「見せつけたい・隠したい」欲求を測る
Butera, L., Metcalfe, R., Morrison, W. and Taubinsky, D.(2022) “Measuring the Welfare Effects of Shame and Pride,” American Economic Review, 112 (1): 122-168
八下田聖峰
はじめに
われわれの行動やそれに伴う結果は、いろいろな場面で自分以外に公開される。たとえば、大きな犯罪に手を染めてしまえばニュースなどで世に名前が公表されることもあるし、逆に、良い行いをすれば表彰という形で情報が公開されることもある。また、もう少し狭いコミュニティで見れば、テストの成績や仕事のパフォーマンスが良かった場合などに校内や社内にその結果が掲示された経験のある人も少なくないだろう。このような形で、個人の実績の公開 (Public Recognition: PR) は現実社会の多くの場面で観察される。Worldat-Work (2017) によると、90% 近くの職場で、「今月の売上 1 位」などといった形式で PR が使われており、実際、PR が人々に「望ましい」行動をとらせるという意味で有用であることが、教育、職場、寄付、投票など、数多くの重要なドメインで示されている。人はもとより、世間にとって「望ましい」人間でありたいと願い、周囲の人々に「都合の悪い」ソーシャルイメージを持たれることを恐れるからだと考えられる (Loewenstein, Sunstein and Golman 2014; Bursztyn and Jensen 2017)。また、PR の利点として、金銭的なコストが極めて小さいことが挙げられており、近年では、PR と社会規範を用いた施策や政策などが注目されつつある。しかし、このような PR を用いた介入は本当に推奨されるべきものなのだろうか? 介入によって人々の行動を望ましい方向に導くことはできるかもしれないが、はたして、人々はそのような介入を「無害」だと思っているのだろうか?