(第1回)「その人らしさ」を支えるということ

(毎月上旬更新予定)
そもそも、支援って?
支援という言葉を聞くと、多くの人は「何かをしてあげること」を思い浮かべるかもしれません。発達障害のある方への支援においても、「スキルを身につけてもらう」「できないことを補う」などのイメージを持たれることがあります。ですが、支援という文字は「支える」「援(たす)ける」と書きます。つまり、私たちの関わりが、その方々にとってなんらかの「支えになること」「援けになること」が大切です。そのためには、何が必要でしょうか。
一つは、こちらの価値観を押し付けないということです。あたりまえのように感じるかもしれませんが、「こうするのが正しい」「(将来のために)これができるようになるべき」という価値観が、支援の軸になってしまうことがあります。以前、このようなことを教えてくださった方がいました。
自分の価値観は多くの人にとっての常識にあてはまらないようです。自分で改善できることは改善しようと専門家に相談しましたが、世の中の常識ばかり助言されました。その常識になんとか自分を合わせようとしてきたけれど、苦しくなるばかりでした。
おそらく、この方に関わってきた方々は、誰も悪気があったわけでもなく、なんらかのサポートになればと思って助言されてきたのだと思います。ですが、この方がどのように考えているのかを確認せずに、社会の常識やルールに適応させようとするのは、果たして支援なのでしょうか。大切なのは、その方にとっての「生活の負担が減る工夫」を一緒に考えることです。周囲が「こうあるべき」と決めつけるのではなく、「どうすれば過ごしやすくなるか」を一緒に考えていくこと、その過程で、自分なりの「やりよう」を発見したり、手に入れたりしていけるようになることが、本当の意味での「支え」なのではないでしょうか。
知ろうとすることが第一歩
その方に合った「やりよう」を見つけるには、まずは「その方を知ること」から始まります。
たとえば、自閉症スペクトラム(ASD)の方々の中には、話し言葉だけでのやり取りはエネルギーを多く使う方々がいます。その結果として、内容を誤解してしまうことがあります。そうした特徴があると知っていれば、文字やイラストなどを活用しながらのやり取りを提案することができるかもしれません。切り替えが難しい方の場合には、あらかじめ終わりを予告しておく、区切りの良いタイミングで誘う、次はいつできるのかを伝えるなども一つの工夫になるでしょう。
注意欠如・多動症(ADHD)の特性があると、「気をつけているけれども、たびたびうっかりミスが起きる」ということがあります。これはやる気や努力不足の問題ではなく、「自分でも気をつけてみた結果」であることがほとんどです。そうであれば、「気をつけることを求める」よりも、忘れにくくなる工夫や忘れても不都合が小さくなる対応を提案していくことが大切です。たとえば、複数のバッグを使う場合には、「それぞれのバッグに必要なものをあらかじめ入れておく」ことで、忘れ物のリスクは減ります。また、予備のお金を入れておくと、忘れたときのストレスも軽減できます。
もちろん、これらが誰にとっても役立つとは限りませんが、障害特性に対する知識があることで、ご本人の行動の意味を理解しやすくなり、その方にとっての「支え」を一緒に考えていきやすくなると思います。
障害そのものではなく、「人」としてお付き合いを
発達障害の支援において、「障害特性を理解すること」は大切です。ASD特性を知ることで、その方に適した環境調整がしやすくなります。しかし、その特性を理解することが目的化してしまうと、「この人はASDだからこう対応する」というラベル貼りのようになってしまうことがあります。私たちが忘れてはいけないのは、至極あたりまえのことですが、障害のある人も、何よりまず「一人の人間」だということです。「この人は発達障害だから」ではなく、「この人はどんな方なんだろう」「何を大切にして暮らしておられるのだろう」「どのように過ごすのが安心するのだろうか、楽しめるのだろうか」といった視点を持つことが重要です。
部屋中がパーテーションで区切られた支援現場を見かけることがあります。もちろん、それぞれに意味や目的があれば問題はありません。でも、「ASDの子どもには境界を明確にするべき」という理由だけで、最初からパーテーションを設置するのは適切でしょうか?
私は、そうは思いません。むしろ、「実際にその子がどう過ごすか」を見てから、環境を調整することが大切です。たとえ「ASD」というキーワードがあったとしても、画一的な環境調整をしてしまえば、そこには「この子はどのようなお子さんなんだろう?」という視点が薄いように思うためです。
「ASDだから」では、支援の視点としては不十分です。たしかに、障害特性はその方の一部です。理解することは大切ですが、それがすべてではありません。ASDとしての特性もあれば、一人の人としての特性もある。だからこそ、「〇〇すべき」という知識だけでなく、その人自身をよく見て、本当に必要な支援を考えることが重要です。空間が広すぎて、パーテーションで区切らないと、どこが遊びの場所で、どこが勉強の場所なのかがわからなくなってしまうのであれば活用する場合もあるでしょう。でも、パーテーションがなくても混乱のないお子さんの場合にはパーテーションは不要でしょう。このように、パーテーション一つとっても、そこには意味を持ってほしいと思います。そのときに「ASDだから」では、不十分です。どんな特性があって、どんなお子さんで、パーテーションがないと、あるいはパーテーションがあることで、どのような行動が予想されるのかを考える必要があります。パーテーションに限ったことではありませんが、一つひとつの関わりの意味を考え、「障害特性を知ること」だけでなく、「目の前の人とどう向き合うか」を常に問い続けたいものです。
まとめ
支援とは、決して何かを「してあげる」ことではありません。一方的に何かを決めたり、周囲の価値観から考えた「正しさ(と思えること)」へ導いたりすることでもありません。ご本人、ご家族、支援者。それぞれ立場は違いますが、そこに上下関係はありません。ただ、「違い」があるだけです。だからこそ、意見を交わしながら支援の形を探っていくことが大切です。もちろん、簡単なことではありません。ときには難しさや苦しさを感じることもあるかもしれません。それでも、一緒に環境を整え、より良い暮らしにつなげること。それが、私たち支援者の役割なのではないでしょうか。では、そのために私たちにできることはなんでしょうか?
- 「この人は〇〇だから」ではなく、「この人にとって何が大切か?」を考える
- 「こうするべき」と思ったときに、一度立ち止まり、本当にその人に必要かを問い直す
- 話すより、まず聞く。アドバイスよりも、「どうしたいのか?」とご本人のニーズを確認する
- 「支援=正しい方向に導くこと」ではなく、「その人にとってのやりやすさを一緒に考えること」と捉え直してみる
どれも私たちができる小さいけれども、意味のある一歩かもしれません。
支援は「大きな変化そのもの」ではありません。でも、「小さな調整」の積み重ねが、やがて大きな変化につながっていくものだと思います。
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公認心理師/臨床心理士/精神保健福祉士
知的障害や成人の自閉症の方の生活支援、療育センターでの勤務を経て、現在は発達障害の方々のサポートを専門とするよこはま発達グループにて、医療・療育・相談・啓発活動などに従事。人材育成のための講演、全国の障害福祉機関や保育園/幼稚園へのコンサルテーションも担っている。TEACCHプログラム研究会東北支部の代表のほか、デザインやアートの力を活用し、障害のある方々の多様な形での社会参加を目指す株式会社クロス・カンパニーのアドバイザーも担っている。著書には『場面別気になる子の保育サポートアイデアBOOK』(単著、中央法規出版、2024年)などがある。