(第14回)背信的悪意者排除の理論と現実(松岡久和)

私の心に残る裁判例| 2019.09.09
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

「元妻と妻への不動産二重譲渡」事件

1 悪意または背信性のない建物取得者の登記欠缺の主張が信義則違背、権利濫用であるとされた事例

神戸簡易裁判所昭和46年12月20日判決

【判例時報669号93頁掲載】

2 登記の欠缺を主張することができない背信的悪意者に当るものと認められた事例(1の控訴審)

神戸地方裁判所昭和48年12月19日判決

【判例時報749号94頁掲載】

1980(昭和55)年の頃だったと記憶している。大学院修士課程にいた私は、背信的悪意者の問題と格闘していた。民法177条は、不動産の二重譲渡のように両立しない物権変動が競合した場合、登記がなければ第三者には対抗できないとしており、先に登記を備えた方が優先すると理解されている。その第三者が他人の物権取得を知っているという意味で悪意でも同条の保護を受けるのかは、古くから論争の種であった。昭和40年頃から、判例・通説は、悪意であることに加えて、行為態様が信義則に反する背信的悪意者は、登記の欠缺を主張できない、としていた。

当時はすでに判例・裁判例が蓄積し、背信的悪意者の類型化を探る優れた判例分析も出ていた。しかし、私は、保護の可否を決める限界線がどこに引かれるのかに疑問を持っていたので、広く判例・裁判例を集めて批判的な目で再分析してみようと思い立った。まだコンピュータによるデータベースがなかった時代で、裁判例を収集するにも一苦労した。判例体系をベースに、最新裁判例は判例時報誌の年間索引や表紙などを利用して探し、判決文を入手して読んだ。60件余のなかでここに紹介する2つの判決がとくに私の注意を引いた。

元内縁の妻と現在の妻への二重譲渡が問題となった事例である。昭和31年9月にXは内縁の夫Aと別れる際に本件建物を買い、代金を支払って引渡しを受け、以後居住していた。Xの移転登記請求に対して、Aは、地主の印鑑がないと移転登記はできないなどと述べて応じず、Xの入院費用の負担の約束も守らなかった。Aは、昭和33年1月にYと結婚し、昭和37年4月に本件建物をYに贈与し移転登記をした。Yは、本件建物の贈与を受けた時もその後も、その所有権の帰属および登記名義等についてはほとんど関心を払わず、Xから家賃等の取立もせず管理処分もせず、登記名義の移転および維持管理等一切をAにまかせていた。昭和44年にXがYに対して、所有権に基づき本件建物の所有権移転登記手続を求めた。

第1審・第2審ともXが勝訴した。第1審は、Aの不当な目的、Yの無関心、AとYが経済的に同一体であることなどから、「たとえYがその登記名義の取得につき悪意または背信性がなかったとしても」、登記欠缺の主張は信義則に反し権利濫用となるとした。第2審は、Aの行為の違法性をより強調したうえで、「YにおいてもAとXとの関係を知っていたのであり、Aに事情を尋ねる等して通常の注意を払うならば、以上の事情を容易に知り得たし、かつ、本件建物の所有権を取得すればこれに居住するXとの間に本件建物に関する紛争の生ずることを知り得たのに、あえて本件建物の所有権を無償で取得し、その後の所有権移転登記および維持管理の一切をAに委ねAに依存することによって同人と共通の利益を得た」として、やはり登記の欠缺の主張を信義則違反・権利濫用とした。

この2つの判決の結論に反対する者はおそらくいないだろうが、第二譲受人Yは善意であり、第2審判決のように、これを背信的悪意者排除の理論と結び付けるのは、とうてい無理があると感じられた。YはAと共謀したしたたかな人だったのかもしれないが、その証拠はなく、一切合切すべて夫に任せっきりの女性だったのかもしれない。判例時報の解説も、これらは背信的悪意者排除の判例理論に沿った判断なのかと戸惑いを隠せなかった。私は、そもそもYはAと経済的に一体の当事者に準じる者(これを私は準当事者と名付けた)であって、所有権取得の競争に加わる資格がなく、第三者ですらないと考えた。

第1審判決の方が端的で大胆であり、第2審判決は背信的悪意者排除論との整合性を保とうとよけいな苦労をしているように思われる。ただ、いずれにしても、理論的枠組が妥当しにくい現実に裁判官が呻吟しながら努力を重ねていることには感動を覚えた。そして隠れた判断枠組を理論化するのは学者の仕事だと確信を持った。

準当事者という理論仮説によって裁判例を再検討してみると、類似の裁判例が24件もあることがわかり、それ以外の類型でも裁判例の現実は悪意者排除であると感じられた。この分析が修士論文およびその一部である私のデビュー論文「判例における背信的悪意者排除論の実相」に結実した(余談であるが「実相」という言葉はトイレにかかっていた日めくり式の格言に出てきていたもので、お前は新興宗教の信者か(笑)と揶揄されることもあった)。私の分析にはもちろん批判もあったが、全体としてかなり好意的に受け止められ、私は学界への幸運な第一歩を踏み出すことができた。この2つの判決は、そのきっかけとなった思い出深いものである。

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松岡久和(まつおか・ひさかず 立命館大学大学院法務研究科教授)
1956年生まれ、龍谷大学法学部専任講師、同助教授、教授、神戸大学教授、京都大学大学院法学研究科教授を経て、立命館大学大学院法務研究科教授。
著書に『物権法』(成文堂、2017年)、『担保物権法』(日本評論社、2017年)など。ほぼ全部の仕事を、こちら の「業績一覧」に概要を付して民法の分野別に整理している。