(第15回)研究者としてのひとつの出発点に立ち返る(安達栄司)

私の心に残る裁判例| 2019.10.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

萬世工業事件最高裁判決

いわゆる懲罰的損害賠償を命じた外国裁判所の判決について執行判決をすることの可否

最高裁判所平成9年7月11日第二小法廷判決
【判例時報1624号90頁掲載】

米国の多くの州では、不法行為等に基づく損害賠償請求の民事裁判において、被告=加害者の行為態様の悪性が強いとき、被害者に現実に生じた損害の補填に加えて、加害者に対する罰と見せしめのために、実際に生じた損害額の数倍以上にも上る賠償金の支払を命じる懲罰的損害賠償の制度が存在します。日本法にとって馴染みがないと思われるこの懲罰的損害賠償は、英米法の特殊な法制度であり、比較法上の関心事にはなっても、日本の裁判実務にとっては別世界の話だと考えられていました。ところが、1980年代になって、日本の会社または日本人が積極的に米国に進出して活動の場を広げるようになると、現地の裁判所において損害賠償訴訟の被告となり、米国法に基づいて、日本法の常識ではあり得ないような高額の懲罰的損害賠償金の支払いを命じられる事件が出てきました。そこで敗訴した被告の日本企業が米国判決で命じられた賠償金を任意に支払わなければ、勝訴原告は、その米国判決に基づいて、日本企業が日本国内で有する財産に対して強制執行をかけることができます(民執法22条6号)。こうなってくると、米国法の懲罰的損害賠償は、日本とは無関係な遠い外国法の話だ、として済ますことができません。もっとも、外国判決に基づく強制執行は無条件でできるわけではなく、民訴法118条が定める外国判決承認の要件を満たす必要があります。日本からみて、米国の懲罰的損害賠償判決は民事の判決と言えるのか、「日本における公の秩序又は善良な風俗に反しない」(同条3号)のか、米国判決を日本の裁判所の民事判決と同様に扱って日本社会に混乱が生じないか、あるいは同じ先進国の判決として尊重して同等に扱うべきか、日本の裁判所の審査を受けることになります。

本判決において最高裁は、「本件外国判決のうち、補償的損害賠償及び訴訟費用に加えて、見せしめと制裁のために被上告会社に対し懲罰的損害賠償としての金員の支払を命じた部分は、我が国の公の秩序に反するから、その効力を有しないものとしなければならない。」と述べて、懲罰的損害賠償を命じる米国判決について日本における承認と執行を拒否しました。

被告の社名をとって萬世工業事件と呼ばれる本判例は、まず民訴法118条の外国判決承認の要件にかかわる国際民事訴訟法上の重要な判例です。しかし、それ以上にそもそも日本の損害賠償制度の基本原則は何なのか、米国の懲罰的損害賠償制度とはどのような制度か、民事責任と刑事責任の峻別、制裁としての慰謝料の可否、さらには日本企業が米国に進出した際に米国裁判所で訴えられることのリスク評価、など国際民事訴訟法の解釈論の枠を超える多彩な論点を含んでいます。本判決の評釈類は、TKC判例データベースによれば22本に上り、本判決を契機に多くの研究論文や実務解説が公表され、その他にも本判決を題材として扱う法学入門や民事法入門の著作は数知れません。

このように法学上の意義が大きいことはもちろんですが、私個人にとって萬世工業事件の各判決は、研究者としてのひとつの出発点を刻む心に残る判例です。本件の第1審判決がでたのが1991年2月ですが、その4ヶ月後、大学院生の私は、所属する中村英郎先生の研究室の伝統に従いドイツ留学に旅立ちました。それからドイツ語、ドイツ社会、ドイツ法の文献にどっぷりとつかりながら、自分はこれから何をどのように勉強を進めるべきか、そもそも研究者として独り立ちできるのか、と悶々とした日々を過ごしていました。とにかく毎日通うことにしていたケルン大学・プリュッティング教授の研究所で最新文献をチェックしていたとき、私は1992年6月ドイツ最高裁が米国の懲罰的損害賠償判決の承認・執行を拒絶する画期的判決を下したことを知りました(BGHZ118, 312)。萬世工業事件の第1審判決後、同じ問題が日本で活発に議論されていることは想像できたので、私は、そこに参戦するつもりで、参考になるはずのドイツの最新状況を誰よりも早く伝えるべく、BGH判決を紹介する原稿を一気に書き上げて、学部時代からの恩師の吉野正三郎先生に郵送しました。この論文は幸運にもジュリストに掲載され、続けて、萬世工業事件の高裁判決についても評釈論文が判例タイムズに掲載されました。帰国して大学に職を得た後、ついに登場した最高裁判決についても検討を加えて、これらは学位論文集にまとめることができました。本最高裁判決が判例雑誌に公表されたとき、コメント欄でBGH判決に関する先の私の論文が引用されているのを見て、ドイツ法を頼りにすれば私でも研究者としてやって行くことができるのではないか、という微かな自信というか安堵を得たことを記憶します。

2018年8月から1年間、私は約25年ぶりにケルン大学に留学する機会を得ましたが、再び米国判決の承認・執行と日本の公序が争点となる最判平成31年1月18日を検討することになりました(TKC新・判例Watch2019年5月10日掲載 PDFで読む)。手続的公序についての新判断を含む同最判についてドイツ法の最新状況を参照して検討する中で、先例としての萬世工業事件の判決を読み返しました。あのときからずっと同じことを繰り返している自分に苦笑せざるをえませんが、この分野ではドイツ法から学ぶことがまだあると確信できたので、今後も続けていこうと決意を新たにしています。

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安達栄司(あだち・えいじ 立教大学大学院法務研究科教授)
1965年生まれ。早稲田大学大学院在籍中にドイツ・ケルン大学留学。静岡大学助教授、成城大学助教授・教授を経て、2010年から現職。著書に、『国際民事訴訟法の展開』(成文堂、2000年)、『民事手続法の革新と国際化』(成文堂、2006年)、『最新EU民事訴訟法 判例研究I』(共編著、信山社、2013年)『ストゥディア民事訴訟法 第2版』(共著、有斐閣、2018年)など。