(第1回)イタリアの新年度予算案を巡るEUとの対立 — ユーロ圏の財政危機と予算の事前審査制
(毎月下旬更新予定)
欧州連合(EU)は、加盟国に広がる EU 懐疑主義の政権からの挑戦を受けている。
ポーランドでは、15 年 10 月の総選挙で右派政党「法と正義」が単独過半数を制して政権を奪取した。ハンガリーではオルバン首相率いる右派政党「フィデス」が、18 年 4 月の総選挙でも圧勝、4 期目に入った。
両国の政府が挑むのは、民主主義の尊重、法の支配、人権といった EU の基本的価値観だ。EU の基本条約第 7 条には、基本的価値観違反にする国への制裁手続きが規定されている。17 年 12 月には EU の欧州委員会がポーランド政府に対して、今年 9 月には欧州議会がハンガリーに、第 7 条の手続きを進めることを求めた。第 7 条の手続きは「重大な違反」が継続した場合の制裁措置として議決権の一時停止なども用意されているが、加盟国の全会一致が必要なため、両国が互いにサポートしあうことで制裁は阻止される見通しだ。
イタリアでは、今年 6 月、「五つ星運動」と「同盟」による連立政権が誕生した。「五つ星運動」は、所得水準が低く、農業を基盤とする南部の支持を得た。「同盟」は、右派で反移民を掲げる。支持するのは主に製造業や金融業を擁する豊かな北部だ。本来、相いれないはずの両党なのだが、EU 懐疑主義、反既存政治を拠り所に連立を組むことで合意。新政権は、法学者のコンテ氏を首相とし、「五つ星運動」のディマイオ党首と「同盟」のサルビー二党首がそれぞれ副首相に就任した。
コンテ政権が挑むのは、単一通貨・ユーロを導入する EU 加盟国の財政ルールだ。ユーロ圏では、世界金融危機の後、ギリシャを発端とする複数の国への財政危機の拡大を許した。債務危機前の財政ルールは、名目 GDP 比で 3%を超える過剰な財政赤字を重視、同 60%を超える過剰な政府債務残高については、比較的寛容だった。過剰な財政赤字の是正についても、継続的な違反に罰金等の制裁を課すような厳しい措置は採られなかった。こうした財政ルールの形骸化が、財政危機を許したとの反省から、ルールに様々な修正が加えられた。目下、イタリア政府と EU の対立の舞台となっている「次年度予算の事前審査制」も、財政危機を教訓とするルールの見直しで新たに加わったプロセスだ。
新たなルールでは、ユーロ導入国に、毎年 10 月 15 日までに EU の欧州委員会に次年度(1~12 月)の暫定予算の提出を義務付けている。欧州委員会が暫定予算が財政ルールに違反している国に修正を求めることで、ルール違反を未然に防止する狙いがある。
今年、イタリア政府が提出した財政計画は、19 年度の財政赤字は名目 GDP 比 2.4%、20 年度は 2.1%、21 年度は 1.8%だ。過剰な赤字の目安である同 3%を下回り、政府債務残高も 21 年には同 126.7%に減る。
しかし、EU は、この方針を重大な違反と見なし、通常の手続きよりも前倒しで差し戻し、再提出を求めた。この判断も、財政危機を教訓とするルールの変更と関係する。新たなルールでは、過剰な政府債務残高に厳しくなり、目安となる 60%からの乖離が大きいほど、債務の削減に継続的な努力を求められ。イタリアの場合、2017 年時点で政府債務残高が GDP の 131%と大きく、利払い費だけでも 18 年の計画で名目 GDP の 3.6%にも上る。前政権は、継続的な債務の削減のため、19 年度は同 0.8%、20 年度には均衡、21 年度には 0.2%の黒字転化という計画を立てていた。イタリア政府が、今回、EU に提出した計画は、従来の方針から大きく逸脱する。
問題は、赤字の目標ばかりでない。イタリアの暫定予算では、名目 GDP を 19 年 3.1%、20 年 3.5% と 17 年実績の 2.1%、18 年の実績推定値2.5%から加速すると想定している。実績が見通しを下回る可能性は高く、そうなれば政府債務残高の GDP 比は、むしろ上昇することになる。政府債務残高の削減も、分母となる名目 GDP の楽観的過ぎる見通しによる部分が大きい。
イタリア政府の赤字目標の引き上げには、付加価値税率の引き上げ凍結や年金改革の見直し、さらに「五つ星運動」の公約である最低所得補償と「同盟」の公約であるフラット・タックス導入による大幅減税を共に盛り込んだことが影響している。両党首は、既存の政治との違いを有権者にアピールする必要があり、修正を求める EU と対決の構えを崩していない。
財政ルールでは、イタリアが予算の修正に応じなければ、11 月末にも欧州委員会が、イタリア政府の財政ルールへの非適合という判断を正式に下し、過剰な財政赤字是正手続き(EDP)に進む可能性がある。EDP には GDP の 0.5% までの罰金などの制裁措置も用意されている。しかし、手続きを進めるには、閣僚理事会の承認が必要であり、対象国に修正を求める時間的な猶予も与えられるため、即効力を欠く。EU には、ルールを厳格に運用しなければ、信頼性が損なわれてしまうが、踏み込み過ぎれば、ポピュリスト政権に国内で EU 懐疑主義を煽る格好の材料を与えることになるというジレンマもある。
イタリア政府の拡張的な財政運営に歯止めをかけるのは、EU ではなく、市場の圧力だろう。イタリア政府が予算計画を示して以来、イタリアの 10 年国債利回りは恒常的に 3%を超えるようになり、ユーロ圏のベンチマークであるドイツの 10 年国債利回りとの格差はコンテ政権発足前の 150bp から 300bp1) へと広がっている。
今は、イタリア政府が、財政を巡って EU と対立する好機とは言えない。世界同時不況の引き金となったリーマン・ショックから 10 年。「世界的な金融危機はおよそ 10 年サイクルで起きる」という経験則が意識されている。米国経済の強さを背景に米国の長期金利は上昇、ドル高が進み、資本の米国への回帰も進みやすくなっている。ユーロ圏でも、これまでユーロ圏全体の国債利回りを押し下げる役割を果たした欧州中央銀行(ECB)の国債買い入れは、10 月から半分に減額され、12 月末で終了する。イタリアの拡張的財政政策は、リスクに敏感になっている市場に、イタリア売りの材料を提供することになり兼ねない。仮に、市場の懸念が高まりイタリアの国債利回りがさらに上昇した時、今回は、他国への波及という事態は避けられるのかも気がかりだ。
ポーランド、ハンガリーの動きは EU の基本的価値観を揺さぶる。イタリア・ポピュリスト政権の動きは、EU の財政ルールの有効性ばかりでなく、ユーロ圏が債務危機対策で整えた金融安定メカニズム(ESM)などの強度を試すことになるかもしれない。
伊藤さゆり (株)ニッセイ基礎研究所 経済研究部 主席研究員。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本興業銀行(現みずほフィナンシャル・グループ)を経てニッセイ基礎研究所入社。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。早稲田大学大学院商学研究科非常勤講師兼務。日本EU学会理事。著書に『EU 分裂と世界経済危機 — イギリス離脱は何をもたらすのか』(単著、NHK出版新書)、『EU は危機を超えられるか — 統合と分裂の相克』(共著、NTT出版)。
脚注
1. | ↑ | 0.01% = 1ベーシス・ポイント。主に市場で金利差などを示す際に使われる。ユーロ圏では、最も信用力の高く、市場の厚みもあるドイツ国債が基準として用いられる。 |