)、『新版 労働協約と地域的拡張適用』(信山社、2023年)、『レクチャージェンダー法 第2版』(法律文化社、2021年)、『基礎から学ぶ労働法 第2版』(信山社、2020年)など。