変えるべきか変えざるべきか(長谷部恭男)

法律時評(法律時報)| 2018.12.28
世間を賑わす出来事、社会問題を毎月1本切り出して、法の視点から論じる時事評論。 それがこの「法律時評」です。
ぜひ法の世界のダイナミズムを感じてください。
月刊「法律時報」より、毎月掲載。

(毎月下旬更新予定)

◆この記事は「法律時報」91巻1号(2019年1月号)に掲載されているものです。◆

1 それが問題なのか

変えるべきか変えざるべきか、憲法典についてはそれが問われることが多い。しかし、本当にそれが問題なのだろうか。

憲法改正規定が存在する以上、変えないのは国会の怠慢だと言われることもあるが、これは、違憲審査機関である以上、最高裁はどんどん違憲判断を出すべきだという議論と同じくらい間違っている。最高裁の任務は、個別の紛争を適切に解決すること、法秩序全体が良好に機能するよう監視することであり、違憲判断はその一つの手段にすぎない。これらの任務の遂行のために違憲判断を下すことが必要ならばそうすべきである。しかし、必要の有無にかかわらず、最高裁による違憲判断が多ければ多いほど善いという主張は、いろいろな意味で歪んでいる。

憲法の使命は、国の基本構造を定め、国民の中長期的な利益を実現する上で守り続けていくべき基本原則を示すことにある。変える必要もないのに制定してから時間がたったから変えるというものではないし、他国は変えているのだから、日本も変えるべきだというものでもない。憲法の存在意義を理解していれば、そうした主張は生まれないはずである。

とかく焦点となることの多い9条についても、ミサイル、戦闘機、潜水艦などの伝統的な装備で国土を防衛することに関心が集中しがちで、そのために9条が邪魔になるとか、軍拡競争の歯止めになっているから善いのだなどという議論が盛んである。

しかし、古典的な国境や防衛の観念を蒸発させかねない凄まじい技術の進展もある。

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