(第3回)企業法務における憲法(沼田知之)
(毎月中旬更新予定)
木下昌彦「研究不正と営利的言論の法理-ディオバン事件における薬事法66条1項の解釈論争を素材として」
論究ジュリスト2018年春号 No.25 68頁より
憲法は、国の最高法規であって、憲法に反する法令・処分は違憲・無効であるとされる。憲法の最高法規性や違憲立法審査権は、中高生でも知っているし、もちろん法学部やロースクールの授業でも当然の前提にされている。もっとも、企業法務の実務家の中には、上告理由を考えるときくらいしか憲法を意識しないとか、実務家になってから憲法の教科書を開いたこともないといった方も多いのではないだろうか。
しかし、企業実務家にとっても、法解釈を争う場面で憲法的観点から検討を行うことが有益である場面は、意外に多い。例えば、法令の文言が広汎すぎる等のために、単純な文理解釈によると、本来規制対象とすべきでない行為が規制対象となってしまう場合、憲法的観点から法解釈・運用を行うことによって、規制対象に絞りをかけていくことが考えられる。とりわけ、危機管理案件においては、企業又は役職員によって行われた行為が法に抵触するか否かが事後的に問題となるため、「規制趣旨に照らせば問題ないはずだが、文理上は違法になり得るから念のため避けておこう」といったセーフティな判断は採れないのであり、憲法的観点からの解釈論を展開する必要に迫られることも多い。評者自身も、金商法上の大量保有報告書提出義務違反について、違反者には一律に課徴金の納付を「命じなければならない」と規定されているとしても、帰責性のない提出義務者についてまで課徴金の対象とすることは、比例原則等の観点から憲法違反となる疑いがあるとの議論を展開した経験がある。
本稿が題材とするディオバン事件も、まさに憲法的観点から法律の解釈を論じることが有益な事案であったと考えられる。同事件は、大手製薬会社Xが販売する高血圧治療薬について、臨床データの統計解析により臓器保護作用が見られることを示す複数の論文が公表されたところ、これらの論文につきデータの正確性、統計解析の相当性等が問題視され、論文の前提となった統計解析の過程で、製薬会社Xの従業員Aによる改竄・捏造等が行われたとの疑いが生じた事案である。薬事法66条1項(現在の薬機法66条1項も同様)は、「何人も、医薬品…の…効能、効果…に関して、…虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない」と定めているところ、検察官は、「記述」は顧客を誘引する手段としてなされるものに限らないと捉えた上、従業員Aが虚偽のデータを研究者に提供し、虚偽内容の論文を記載させた行為が薬事法66条1項違反に該当するとして、従業員A及び両罰規定に基づき製薬会社Xを起訴した。第1審判決は、薬事法66条1項にいう「広告」「記述」「流布」は、顧客を誘引する手段としてなされるものに限られるとして、学術論文を学術雑誌に掲載してもらう行為は「記述」には該当しないとし、同項にいう「記述」該当性を法律解釈のレベルで否定したものであるが、本稿は、薬事法の解釈とは別に、そもそもその行為を処罰対象とすることが憲法適合的かという問題が控えていると指摘する。
本稿は、憲法21条・23条が前提とする認識論的謙抑性の原理から、国家は「思想」についてはその真偽を判断できないとされているところ、「事実」の中でも、普遍的な事物の性質や法則に関する「自然科学的事実」については、「思想」と同様に認識論的謙抑性の原理を及ぼすべきとの見解が有力であり、学術論文の内容についてその虚偽性を理由に規制を行う場合には、規制範囲が自然科学的事実の領域に及ぶものとなっていないかを検討する必要があるとする。その上で、具体的事実については、裁判所がその真偽を判断することができるとしても、虚偽の言論を類型的に憲法保障の対象外とすることは適切ではなく、虚偽言論の価値、萎縮効果の影響、対抗言論の有効性などを考慮に入れて慎重な利益衡量を行うべきであると指摘する。
また、学説上、営利的言論と位置づけられる言論については自然科学的事実・具体的事実を問わず類型的に虚偽を理由とした規制が許容されると考えられているところ、本稿は、その根拠について、以下のように論ずる。(1)営利的言論については対抗言論による虚偽情報の排除という自動矯正機能が期待できない。(2)営利的言論に対する規制がなされたとしても政治的・学術的議論には直接影響が及ばず、情報発信者としては取引の誘引としての要素を除外した上で同内容の政治的・学術的表現を発信することが可能である。(3)自然科学的事実に関する言論であっても、現在における当該分野の専門家集団の共通了解を基準として真偽を判断することは可能であるところ、商業的取引の文脈に留まる範囲であれば、そのような判断を行っても、政治的議論・学術的議論には影響が及ばない。そして、本稿は、営利的言論について類型的に虚偽を理由とした規制が許容される理由が(1)~(3)の点にある以上、商業的要素と政治的・学術的議論を喚起する要素とが分離不可能な言論については、営利的言論としての位置付けは与えるべきではないと指摘する。
営利的言論に対しては、薬機法以外にも、景表法、不正競争防止法、食品表示法など、多様な法令において規制が課されているところ、これらの各法令による規制範囲や憲法適合性について横断的な研究は十分に進んでいないと思われる。本稿が提示する、規制が自然科学的事実の領域に及んでいないか、及び、商業的要素と政治的・学術的議論を喚起する要素とが分離不可能な言論に当たらないかという基準は、どのような場合に規制範囲が憲法適合的となるのかの検討にあたって、実務上も非常に有益な材料を提供するものと思われる。
なお、ディオバン事件は現在控訴審に係属中であり、11月19日に判決がなされる予定である。控訴審が薬事法66条1項の解釈にあたり憲法適合性の観点についても言及することとなるか、併せて注目することとしたい。
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沼田知之(ぬまた・ともゆき)
東京大学法学部、同法科大学院修了後、2008年より西村あさひ法律事務所。主な業務分野は、危機管理、独禁法。海外公務員贈賄、国際カルテル、製造業の品質問題等への対応のほか、贈収賄防止、競争法遵守、AIを活用したモニタリング等、コンプライアンスの仕組み作りに関する助言を行っている。主な著書・論稿として『危機管理法大全』(共著、商事法務、2016年)、「金融商品取引法の課徴金制度における偽陽性と上位規範の活用による解決」(旬刊商事法務1992号(2013年3月5日号))等。